家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

コンマ何秒

2010-01-14 09:05:33 | Weblog
春野に向かっていた。

前を走るのは新型デミオのモミジマーク付き。

ゆっくり走っている40~50キロ。

私も異存なかった。

この道路は40キロ制限が少しと、あとは50キロ制限だから。

市街地を過ぎて山に差し掛かると少し邪魔になってきた。

上りになるとスピードが落ちるしカーブの手前では必ずブレーキを踏む。

道幅も広く路面も良いのだから、50キロでそのまま走行して欲しかった。

トンネルを越えれば見通しの利くところがあるから、そこで追い越そうと決めた。

追い越し禁止のイエローラインは終わった。

少し右に曲がる道で対向車もないし後続車両もなし。

今まで車間距離をある程度置いて走行してきたがグッと詰めてから右側車線に出た。

前方に少し道幅が広くなっているところがあり、そこにバス停がある。

トラックなどは、そこに退避して、そこで後続車両を先に走らせることが多い場所だ。

デミオの後部と私のヴィッツの前部が重なったくらいのタイミングでデミオが右にウインカーを出して急に右に寄った。

ここは交叉点ではないので急に右に曲がることは想定していなかった。

急ブレーキをかけた。

接触することはなかった。

ドタッと後部座席に置いてあった荷物が下に落ちた。

何故かデミオは右側に逆駐車しようとしたらしい。

80歳過ぎくらいの爺さんが停まったデミオの中から私を見ていた。

若干下りの道路を利用してスピードを上げ一気に抜こうとしていたところなので、あとコンマ何秒かで接触していたに違いない。

道路端に子供がいたり動物がいたりすると特別に気を使う。

老人の自転車が走っていたりしたらもう充分な間隔を開けないと横は通れない。

それは不安には違いないが、それでも想定内という安心感は保っている。

今回予想外という恐怖を体験した。

慎重に運転していても起き得るあらゆる可能性のあることを確かめた。

通り過ぎて少し経ってから冷や汗が出てきた。

幸運なことに今日の愛妻弁当はおにぎりだったから何の被害もなかった。

年賀状事情

2010-01-11 09:00:21 | Weblog
年賀状をいただくと、それぞれにドラマがあるなと感じる。

家を新築したという人。

孫ができたという人。

離婚して立ち直った人。

脱サラした人。

温泉付きの別荘を買った人。

毎年ぼやく人。

全て毛筆で仕上げられる人。

きれいな写真入りから自分でイラストを書く人。

プロに依頼したと思しき笑えるイラストの物。

また会社で出しているような味も素っ気もない物。

それでも、その人らしいと思える。

こちらは出したが相手から届かない物もある。

きっと何かの事情があったのであろう。

ペットの写真だけの物は、まるで犬から送られてきたかのようだ。

ハガキを出したがメールで帰ってきた物もあり私がメールにしてもらったものもある。

毎年思うが花嫁姿の物は、どれよりも印象が強い。

こちらまで楽しくなるし希望が湧く。

皆さんの趣味や生活環境の変化また嬉しさが伝わってくる。

我が家はネコの麿君と一緒に撮影したが、それが楽しかった。

タイマーと麿君の動きや表情のタイミングが難しくて、かえって笑えてきた。

麿君が立ち上がったものを送ったら

「この動物は何だ?」

と言った人もいるらしい。

「ネコじゃないのネコネコ」

と言ったという話まで伝わってきた。

やはり楽しい年賀状。


57歳誕生日

2010-01-10 10:10:57 | Weblog
57歳になった朝、母から電話をもらった。

「おめでとう。あの日は寒かった・・・・・・・」

ありがとうを言った。

母からの、おめでとうは重さが違う気がした。

「ちょっと替わるね」と母。

「お誕生日おめでとう」少し棒読み的な祝を伝えてくれたのは虎太郎君だった。

