(チベット人の学校でチベット語であいさつをする子どもたち=2019年3月6日、バイラクッペ【3月11日 朝日】)
【1959年のチベット動乱から60年】
****チベット亡命政府とダライ・ラマ****
1959年3月10日の「チベット動乱」でインドに亡命したチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世を中心に北部ダラムサラに樹立された政府。現在の最高政治指導者はロブサン・センゲ首相。
動乱では中国軍が進駐していたチベット・ラサで、中国によるダライ・ラマの拉致を疑った市民数万人が中国軍と衝突した。
88年にはダライ・ラマが独立ではなく外交・国防以外の「高度な自治」を求める「中道のアプローチ」を表明。中国側はこれを「憲法違反」として拒否している。
中国のチベット自治区では中国の抑圧的な政策に反発する僧侶らの焼身が相次いでいる。
ダライ・ラマは伝統的に死後に生まれ変わり(輪廻(りんね)転生)の子供を探して後継者を選んできたが、14世は生前の後継者指名なども選択肢に挙げている。【3月11日 毎日】
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3月10日でチベット動乱から60年ということで、ここ数日、各紙でチベットの記事を目にします。
****亡命政府首相、圧政終結訴え=チベット動乱60周年で式典****
チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(83)ら多数のチベット人が、インドなどに亡命するきっかけとなった1959年のチベット動乱から10日で60周年を迎えた
。亡命政府のあるインド北部ダラムサラでは式典が行われ、ロブサン・センゲ首相が「世界の自由を愛する人々は、(中国の)圧政を終結させることを約束してほしい」と訴えた。
センゲ氏は「59年の蜂起とその後の活動は、チベット人が一貫して権利、自由、正義のために戦ってきたことを示している」と述べ、抵抗運動への参加者を称賛。一方、中国政府が60年以上にわたり、チベットの言語や文化を抑圧してきたとして、「チベット文明を地上から消し去ろうとしてきた」と強く批判した。
式典には台湾など10カ国・地域の代表団が参加。抵抗運動の犠牲者に黙とうをささげた。【3月10日 時事】
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****「チベット動乱」60年 インドで中国抗議のデモ行進****
1959年にチベット住民が中国の弾圧に抗議して武力衝突した「チベット動乱」から60年となる10日、チベット亡命政府があるインド北部ダラムサラで中国に対する抗議のデモ行進が行われた。
主催団体によると、3000人以上が参加し、「自由が必要だ」などと叫んで中国側に「高度な自治」の実現を求めた。(後略)【3月10日 毎日】
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【現実の問題となるダライ・ラマ14世亡き後の空白】
チベットについては、2月16日ブログ“チベット 強まる中国政府の管理・統制 開けぬ展望”でも取り上げましたが、「開けぬ展望」という点で各紙の見方は一致しています。
チベットの将来展望を暗くしている要因は、大きく分けて三つ。
ひとつは、中国の頑なな姿勢が変化する兆しが全くないこと。
二つ目は、卓越した指導者ダライ・ラマ14世が高齢となり、後継者をどうするのかが現実的な問題となっていることです。
中国側は、チベット仏教の輪廻転生を利用する形で、中国政府の意に沿う人物を後継者に選定しようとしていますが、チベット側は伝統的な輪廻転生を放棄してでも、中国政府の介入を阻止したい構えです。
ただ、どう転んでも、(失礼ながら)ダライ・ラマ14世が亡くなった場合、その大きな空白を埋めることは不可能であり、チベット社会の統一が保てるか疑問があります。
****チベット亡命政府60年 ダライ・ラマ高齢化で岐路に****
チベット住民が中国の弾圧に抗議して武力衝突した「チベット動乱」を受け、インドに脱出したチベット亡命政府(インド北部ダラムサラ)の発足から今年で60年。
