カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

綿の花 ドライフラワー&天体ショー

2012年03月26日 | ★ 日々の呟き


国道24号線のバイパスを奈良方面に行く途中に、距離的に休憩するのに丁度良いカフェがある。
1人の時も、友達と一緒の時も、ここで休憩して一息入れてから奈良方面へ向かう。
大抵は、コーヒー1杯で30分くらいの休憩である。

ドアの側に大きな花壷があり、この日は綿の花が無造作に入れてあった。
無造作に見えたのは、綿の持つ雰囲気そのもので、活けた人はちゃんとご自分の流儀で、綿に慈しみを感じながら活けられたのだと思う。

綿の花は見たことがあるが育てたことがないので少し調べてみた。

『アオイ科1年草.熱帯アフリカ原産.高さ0.6~1米.葉は互生し、葉身は掌状に3~9裂.花は5弁花で葉腋につき、クリーム色が主で、白、ピンクもある.
花後、子房が成長し、苞に包まれた卵形の果実を結ぶ.内部は数室に分かれ、各室に数個の種子が出来る.種子は種皮細胞の一部が綿毛として発達し、果実が熟すと3~5裂して白い花のように見えるので綿花と呼ぶ.
毎日数個の黄色い花が、すこし下向きに咲く。夕方は赤味がかり萎む。

花後の実が膨らみ、3裂して綿が出てくる、そして本物の綿が出来る
綿が鈴なりに出来たらドライフラワーにするとよい.
 (撮影時期:’02.7/29~8/22、実:9/18、22)』

写真撮影の日が入っていたので夏から秋にかけて黄色い花が、咲くのが分かったと同時に、その花は、オクラの花や、食用になる花オクラの花とそっくりだった。
最後に綿が鈴なりになったらドライフラワーにするといい。と書いてあったことから、そのドライフラワーがこのカフェの玄関ドアの外の壷に活けてある綿の花なのだと興味をもった。

追加記事




 画像の中の日にち訂正3月26日

先日は金星と木星が横に並びました。
今夜は金星、三日月、木星が大体縦に並んでいました。

直線になるときってあるのだったかしら。天体ショーの夜でした。
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長寿国の厄歳

2012年03月25日 | ★ 日々の呟き



満年齢が日常になっているが、神社などの年齢は昔ながらの、数え年の年齢が示されている。
満年齢にしたがって、来年は私も喜寿を迎えるのだと、動作や体調の悪い時など、ふっと歳のせいにしてしまっている。
古稀を迎えたときとは、気持ちのあり方が確かに違っている。
「古稀」の語源は、《杜甫「曲江詩」の「人生七十古来稀」から》数え年70歳のこと。
杜甫の時代には、人の命は短くて70歳まで生きることは、稀に見るめでたいことなのだと、言うのが通常の時代だったのだろう。
世界の長寿国となった今、古稀を迎えた時は、まだまだ元気で、好きなこと、行きたいところなどへ、カメラブラブラ下手なスナップなど撮っている毎日がとても楽しく思えて行動していた。

75歳になった昨年は、心に微妙な変化が起こった。
大好きだった祖母が75歳で他界している。
三人の娘と一人の息子を、夫亡き後(祖父は父が9歳の時他界)教師をしながら、娘たちは女学校を、息子は師範学校を卒業させた、あの時代の女性としては、本当に尊敬できる心の強い人だった。
その祖母が、75歳で、長患いもしないで自分のなすべきことを、全て終えたように、母の短い看病の後静かに旅立った。

そして、城南宮に参拝した時、今年は自分の厄年であることを知った。







久しぶりで花を買った。
膝を痛めてからは、しゃがむ作業が困難なので、花造りはしないことにしていたのに、5鉢のマーガレットを買ってきた。
鉢植えを地植えに移すには、遅い霜が降りない頃になったほうが良いと、店の人が教えてくれたので、まだ軒下においている。

