孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

アルジェリア  健康問題を抱える現職大統領の5戦出馬で抗議行動拡大 混乱へのフランスの懸念

2019-03-02 21:46:37 | 北アフリカ

(1日、アルジェで、デモ隊に阻まれるアルジェリアの警察車両【3月2日 時事】)

【長期政権を維持し、最近は健康問題で公の場には姿を見せない現職大統領、次期大統領選に出馬】
北アフリカのアルジェリア、あまり日本にはなじみがない国です。
思い出されるのは、2013年1月にイスラム系武装勢力が天然ガス精製プラントを襲撃したテロ事件で、日本人が10人犠牲なったことでしょうか。

現在、アルジェリアの大統領は81歳のブーテフリカ氏。
“治安が回復し、豊富な石油や天然ガスの輸出により経済発展を成し遂げたが、依然として失業率は高く、貧富の差は拡大している。また、資源による富も一部の政治家や軍、官僚にしか還元されていないと、野党などからは批判されている。”【ウィキペディア】といった評価です。

アフリカの多くの国同様に、長期独裁政権を維持しているとの批判も多々あります。(ブーテフリカ氏の大統領就任は1999年ですが,2008年には憲法改正で長期政権を可能にしています)

最近では健康を害し、公の場に姿を現すことはほとんどなくなっており、今年4月に行われる大統領選挙に出馬するかどうかが注目されていました。

****車いすの81歳アルジェリア大統領、5期目へ出馬表明****
2013年に脳梗塞で倒れ、車いす生活が続くアルジェリアのアブデルアジズ・ブーテフリカ大統領が10日、5期目を目指して4月の大統領選に出馬すると国営メディアを通じて発表した。所属政党と連立与党が出馬を承認したという。
 
病気療養中のブーテフリカ大統領は、公の場に姿を現すことはほとんどなくなっていた。だが、国営アルジェリア通信によると、4月18日の選挙に向けて沈黙を破り、自身の意向を表明したもようだ。
 
ブーテフリカ大統領は「もちろん、身体的には以前ほどの力はない。私はそれを一度たりとも国民に隠してこなかった」と説明。

「(大統領として)務めを果たしたいという断固たる願望は消えることなく、そのおかげで私は健康問題による制約を乗り越えられるようになった。これらの健康問題は、誰もがいつか直面する可能性のあるものだ」と述べたという。
 
猛暑の中でも三つぞろいのスーツを着用することで知られるブーテフリカ大統領は、長く続いたアルジェリアの内戦を終結に導き、尊敬を集めた。政府統計によると、内戦で命を落とした国民は20万人近くに上る。
 
一方、原油や天然ガスなどの炭化水素分野の輸出に依存するアルジェリア経済は、ブーテフリカ政権4期目に原油価格が下落したため大打撃を受け、今や25歳未満の国民の3分の1近くが失業中だ。

また、ブーテフリカ大統領は独裁的だとして人権団体や反対派から非難されている。 【2月11日 AFP】
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これはまったくの想像ですが、大統領選出馬は十分に公務を遂行できる状態にない本人の希望というよりは、彼を頂点として形成されている軍部を含む既得権益層の「現状維持」を求める意向に沿ったものではないでしょうか。

“辞めるに辞められない”という意味では、ジンバブエのムガベ前大統領とも似たものが感じられます。

【出馬への抗議デモで混乱 支配層のエリート全体への抗議にも】
一方、長期独裁政権、貧富の格差、若者の失業・・・ということで、ブーテフリカ氏出馬に対し、厳しい治安維持体制にもかかわらず激しい反対運動も起きており、混乱が生じています。

****アルジェリア大統領選、現職の5選出馬めぐり数万人が抗議デモ****
アルジェリアの首都アルジェで1日、4月に予定される大統領選挙への現職アブデルアジズ・ブーテフリカ氏の5選出馬に抗議して数万人がデモを行い、参加者と警察の衝突により警官数十人が負傷した。

ブーテフリカ氏は1999年から大統領職にあるが、2013年に脳梗塞で倒れて以降は車いす生活が続き、公の場にほとんど姿を現していない。

警察は、アルジェでのデモで警官56人、デモ参加者7人が負傷したほか、45人を逮捕したと発表した。

デモにはあらゆる年代の男女が参加し、禁止を無視して市の大通りを行進。国旗を振りながら、4月18日の大統領選に出馬するとのブーテフリカ氏の判断に抗議した。

治安筋によると、アルジェのほかにも、同国第2の都市オランや第3の都市コンスタンティーヌなど多数の市町でデモが行われた。

デモの規模は多方面に驚きを持って受け止められ、政権が近年最大の難局にあることの象徴となっている。

参加者はソーシャルメディアでの呼び掛けに応じて集まった人々で、今回のデモの目的について、4期20年の在任期間をさらに延ばそうとするブーテフリカ氏の動きだけでなく、支配層のエリート全体に抗議することだと述べている。

ブーテフリカ氏は2月24日、空路スイスに向かい、現在も帰国していない。大統領府は、スイス行きは「定期健診」のためだとしている。

ブーテフリカ陣営の選対本部長は一連のデモにもかかわらず、同氏は期限の3日までに立候補の届け出をすると述べている。 【3月2日 AFP】AFPBB News
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軍部や権力周辺取り巻き層にとっては、ブーテフリカ氏が仕事ができようができまいが関係ない話で、むしろ“名前だけの存在”でいてくれた方が何かと都合がいいのでしょう。たとえ“死体”でも選挙に担ぎ出すのでは。

