映像:山荘で初めて迎えた冬の作品「雪白く積めり」の詩碑が昭和33年に山荘の
そばハンノキ林の中に建てられた。詩碑の碑文は詩集「典型」の冒頭である。
高村山荘には光太郎の60年が凝縮されていた。そして智恵子は此処から十和田湖半
の乙女の像となって安住の地を得た。それは日本米欧を跨ぎ、最終的に本州の奥地
に委ねられたスケールの大きい軌跡だ。私達はこの物語を見過ごす事無く、偉大な
詩人・彫刻家のキラ星のごとくちりばめられた芸術情感を鑑賞しなければならない。
これが日本の美(自然・芸術・文学)なのだ。詩碑に刻まれた『雪白く積めり』は
62歳の高村光太郎の傷心と決意、当時のこの地の環境を手に取るように理解できる。
~雪白く積めり~ :高村光太郎
『雪白く積めり。
雪林間の路をうづめて平らかなり。
ふめば膝を没して更にふかく
その雪うすら日をあびて燐光を発す。
燐光あをくひかりて不知火に似たり。
路を横ぎりて兎の足あと点点とつづき
松林の奥ほのかにけぶる。
十歩にして息をやすめ
二十歩にして雪中に坐す。
風なきに雪蒲々と鳴つて梢を渡り
万境人をして詩を吐かしむ。
早池峯はすでに雲際に結晶すれども
わが詩の稜角いまだ成らざるを奈何にせん。
わづかに杉の枯葉をひろひて
今夕の炉辺に一椀の雑炊を援めんとす。
敗れたるもの卻(かへつ)て心平らかにして
燐光の如きもの霊魂にきらめきて美しきなり。
美しくしてつひにとらへ難きなり 』
解説:妻智恵子を失い、戦争に敗れた日本と、それを鼓舞した自分に失意した
高村光太郎は宮澤賢治の縁で疎開した花巻、大田村で厳しい自給自足の
生活に入る。この詩歌は花巻での最初の冬に書いた決意の詩なのである。