第2514回や第2896回で取り上げた中国の大手太陽電池メーカーSUNTECHに買収されたMSKのその後の興味深い話題がありました。
西日本新聞より
従業員が事業買収 「職場残したい」 大牟田市の太陽電池製造工場
今年2月に閉鎖された大牟田市四箇新町の太陽電池製造「MSK」福岡工場の従業員らが、EBO(従業員による企業買収)によって会社から事業を買い取り、10月に操業を再開する。「職場を失いたくない」と従業員が団結し、地場ファンドが後ろ盾となって実現した新会社誕生劇を追った。 (大牟田支局・笠島達也)
■地場ファンドが後押し
今年2月、東京・新宿のMSK本社。突然呼び出された福岡工場長=当時=の田嶋教弘さん(59)は、同社幹部から工場閉鎖を告げられた。昨秋から市況が悪化し、生産調整を続けていたが「まさか、いきなり閉鎖とは。ぼうぜんとなった」。
昨年8月に同社を買収した中国サンテック社の生産合理化策の一環だった。同工場で手掛けていた発電用パネルの生産を中国に全面移管するという。
同工場は、大牟田市の工業団地「大牟田テクノパーク」で2004年9月に操業を開始した。実は、市の産業振興担当部長として同工場の誘致に奔走したのが田嶋さん。市を早期退職し、工場長に就いた。
「せっかく呼んだ工場をつぶすわけにはいかない」。今月14日、MSKと事業譲渡契約を結ぶまで、その一念だった。
■35人の奮闘開始
「私たちでこの工場を守れませんか」。工場に戻った田嶋さんの報告を聞いた従業員の1人、河野智保さん(35)が口を開いた。EBOという手法は知らなかったというが「和気あいあいとした職場を失いたくなかった」。
「よし、やろう」。田嶋さんのもとに残った従業員35人の奮闘が始まった。田嶋さんはさっそく本社側にEBOを提案。熟達した従業員ごと事業譲渡した方が何倍も売却額が高いことから、本社側も理解を示し、解雇期限を延長してくれた。
本社の交渉窓口となったのが、当時の財務部長西堀考雄さん(39)。資金調達のためファンドを駆けずり回ったが「短期で転売し利益確保する」というファンド特有の条件がどうしても障害になった。
■交渉を乗り越え
思わぬ救世主が現れる。3月末、西日本シティ銀(福岡市)など地元5行や中小企業基盤整備機構でつくる「九州ブリッジファンド」の責任者、中西雅也さん(31)が、田嶋さんらの計画を知る。
同ファンドは、最長10年かけ、地場企業の事業継承を支援するのが目的。うってつけの対象だった。中西さんは、田嶋さんや従業員ととことん話し合った。
「これが閉鎖された工場か」。中西さんに伴われ工場を訪れた地銀関係者は、清掃や機器整備などに生き生きと励む従業員の姿に驚き、口々に「この案件をぜひ成功させてほしい」と激励した。
困難な交渉を乗り越え、本社側がEBO受け入れを内諾したのは8月中旬。「やりましたね」「ありがとうございます」。携帯電話で中継しながら、中西さんらファンドのスタッフは福岡市で、従業員らは大牟田市で乾杯した。
■本番はこれから
事業継承会社YOCASOL(ヨカソル)は、九州弁の「よか」とスペイン語で大陽を表す「ソル」を掛け合わせた。従業員みんなで考えた。
田嶋さんは会長に就任。西堀さんは6月にMSKを退社、新社長を務める。「一工場を企業として独り立ちさせるため、自分の経験を生かしたい」という単身赴任だ。
丸紅(東京)も資本参加し、課題だった安定的な部品調達と販路確保にも道筋が付いた。
「これからが本番。いい意味でプレッシャーです」。河野さんが表情を引き締めた。=2007/09/23付西日本新聞朝刊=
同じ太陽光発電の仕事に携わっていた身としては、何だか身につまされるような話でつい応援したくなります。
中国の企業に買収され、今度は市場の停滞で工場閉鎖と踏んだりけったりとはこのことでしょうか。こんなところにも日本政府の策の無さが影響していると言えば言い過ぎでしょうか。
そうじゃないでしょう。やはり太陽光発電に対するきちんとした政策があればドイツに負けない伸びをもたらしていたはずです。そうであれば、中国の企業に買収されることも無かったでしょうし、ましてや工場閉鎖なんて話どころか、今頃は大幅増産に工場増設なんてことになっていてもおかしくない情勢だったはずです。何とか上手く行って欲しいですね。
これが、シャープや京セラなど大手の行く末を暗示しているなんてことにならなければ良いのですが、今のままの日本政府の政策ではそうならないとは言い切れないものがありそうです。
本当に情けない政府を持ったものです。それでも安倍さんは少しはその気になってきたようにも見えていたのですが、小泉さんの前の派閥政治に帰ってしまった福田内閣ではその期待も無理な気がします。
いよいよ日本の終わりかも!