【アルジェリアの混乱はフランス・マクロン大統領の悪夢】
こうしたアルジェリアの混乱を非常に懸念しているのが、旧宗主国で、地中海をはさんで対岸に位置するフランスだということです。

****仏大統領の最大の悪夢(アルジェリア情勢)****
先ほどは仏紙がアルジェリア情勢に大きな懸念を有しているとの報道を紹介しましたが、al qods al arabi net の別の記事は、仏大統領マクロンにとっての最大の悪夢は、アルジェリアが不安定化することであるとの仏nouvelle
observateure 誌を紹介しているところ、アルジェリアの地理的近さ、歴史的関係、経済関係(特に石油ガス)からすれば、おそらくこの見方は正しいのでしょう。
記事の要点のみ

仏誌はアルジェリアでの、ブーテフリカの死、革命、反乱の成功等の可能性が仏大統領府及び情報機関を悩ませる最大の要因だとしている。

同誌は、2月初めに仏有力者が、何がマクロン大統領の悪夢かと自問し、金融危機でもなく、ロシアのサイバー介入でもなく、米のイラン攻撃でもなく、アルジェリアの不安定化で、大統領はブーテフリカ死後の混乱を危惧していると指摘したと報じている。

この発言はブーテフリカの立候補に対する反対運動が生じる前まであった由

この旧植民地の不安定化が仏政府の最大の懸念であることには十分理由のあるところである。

仏外務省分析予測局は、2014年(前の大統領選挙の年)に書かれた報告書を再発行したが、その報告書は当時の外相に対したもので、最高権力者の死が一般的に不安定化を招くものではないとしつつ、権力者が老齢で、彼に権力が集中していて、その後継についての制度がない場合には、政治危機を招くとして、5つの国を挙げている。

それらの国は、このアルジェリアの他には、カメルーン、チャド、カザフスタン、エリトリア、カンボディアであった。

仏がアルジェリア情勢に懸念を抱く要因は多数あるが中で持つ意義の4つが最大の要因であろう

第1はアルジェリアが仏の最大のエネルギー供給源であること(天然ガスの10%を依存)

第2は、その場合数十万の青年(20歳未満の者が4200万国民の半数になる)があらゆる手段で、地中海を渡り、仏等を目指すからである

第3は、アルジェリア難民やアルジェリア系住民は、アフリカの出来事に重大な関心を抱いているからである

第4は、80年代の政治危機が過激派の台頭とその拡散をもたらしたことにある

としていて、アルジェリアの政治危機の再来は、仏の安全保障を脅かすであろうとしている。【2月7日 「中東の窓」】
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フランスにとって、植民地支配したアルジェリアは大きな“歴史問題”でもあり続けてきました。

****マクロン仏大統領、アルジェリア戦争時の拷問を認め、謝罪****
(2018年)9月13日、マクロン仏大統領は、1957年にアルジェでフランス軍に拘束され行方不明となったモーリス・オダン(Maurice Audin)の死について、軍の責任を認め、未亡人に謝罪した。

数学者でアルジェ大学教授であったオダンは、共産主義者でアルジェリアの独立を支持し、FLN(アルジェリア民族解放戦線)とも繋がりがあった。

マクロンは、Audinがフランス軍に拘束されたうえで拷問を受け、それによって死亡した、もしくはその後処刑されたとして、共和国の名において責任を認め、87歳の未亡人に面会し謝罪した。
 
今回の謝罪が実現するには長い時間がかかっている。2007年に未亡人がサルコジ大統領に手紙を書いたとき、返答はいっさいなかった。

一方、フランソワ・オランド前大統領は、2014年6月18日、オダンは公に言われているように失踪したのではなく、拘禁中に死亡したと発言した。

今回の謝罪の手紙と面会は、その延長線上にある。マクロンは、共和国議会の投票によって導入された「特別権力」のため、「逮捕・拘禁」システムが出来上がり、それがこの悲劇を招いたと説明した。軍の責任を認めつつも、軍だけでなく議会の決定で導入されたシステムの問題だと述べたわけである。
 
今回の措置により、フランスがアルジェリアの独立を阻止するため、拷問を含めた非人道的な措置を広範に用いていたことがはっきりした。

14日のルモンド紙の社説では、マクロンが決定的な一歩を踏み出したとして、アルジェリア戦争の過去を明らかにすることは、フランス・アルジェリア両国の和解にとって不可欠だし、アルジェリアにも同様の行動を促すことになるとして評価した。

アルジェリア側は公式には目立った反応をしていないものの、総じてマクロンの行為を評価する声が目立つ。一方、極右政党の国民戦線は、国民を分断させる行為だとして大統領を強く批判した。
 
自国の暗い過去を明らかにすることは、簡単ではない。それは指導者の決断がなければできないことである。しかし、ルモンド紙が指摘するように、これはフランス・アルジェリア間の真の和解を達成するには不可欠の行為と言えるだろう。

マクロンは就任前から、植民地主義を人道に反する罪だと述べるなど、植民地統治の関わる問題について積極的に発言してきた。この勇気ある行動が、フランスとアルジェリアの相互理解と過去の克服に繋がることを願う。【2018年9月18日 現代アフリカ地域研究センター】
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多くの国が、勇気をもって直面すべき歴史的課題を抱えています。

それはそれとして、フランスにとって一番厄介なのは、政治・社会の混乱の結果、大量の難民がフランスに流入することでしょう。

すでに大きなアルジェリア人社会を国内に抱え、多くの問題を有しているだけに、マクロン大統領もアルジェリアの動向は気が気ではないのでは。

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