孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

インド  ヒンズー・イスラムの対立 17年を経て調査報告書

2010-01-18 17:00:43 | 国際情勢

(コーランを焼くヒンズー教徒 “flickr”より By saraab™
http://www.flickr.com/photos/saraab/783886367/)

【バブリ・マスジッド事件】
インドは、特定の宗教にはとらわれないという世俗主義を国是とする国です。
しかし、実際には多数派ヒンズー教徒と少数派イスラム教徒の間で、時に激しい流血を伴う衝突・対立が根深く存在し、そのことが社会を不安定化させ、新興国の旗頭としての将来に影をさす大きな問題となっていることも周知のところです。

インド・パキスタン建国時にも壮絶な流血がありましたが、その後のインド国内におけるヒンズー教徒とイスラム教徒の対立のひとつの頂点になった事件が1992年のバブリ・マスジッド事件でした。

イスラム教モスク「バブリ・マスジッド」は、16世紀にアヨディヤに建設されましたが、モスクができる以前はその地にヒンズー教寺院があったと主張するヒンズー教徒は、ヒンズー寺院再建運動を80年代から起こしていました。

その後、ヒンズー至上主義をとるインド人民党(BJP アドバニ党首)が寺院再建運動を政治的キャンペーンとして展開したことで緊張が高まります。
政府による調停も不調に終わり、ついに1992年10月には2万とも十数万人ともいわれる過激なヒンドゥー教徒がこの地に集結し、12月6日、防戦するイスラム教徒と乱闘となり、モスクを破壊してしまいます。
これを契機に、紛争はインド全土に波及、死者は12月9日までで600人、事態が収束するまでには6000人とも言われています。

この事件後、ヒンズー・イスラム両教徒間のテロ・報復が相次ぎ、2002年にはグジャラート州ゴドラ郊外で、アヨディヤ巡礼帰途のヒンズー教徒が乗った列車がイスラム教徒によって焼き討ちにあい、その報復にヒンズー教徒がイスラム教徒を各地で襲撃、2000人を超える死者を出す暴動も起きています。
最近では、08年にムンバイの同時多発テロがありましたが、これもヒンズー・イスラムの対立が底流にあると思われます。

バブリ・マスジッド事件は、ヒンズー教徒に高揚感をもたらし、ヒンズー至上主義団体をバックにもつインド人民党(BJP)は、90年代の総選挙で幅広い支持を獲得。96年に第一党となり、98年にはバジパイ首相率いる連立政権を樹立しています。

また、古都アヨディヤのヒンズー寺院は、ヒンズー教徒にとって「七聖都」の一つとされ、一日に数千人、多いときには1万人以上が、ラーマ像が祭られる寺院を訪れるそうですが、イスラム教徒によるテロを警戒する警備は厳重を極め、広い敷地には20カ所の監視塔があり、治安要員2千人が24時間体制で警備しているとのことです。

【「ヒンズー教徒はイスラム教徒の“敵”になってしまった」】
バブリ・マスジッド事件から17年、政府の事件調査委員会は昨年12月、ようやく報告書を出しました。
調査委員会が昨年12月、国民会議派のシン首相に提出した報告書は、当時ウッタルプラデシュ州政権を握っていたBJPの政治家にモスクが破壊された責任の一端があるとしており、68人の国会議員やヒンズー至上主義団体のメンバーも名指ししています。

