菅江真澄は不思議な紀行家である。出自は三河で、旺盛な探査力から津軽藩では
間者とも疑われた。秋田佐竹藩の優遇とは違い、津軽には足跡を残す標柱や石碑
が少ない中、板柳町の郊外浪岡寄りに滞在の碑がある。北畠家とあるから、浪岡
北畠氏の所縁の屋敷だと推察する。中世期には浪岡北畠氏が一帯を統治していた。
記録:菅江真澄遊覧記三(外浜奇勝一)にこの滞在の記述がある。
『・・・高野村に来た頃・・・馬で通り過ぎようとした医者・・・館越の山崎顕定・・・
今夜は此処にお泊りくださいと言って、今恒徳という人の家に入った・・・』
推察:上記記録には今恒徳宅とあるが板柳教育員会標柱には「北畠顕文宅」とある。
地番は館越とあっており、名も「北畠氏」の「顕」を執り込んでいる事から
苗字を変え生延びた北畠氏の末裔と推量される。津軽藩時代北畠氏は政敵
であり苗字を変え家を存続したと考えられる。此のことは、石田三成の子
孫が津軽藩内で杉本姓を名乗り徳川の追求を逃れた事実と重なる事である。
参照#奥津軽板柳地区には筆者が好む高増温泉不動の湯がある。
オロロン街道を南下すると日本海沿いに似た成分の温泉が4つある。天塩温泉、初山別温泉、羽幌温泉、苫前温泉どれもなんとも渋淡い色の味わいのある湯だ。その中、ここ岬の湯は循環・消毒を感じさせない。強塩泉かつ多様なプラスイオン組成分が含まれているからだ。このくらい濃い成分だと塩素臭も吹き飛んでしまう。露天風呂から北の日本海を眺めユッタリいい気分。
【Data】食塩泉 21.2℃ PH7.6 弱黄色微濁、強カン味、石油臭 動力揚湯 源泉:岬の湯