亡命チベット人はインドを中心に約15万人いるとされ、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が亡命社会の求心力となってきた。
だが83歳と高齢で、後継者が同様の求心力を保てるかは見通せない。また経済的な豊かさを求めてインドから欧米を目指す若者も増えており、亡命社会は岐路に立たされている。
斜面を覆う街並み。背後には雪山がそびえる。インド北部ダラムサラ。世界中の信徒がダライ・ラマに謁見するためこの地を目指す。だが今、14世の後継者が亡命社会を統合できるか不安視する声が出ている。
「既に対中国路線を巡って意見の相違がある。絶対的な指導者がいなくなれば対立が先鋭化する」。亡命チベット人のNGO「チベット女性協会」のドルマ・ヤンチェン会長(60)は今後を危惧する。
亡命社会では同会を含む五つのNGOが多くのメンバーや支持者を抱えて影響力を持ってきた。四つのNGOはダライ・ラマが将来的に目指すチベットの「高度な自治」を支持。
だが急進的な「チベット青年会議」はダライ・ラマの意見を尊重するとしながらも、「完全独立」を目指す。
ドルマ氏は「亡命社会は一丸となってこそ中国に対して要求を突きつけられる。だが内部でもめれば社会が空中分解する」と話す。(後略)【3月11日 毎日】
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チベット側としては、ダライ・ラマ14世存命のうちに、なんとか道筋をつけたいところですが・・・
****「14世が健康なうちに」亡命政府宗教・文化相、チベット問題の早期解決目指す****
チベット亡命政府宗教・文化相のカルマ・ゲレク師は11日、ダラムサラで毎日新聞の取材に応じた。ダライ・ラマ14世(83)について「彼ほど指導力がある人物は今後現れない」とし、「チベット社会全体をまとめられる14世が健康なうちに中国との問題を解決しなければならない。残された時間は20年もない」と述べ、早期の解決を目指す姿勢を強調した。
カルマ師は「14世が亡くなれば、亡命社会がまとまるか分からず問題の解決は難しくなる。14世が求めている『高度な自治』は中国にとっても良い解決策だ」と中国に対話を求めた。
また亡命チベット人社会の縮小を指摘し「文化の維持が難しくなっており、挑戦の時期に来ている」と説明。「僧侶になる人材も減っている」と述べた。
一方で「社会の縮小は自然な流れで止められない。パニックに陥っても仕方ないので前向きに考えている」とし、「人数は減っても文化を受け継ぐ質の高い人材を育てることが重要」と語った。【3月11日 毎日】
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中国側からすれば、急ぐ理由はありません。時間をかければやがてダライ・ラマ14世という“不倶戴天の敵”が消えていき、チベット社会の混乱という“つけ入る隙”が生まれるということですから、それまでじっくり待てばいいだけです。
【縮小する亡命チベット社会 文化継承も難しく】
チベット側が抱える三つ目の問題は、上記のカルマ・ゲレク師も認めているように、亡命チベット人社会が縮小し、文化の維持が難しくなっていること、言い換えれば、チベット社会が内部から変質しつつあることです。
この縮小・変質は、中国側の厳しい管理・統制によってインド亡命政府側への流入が極めて難しくなっていることと、チベット社会の若者が経済的理由などで外国へ転出していることによってもたらされています。
****チベット亡命政府60年 ダライ・ラマ高齢化で岐路に*****
(中略)また亡命チベット人約10万人が暮らすインドでは欧米を目指す若者が増えている。亡命3世でホテル従業員のテンジン・シェラプさん(25)も欧米への移住を希望する一人だ。
大学を卒業したが、インドではホテル従業員以外の職が見つからなかった。「父までの世代はインドで自由に信仰ができるだけで満足できた。僕たちの世代は自由な信仰だけでなく、経済的な豊かさもほしいんだ」と話す。
