お湯の国 日本

美しい日本の温泉地中心の旅記録(おんせん鑑定士:監修) 【記事・映像は著作権、人権保護法等により無断使用を禁じます】

日時計(高村山荘)

2008年04月24日 |   ✑文学逍遥 紀行

映像:壁に刻んだ時刻を糸影が伝う事により時間を把握。その日時計を再現したもの。

高村光太郎は、岩手県花巻市の山村で文明を拒絶したかのように晴耕雨読、自給自足
の生活をした。日が昇れば目覚め、日が没すると眠る。当時としては73歳という長命
はこの7年間の質素で規則正しい精神的な生活が、一汁一菜がもたらしたものなのか。

同時期の歌人石川啄木(3才下)は26歳、詩人宮澤賢治(7才下)は37歳で没した。如何
に光太郎が長命で且現代的な文学者であったかは、彼の作品、生涯からも推測できる。

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道程(僕の前に道はない僕の後ろに道は出来る・・・)

2008年04月24日 |   ✑文学逍遥 紀行

映像:高村光太郎の詩編「道程」(最愛の智恵子を失い、厳格な父とも死別の頃)

僕の前に道はない僕の後ろに道は出来る  ・・・(道程)』高校時代この詩に触れ、なんと
勇気づけられられたものか。そして父を亡くした筆者にとって同感を禁じ得ない詩だった。
『・・・ただわたくしは今日も此処にたって ノオトルダム ド パリのカテドラル あなたを
 見上げたいばかりに ぬれて来ました あなたにさはりたいばかりに あなたの石のはだ
 に人しれず接吻したいばかりに・・・(雨にうたるるカテドラル)』。

ゲーテでも、ハイネでもリルケでもない高村光太郎という日本人の口語体の詩に深く感銘
した。その高村光太郎が隠遁した高村山荘は余りにも質素で、そこまで彼を追い詰めた悲
しみを思わずにはいられない。光太郎はこの隠遁から突如、十和田湖畔の乙女の像を製作
するために立ち上がる。東京のアトリエに帰り、愛する妻の面影を乙女の像に刻み込んだ。

参照#①老骨に鞭打った力作『十和田湖畔乙女の像』(最愛の妻に永遠を与えたのだった)
    ②日本画家東山魁夷作「」(芸術は詩であれ絵画であれ人々を感動させる)

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