孫ではないが小さな子からのおめでとうも格別だ。

妻と浜名湖沿いのレストラン「杜のふう」に行った。

洒落た和式建物の中で静かに誕生日の嬉しさありがたさを感じた。

食というのは、ありがたさを感じるにはもってこいだ。

何かを覚える後にもらえる犬のエサのようでもある。

箸でいただくフレンチだった。

濃厚だが、あっさり感じるし、多いメニューでも少なく感じる。

妻の友人からもお祝いのメールが届いた。

人の中に守られて住む居心地のよさを感じた。

三ケ日の海は風もなくキラキラ輝いていた。

私のこの一年も、このように暖かく穏やかであるなら嬉しいと思った。


ヅル取り

2010-01-09 09:32:27 | Weblog
春野町では蔓(ツル)のことをヅルと言う。

ツル類は、どの木にも絡まっていると言っていいほど多く見られる。

ツタやアケビ、フジなどが勢いよく木を登っている姿をよく見る。

絡まりつきが強くて樹木そのものを絞め殺してしまうような場合もある。

ツルは樹木の発育の妨げになるため根元を切って外す。

長い物は20メートル以上もあり根元の太さは直径3 4センチもある。

ナタで根元を切って引っ張る。

下から徐々に外れてゆき中ほどが取れると、あとは一気に落ちてくる。

ツルが巻き付いていた痕は、カサブタの外れた後のようにきれいな肌が現われる。

樹木が健康を取り戻してくれたような気になる。

ツル類は取り外しても再び芽を出し木に絡まりつく。

定期的に取り払う必要があるが、この根性は見習うべきものだと思える。

切り株にも絡まっている。

ただ大きくなっていこうにも本体の上は切り倒されているのだから行けるはずもない。

切り株の上で混乱しているように絡まっている。

生まれた場所が悪かった。

運が悪かったね。

そのツルも切って外してみると樹木の皮がそっくり外れてくる。

外からは見られなかった世界が現われる。

中は蟻類のエサになったのだろうか空洞になっているところもある。

土に返る直前の段階にも役に立っているのだなぁと思う。

梅の花と落雷

2010-01-08 09:15:29 | Weblog
めずらしく春野に行くのは今年まだ2度目。

梅の花がチラホラ咲き始めた。

ロウバイは良い香りを漂わせている。

家の中に入って雨戸を開け天井を見て愕然とした。

また濡れているではないか。

先日外壁や屋根を修理しているプロに話を聞いて自分の修理方法でOKだと確信していたのに。

昼食後にまた屋根に上って棟を外してみた。

水分など全く見当たらない。

いったいどこからやってくるのだ、この水分。

棟を戻して様子を見るしかない現状が情けない。

気晴らしに腰にナタとノコギリを付けて山林の中へ探検に出た。

以前から雑木が倒れていたことは知っていたがマジマジ見て発見した。

被雷による倒木のようなのだ。

幹の中ほどに痛々しく焦げ目がついている。

また絡まっていたツルにも電気が走ったようで、そのツルの痕も付いていた。

落雷のすごさが感じられた。

気田川まで下りると水量は少ない。

水は透き通っていて冷たさが見ただけで伝わりそうだ。

魚影らしきものは見当たらない。

畦のフキノトウは一個だけ見つけてあったが少しだけ大きくなっていた。

雑木をノコギリで倒したり杉に絡まるツルをナタで切ったりして戻った。

スッキリした。


88歳伯父の決心

2010-01-06 12:27:59 | Weblog
母と伯父(母の兄)を叔母(母の妹)のところに連れて行った。

叔母は部屋のドアを開けたとたん嬉しくて「待ってました」と言った。

老人たちの仕草は、まるで子供の仕草のようだ。

今年88歳になる伯父は自分の母親の亡くなった年齢に達したことを意識して過ごすと言った。

そして「動」を意識するとも言う。

「動は動くという字のドウだよ」と説明する。

人に迷惑をかけないように、また楽しく生きるには「動」しかないと。