テンジンさんは欧米で活躍する亡命チベット人の女性ポップ歌手にあこがれる。「彼女はダラムサラで寺や貧しい人に寄付している。若い世代は亡命社会を捨てたいのではなく、むしろ貢献したい」
亡命チベット人が文化を維持してこられたのは、インド各地に共同体があったからだ。亡命政府も「言葉や文化の維持」を掲げ教育に注力してきた。
だが欧米に向かう人の増加に加え、中国の監視強化によってチベットからインドに逃れる人が激減し共同体は縮小傾向だ。
自身も米国に留学経験がある教員のツェテン・ドルジさん(52)は「欧米に向かう人が増えれば、文化の維持は難しくなるだろう。欧米に移住した本人は『チベット人』という意識は強まるが、世代を経れば、現地社会との同化が進んでいくのは他の移民を見ても明らかだ」と見る。
また社会活動家でジャーナリストのロブサン・ワンギャルさんは「欧米での文化や慣習の維持に取り組むことが必要だ」と指摘し、こう付け加えた。「我々は国土を失った民だ。このままでは数十年先に文化までも失いかねない」【3月11日 毎日】
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結果として、インドにおけるチベット社会・文化は衰退の運命にもあります。
****「中国に存在消される」チベット動乱60年、募る危機感****
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世がチベットからインドに亡命するきっかけとなったチベット動乱の民族蜂起から10日で60年。ダライ・ラマを追って多くのチベット人がインドに渡ったが、中国政府が統制を強めるなか脱出者が減っている。終わりが見えない難民生活も文化や言語の伝承に影を落としている。
ヤシの林を歩くサフラン色と赤の法衣をまとった僧侶に強い日差しが照りつけていた。インド南部バイラクッペ。インド最大のチベット難民居住地で約1万4千人が暮らす。
難民によって運営されている寄宿学校を訪ねると、ダライ・ラマの写真が飾られた教室で中学2年の子どもたちがチベット仏教の「思いやり」の考え方について議論していた。
ツェリン・パルデン事務長(65)によると、学校には4〜18歳の子どもが通う。9割の子がチベットに暮らす親の元を離れ、ネパール経由でここにやってきて寮生活を送る。親たちは幼い我が子を親類や仲介業者に託して、インドに送るのだという。
中国側の学校では中国語による教育が基本。ツェリンさんは「我が子に過酷な越境を強いてでも、チベットの言葉や文化を学ばせたいというのが親の切実な願い」と説明してくれた。
しかしこの5年間は、チベットからの入学者はいないという。中国当局による国境警備やチベットの人々への監視強化で、越境が難しくなったことが背景にある。1990年代、2千人近くいた児童生徒は900人弱にまで減った。
バイラクッペには祖父母や親の代から暮らす家庭の子が通うチベット人学校もあり、その児童生徒数も減り続けている。英語で学ぶ私立学校に通わせ、欧米の大学を目指す傾向が強くなった。寄宿学校に通うテンジン・チョギャルさん(18)も「両親と一緒に外国に住むのが夢」と言う。
「チベット社会のために働くと言っても教師か亡命政府職員くらいしかない。悲しいことだが、よりよい教育や仕事を求めるのはやむを得ない」。そう語るツェリンさんの娘2人も米国とスイスに渡った。
こうしたことが、チベットの伝統継承を難しくしている。40年前に亡命政府が設立した手工芸センターでは、がらんとした建物の中で女性2人がじゅうたんを織っていた。
サニモさん(46)は「20年前はここで70人が一斉に織っていた。今の若い子たちはやりたがらない」と話した。1枚を約20日間かけて織り上げる地道な作業。「作り手は年老いたり、海外に移ってしまったり。いつかはいなくなってしまうのだろう」
バイラクッペにたくさんあったチベット仏画の掛け軸「タンカ」の店は2店舗に減った。そのうちの一つを営むジグメさん(40)は「伝統の保護は大事だが、それだけでは生きていくのが難しい」と語った。【3月11日 朝日】
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時間は中国に味方しているようです。