今日も、ねずさんが目から鱗の話をしてくれています。何故日本に「あいうえお」があるのなんか考えたこともありませんでしたが、その裏には、素晴らしい日本の歴史があったようです。
何時ものように、全文はリンク元で読んでください。又しても、日本の凄さを知り、日本人であることを誇りに思えます。それにしても、ねずさんはどんな勉強をされたのか今更ながらに感心せずにはいられません。
やはり、日本人皆が、ねずさんの歴史を知るべきですね。特に、外務省には勉強してもらいたいし、それを知らないような者は外務省に入れないようにすべきです。
小名木善行 ねずさんの ひとりごとより 2015年10月23日
古事記の序文に、天武天皇の詔(みことのり)として、次の記載があります。
「天武天皇は申されました。
『諸家が持っている帝紀や本辞は、
事実と異なるし、
またその多くに虚偽の記述がある。
いまその誤りを改めなければ、
幾年も経ないうちに、
日本はなくなってしまうであろう。
歴史は国家の大本です。
そこで巷にある様々な帝紀から撰録し、
旧辞を取捨選択して、
偽りを削り、まことを定め、
後の世に伝えたいと思う。』」
この一文は、重大な事実を物語っています。
古事記の前に、諸家が、諸家ごとに、さまざまな史書を伝えていたということを、明確に示しているからです。
そしてこのことは、実は「古事記以前に書かれた史書があった」というだけにとどまりません。
古事記以前に書かれていた史書が、諸家ごとに、それぞれの地に古くから伝わる神代文字で書かれていたことをも同時に暗示しているからです。…中略
古事記の時代、天智天皇、天武天皇の時代というのは、
一方に、日本語の表記が、各地方ごとに全部バラバラで、異なる神代文字が使われているという状況があり、
一方に、他国侵逼の国難が迫っているという、
国家緊急時の時代です。
そのようなときに、どの神代文字を我が国の共通語にするかで、国内で喧々諤々やっていては、もう間に合わないのです。
であれば、「外国語」として国内に広く普及している漢字を、この際、共通文字として日本語表記に使ってしまえ!というのが、実は、古事記における初の試みであったわけです。
こうしてカナとして用いられるようになった漢字は、時代とともに万葉仮名となり、そしてそれらがさらに草書体となることによって、ひらかなが生まれました。
そして神代文字からは、種々の神代文字から「いいとこどり」したカタカナが生まれました。
つまり、ひらがなも、カタカナも、もともと神代文字があったからこそ生まれた文化なのだと考えた方が、明らかに歴史を合理的に説明できるのです。
そして日本に、漢字渡来以前に、すでに高度な文化文明が栄えていた事実も、これによって裏付けることができます。
神代文字は、縄文時代の土器や、弥生時代の石版や、銅鏡、銅矛にも、たくさん見出すことができます。
いまは、それらが「意味不明のただの模様」として扱われていますが、実は、それが神代文字である可能性が高いのです。
そもそも「漢字以外は文字として認めない」というのは、日本の戦後の左巻きの考古学者の実に身勝手な言い分です。
決めつけ、線引は、政治です。
学問は探求です。
この分野におけるこれからのもっと盛んな研究が望まれます。
この動画も良いですよ。何度見ても素晴らしい。