****インド、世俗主義の危うさ今も 政治に翻弄 聖地に影 バブリ・マスジッド事件****
報告書は、長年の疑惑が改めて裏付けられたという程度に受け止められ、世論にさほど驚きはない。
アヨディヤの住民たちも「あんな報告書、関心はない」と言い放ち、「ヒンズー教徒もイスラム教徒もずっとこの土地で一緒に暮らしてきた。問題を起こすのは他州の人間だ」と憤る。政治などが事件を利用しているという意識がある。
地元のイスラム教指導者、カーリー・ムハンマドさんも「どの政党も選挙の度に、イスラム教徒の票を獲得しようと、いいことばかり言う。選挙が終わったら音沙汰(さた)なし。うんざりだ」と語る。
人口12億のインドではヒンズー教徒が約8割、イスラム教徒は1割強。
事件で「ヒンズー教徒はイスラム教徒の“敵”になってしまった」(インド人ジャーナリスト)。そのうえ世界ではテロが相次いでいる。
治安当局のパンデイ氏は「ここは常にイスラム過激派の攻撃リストの上位だ。断続的に入るテロ情報の数は最近、増えている」と話す。「ヒンズー教徒は蚊も殺せない。イスラム教徒は人間を殺すこともいとわない連中だ。考え方が全然違うのさ」とさえ言う。そして付け加えた。
「ここはもう永遠にヒンズー寺院なんだ。その事実は変えられない」 【1月18日 産経】
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【インド人民党の凋落】
政治的影響としては、当然ながら野党・インド人民党(BJP)には大きな痛手となると思われます。
****インド人民党を苦しめる17年前の亡霊*****
インドの国会で「舞台」の幕が上がる。悪役は野党の指導者たち。彼らが17年前に起こした犯罪についての報告書が攻撃の材料になる。芝居がかった論争が繰り広げられそうだが、有益な結論が導き出せるかどうかは分からない。
この論争は、窮地に立って久しい野党インド人民党(BJP)にさらなる悩みを与えそうだ。暴力的なヒンドゥー至上主義を引きずっていたBJPの過去に再び光が当たりかねないからだ。
報告書で、BJPは92年にヒンドゥー教過激派が北部アヨディヤのモスク(イスラム礼拝所)を破壊した事件の責任を問われている。BJPのラル・クリシュナ・アドバニ元総裁は「とどめを刺される」ことになるだろう。

だがBJPにとって痛いのは、大きな影響力を既になくしたアドバニを失うことではない。むしろ問題は、BJPを脅かすヒンドゥー至上主義という過去の亡霊がよみがえることだ。
今の有権者はこんな過激なイデオロギーに関心はない。彼らが興味を持っているのは、過去ではなく未来の繁栄だ。
ヒンドゥー至上主義ばかりが強調されれば、BJPは与党でリベラルな国民会議派に対する保守的な野党としての立場を有権者にアピールするのが難しくなるだろう。
BJPには魅力的なイデオロギーもなければ、大衆に人気があって将来の連立パートナーにも受け入れられる指導者もいない。なのに党内は派閥争いで割れている。インドで政権交代を担える野党が生まれるのは当分先になりそうだ。【09.12.16号 Newsweek】
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与党・国民会議派が、ソニア・ガンジー総裁の長男、ラフル幹事長という“ネール・ガンジー王朝”の後継者を将来の切り札として持つのに対し、野党・インド人民党には指導者不在が以前から指摘されています。
今回報告書は、こうした人民党の状況をさらに厳しいものにしそうです。

【ひとは何故かくも憎しみあうのか?】
それにしても、なぜヒンズー・イスラム両教徒はかくもいがみ合うのか?
パレスチナなどの宗教対立や世界各地の民族対立でよく言われるのは、「昔はこんな対立はなかった。みんな仲良く暮らしていたのに・・・」ということです。
インドの場合も、そうです。

なぜ、昔は問題にならなかった対立が、近年になって激化するのか?
単純に考えると、昔は専制君主とか権力者などに支配される立場にあった異教徒・異民族は、支配者が特定の側を偏重する場合を除き、同じ支配される者として権力構造の外側におり、さほど対立する局面もなかったのでは。
それが、現代、自分達が主体となって国家を作る(それは、民主主義ということでもありますが)という段になると、誰が誰のためのどういう国をつくるのかという過程で、“自分達とは何か?”という意識がクローズアップされ、自分達とは異なる者との差異、その間での利害・理念の対立が強調されるようになり、(選挙を含めた)権力獲得競争となってくる・・・といった流れがあるように思えます。

愚かな人間の民主主義は、必然的に対立に至る・・・というのでは、あまりに愚かで救いのない結論です。
下手の考え休むに似たり・・・ということで、今日はここまで。

コメント
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