口先ではなく体で動くことだと。

お供え餅をあげようと思ったら床の間が掃除してなかった。

そして地の神様も掃除してなかった。

その度に亡くなった妻のことを思い出し「あぁ、よくやってくれていたんだなぁ」という思いに至ると言った。


リンゴを食べようと思った。

だが妻の膝で麿君がスヤスヤと眠っている。

久しぶりに私がリンゴの皮を剥くことになった。

縦に切ろうと力を入れたらテーブルにまで包丁が達しで「カチン」と音を立てた。

「ああー恐い」と妻。

半分を、もう半分にして皮を剥いていた。

ある拍子にリンゴを床に落とした。

「大丈夫?」と妻。

でも剥き方はいいねと言っておいしく食べた。


伯父は事あるごとに妻を思い出すように私も私のできることが家庭内にもたくさんある事に気付いた。

緑化推進センター

2010-01-04 09:21:50 | Weblog
暖かいところで喰ってはテレビを見ていることに危機を感じた。

「運動不足だから、どこかに行こう」と意見は一致した。

ショッピングセンターは暖かくて歩き易いが人混みには行きたくない。

自宅から車で5分の所にある緑化推進センターに決まった。

緑化推進センターは浜松市営で4ヘクタールの敷地に15000本の樹木がある。

何枚も着込んで出かけたわりには手袋を忘れたことに気付いたのは車を出てからだ。

ほとんど人は居ない。

「虎太郎君(姪の子供)を連れてきたね」

「枯葉のカタマリの中を音を立てて歩いたっけ」

「おばあちゃんも連れてきたね」

「うんそうだったね」

と会話をしながらのんびり歩いた。

蝋梅(ロウバイ)の良い香りがしてきた。

見れば種がたくさん落ちている。

拾って袋に入れた。

タマムシの成育に必要な榎(エノキ)の実物を見た。

落葉しているし幹や枝を見ても、どこといって特徴らしいものを見つけられなかった。

種のような物も落ちていない。

池の周りにも人は居ない。

歩き目的で来ている人たちが、わき目も振らずにただ歩いている。

バラのアーケードを抜けると種がたくさん落ちていた。

「くろがねもち」「シナアブラギリ」「オオウラジロノキ」「つるうめもどき」

それぞれ大小の種を拾った。

木に着いている蕾(つぼみ)も地面に落ちている種も地味ながら希望を感じさせる。

これから花を咲かせ芽が萌える。

もう一度、あのころの虎太郎君やおばあちゃんと歩いてみたいと思った。

数字で見た去年

2010-01-03 11:06:26 | Weblog
去年を数字で見てみると自分の一面がはっきり分かる。

春野に通った数は128日。

ちなみに一昨年は125日で3日増加した。

365÷128=2.85

つまり3日に一度以上通っている。

通いに要する時間は往復で2時間。

2×128=256時間

1年のうち256時間を春野往復に要する車の中で過ごした。

距離は往復で90キロ。

リッター当たり15キロ走るヴィッツで往復すると

90÷15=6  6リッター必要になる。

リッター当たり120円として

120×6=720  720円かかる。

720×128=92160   1年に92160円かけた。

さて春野では林業的な作業に加えて家の修理改造をしたり木工したりして過ごす。

また草刈りは1000坪に及びドブ掃除は何十メーターにも及ぶ。

つまり身体を動かすことをしている。

月額7680円でスポーツジムに通ったと思えば考え易い。

ただし初めて見る花や初めて聞く小鳥のさえずりに出会う心地よさは山ならではだ。

そして絶えず気を張っていないと苦手なヘビや蜂などと出会うことも多い。

澄んだ空気の中で心身を鍛えることが出来て最高だと感じる。

往復の車内では韓国語の勉強ができるし、また立派な人物の公演録音を聞くこともできる。

春野に行くということは何と実りの多いことか。

ただお金に結びつくものが皆無。

これが痛い。

あと一鳥欲しいと望むのは、すでに1石何鳥にもなっているから欲張りなのかな?