花言葉は「真実の友情」「愛の誠実」。

今年厄年であることを知った日、これから迎える日々を、家族にも友にも、いろんな絆で支えてくれる人にも、偽りなく誠実につながりをもてるようにしたい。
そして毎日が厄年であることを忘れることなく、「厄」であることを認知したら「厄」と共生して、無理な抗いはしないことにしよう。
次の厄年は88歳。
父の歳も、母の歳も、乗り越えていくのかしら。私の定命は・・・神佛のみぞ知る。
それまで、「今日が一番若い日なのだから」と思いながらの一日を過ごせるといいのだろう。
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城南離宮の庭園さまざま

2012年03月24日 | △ 旅 あれこれ ドライブ

城南宮の枝垂れ梅、椿の山を過ぎると、それまでの季節の花の華やぎと一変して、平安の庭の雅な世界に誘われる。


 


「曲水の宴遣り水」 ここまで来てはっと気がついた。
毎年テレビの画像で春と秋に、平安時代の装束を身に纏った人たちが、この遣り水の縁にすわり、杯が流れてくる間に和歌を詠む、そんな光景をただうっとりと眺めていた私だった。
その曲水の宴の場所が、ここ城南宮の神苑、平安の庭であったのだ。






    




    

平安時代の庭に次いで、室町、桃山時代の庭が神苑に策定されていた。
寺院を訪れることが多く、その縁側や廊下に長く座って庭の鑑賞をするのが好きであるが、その場にいるだけで、癒され和み、安らぎを与えてくれるといった精神的で、主観的な鑑賞の仕方しかしない。
だから時代により庭の特徴など、パンフレットを見ながら、理解しながらもすぐ忘れてしまう。
最近は忘れることも気にならなくて、感動することのほうが多く、いつも新鮮な感じで対象を眺めている。

沢山撮った写真なので、分類をしてはみたが、間違いがあるかもしれない。

城南宮の枝垂れ梅は、本当に綺麗だった。その綺麗な印象とともに、三つの時代の整然とした庭を鑑賞する機会を得たことはありがたかった。
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城南宮 椿の山の趣き

2012年03月23日 | ☆季節

城南宮では、枝垂れ梅とともに、椿祭りも行っていた。
枝垂れ梅を観梅した後、順路に従って神苑を散策した。

大きく育った椿のある山は、この離宮を作ったときの築山であったらしい。
数多くの種類の椿があって、緑の葉の中に赤く点々と咲いている椿には元気印を見るようだった。
「椿」と言う文字は「春に花咲く木」である。四季のある日本にふさわしい命名だ。
中国から渡ってきた漢字ではなく、日本で作られた文字だそうである。
また、葉っぱの厚みと光沢から、古代の日本人は、冬も緑色の椿の葉に 、霊力を感じたらしい。
椿を見ているとそれらのことが全て納得できる。

ほとんど開花した種類の違う椿の花に、まるで見つめられているような感じで、椿の間の散策道をゆっくり歩いた。




椿の木が混み合って太陽の光が差さない地面に、ぽつぽつと転がってきたような、落ち椿が無数にある中に、光の差した一輪が異様なほど輝いているのが印象的だった。
古木なのだろう木の根が地表を這っている。



こちらの落ち椿と、梅の花びらの散り敷いた、緑の苔山には、完全な春の訪れの華やかさを見ることができる。



自然界の輪廻がこの1枚にある。
早い季節の咲き誇った椿が落ち、枝垂れ梅に春のバトンを渡し、枝垂れ梅は細く枝垂れた先までも、せいいっぱいに花を咲かせている。
訪れの遅かった花の季節だけに、この移り変わりが生き生きと私たちにメッセージを送ってくれているようだ。
「安心なさい!。春ですよ。」って。




この日見た椿の山で、私の一番好きだったのは、この沢山の落ち椿が緑の苔に、役目を終えた後の寛ぎに見えたからかもしれない。





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京都城南宮の枝垂れ梅

2012年03月22日 | ☆季節
城南宮は、かつて貴族が宴を繰り広げたという雅な美しい庭園を有する神社である。
神社は、京都御所の裏鬼門を守る方除の神と崇められてきた。
満開を迎えた150本の枝垂梅は見事で、香りに酔いその美しさに圧倒される。




   







デジブック『京都城南宮の枝垂れ梅』
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