満州については第4961回の「凄すぎる日本」で動画を紹介させてもらいましたが、あの動画を見ると、如何に日本が素晴らしい国を創り上げていたかに感動します。
あれだけ、素晴らしい都市を短期間で創り上げた先人の凄さにただ驚くばかりです。あのまま、満州が順調に建国されていたら日本だけでなく世界も大きく変わっていたのじゃないでしょうか。
ねずさんがその満州について詳しく書いてくれています。第336回の「嘘ばかりの慰安婦問題」でも取り上げた鳴霞(めいか)さんって満州の出身だそうです。
ねずさんの ひとりごとより 2015年05月26日
ある女性たちの遺書
…略
いま、支那の東北省となっているところは、かつての満州帝国でした。
その満州のご出身の方に、鳴霞(めいか)さんとおっしゃる方がいます。
「月刊中国」の日本語版の主編をしておいでの方です。
彼女は、女真族の出身です。
つまり、生粋の満州人です。
そして彼女の親は彼女に「ここが満州国だった時代、家に鍵なんてかけたことなんてなかったんだよ」と何度も話してくれたそうです。
満州国は、日本と同じだったのです。
犯罪がない。…中略
新たに建国された満州国における皇帝と、清王朝(大清帝国)では、名称は同じ「皇帝」でも、皇帝の位置づけは全く異なるものでした。
清王朝(大清帝国)の皇帝は、政治の三権(行政権、司法権、立法権、国家緊急権(軍事権))のすべての権限を保持していました。
けれど、満州国皇帝は、人物は同じ愛新覚羅溥儀ですけれど、日本の天皇と同じく、政治の大権は保持しません。
国家の最高権威として存在し、政治権力は内閣に委ねるという形がとられました。
そして満州国の住民は、満州国皇帝によって「おおみたから」とされました。
つまり、満州国は、日本と同じ統治の方法を取り入れたのです。
これによって満州に住む全ての民衆は、政治権力者と人として対等な存在となりました。
つまり、人間としての尊厳を誰もが認められるという体制になったのです。
そして高いレベルの教育、高度に成長した経済によって、人々は、家に鍵などかけなくても、誰も泥棒になんて入らない、日本と同じように安心し、安全に暮らせる国家を築いたのです。…以下略
これは、全く知りませんでした。やっぱり、戦前の日本人は今の日本人とは全く違いますね。こんな素晴らしい国とは驚きです。この国は世界の模範となる 試みだったんですね。これを、素直に世界が認めてその考えを取り入れていれば、今頃世界は本当の平和を手に入れていたかもしれませんね。それが、理解できなかった欲にまみれた中国や欧米の愚かさが悔やまれます。何とも勿体ないことをしたものです。
ねずさんが、動画も上げてくれています。例によって、本分はリンク元で是非読んでください。ある女性たちの遺書の意味もわかります。