シャープの創業者がどれだけの苦難を乗り越え て今の会社を立ち上げたか を、ねずさんの早 川徳次と人生のスイッチで、知っていただけに、今の体たらくを見たら何と考えるだろうと思わざるを得ませ ん。
というのも、その苦難が、並のものじゃないだけに尚更そう思ってしまいます。サラリーマン社長と創業者社長の差とい うには、 余りにも違いがありすぎるのじゃないでしょうか。その苦難の人生は、是非、ねずさんのところで読んでください。感動しますよ。
産経の記者の方にも、そんな思いの人が書いてくれた記事がありました。
産経WESTよ り 2016.3.24
【経済裏読み】創 業者の理念に背いたシャープ、高橋社長が招いた自主再建断念…液晶分離、必要性に気付いたときには手遅れか
いたずらに規模のみを追わず-。経営再建中のシャープは創業者、早川徳次氏の言葉をもとにした経営理念でこう戒める。高橋興三社長は「創業者精神の伝道 師」を自認してきたが、おそらくラストチャンスだった新中期経営計画を発表した昨年5月の段階で、売上高の“規模”で 「3兆円企 業」の維持を優先し、不振の原因の液晶事業の切り離しを拒否した。日々悪化する業績にすぐに「液晶さえなければ…」と社外分社の 検討を始めたが、情勢はときすでに遅し。理念に背いて規模にこだわったことで自主再建の道を閉ざした。(松岡達郎)
病巣摘出を拒否
「売上高全体の3分の1を占める液晶をなくしたら中期経営計画(の業績)が成り立たない」
昨年5月、液晶事業の不振などの影響で破綻した旧中期経営計画に代わる計画を発表した会見で、高橋社長は、液晶の社 外分社化 などをきっぱり否定した。
いわば「売上高3兆円企業」の規模を前提とした業績目標を維持するため、業績悪化の原因といえども売上高が1兆円近 くあった 液晶の摘出を拒否した。関係者は「あの時点でも売上高だけでなく、利益も液晶で稼ぐ構造を変える決断ができなかった」と指摘す る。
関係者によると、昨春に再び経営危機が表面化して以降、主力取引銀行は、好不調の波が激しく業績の不安定要因となっ ていた液 晶事業の本体から切り離すことを要求していた。シャープは、液晶を含めた事業を社内カンパニーに再編することを柱とする中期経営 計画で、液晶について「将来の分社化を視野に入れる」と記述することで合意していたが、発表直前にこの部分を削除したと いう。
土壇場の翻意は、主力取引銀行側は「支援の前提が崩れた」と強い不満を招くことになった。
3兆円の呪縛
もともとシャープは経営理念の冒頭で「いたずらに規模のみを追わず…」と記す通り「身の丈経営」が信条だった。
変化したのは、液晶事業の躍進で家電の勝ち組に位置付けられてからだ。ブラウン管を自社生産できなかったシャープ は、かつて テレビ事業で存在感が薄かったが、電卓の表示装置として世界で初めて実用化した液晶の高画質化に成功したことで成長軌道に乗っ た。ある幹部は「テレビの心臓部を自社生産できなかった二流意識が液晶開発で変わった」と振りかえる。
昭和60年ごろには数十億円規模だった液晶事業の売上高は伸び続け、平成19年3月期には1兆円を超えるまで成長。 このと き、ついに全体の売上高が3兆円を超えた。19年3月、液晶事業の拡大路線を推進した町田勝彦氏は片山幹雄氏(現日本電産副会 長)に社長を引き継ぐことを発表。このタイミングの交代について「売上高が3兆円を超える見通しになるなど区切りがつい た」と力 を込めた。
19年8月には、会長に退いた町田氏が大阪商工会議所副会頭に就任し、会見で「これまで身の程をわきまえた経営をし てきた が、売上高3兆円を超えて社会貢献は当り前になった」と胸を張った。
いつしか、シャープ経営陣から建前以外で「身の丈経営」「規模を追わず」という言葉を聞くことがなくなった。
理念に背いた
「全部正しい。すばらしい創業の精神があったのに…」
25年6月に就任した高橋社長は、かつて「新生シャープはどういう会社か」と問われ、経営理念を示してこう唇をかん だ。
巨費を投じて世界最大規模の生産能力を備えたところで、リーマン・ショック後の景気減速と円高の影響で需要が激減 し、大量の 在庫を積み上げる結果を招いた。高橋社長は、こうして巨額赤字と経営危機を招いた過去の経営との決別を宣言し、「いたずらに規模 のみを追わず」とはじまる経営理念を順守する原点回帰を掲げた。
同時に、経営トップの判断に意見しない上意下達の強すぎる企業風土が経営危機の背景にあると判断。過去にあったもの を「けっ たいな文化」として改革に着手した。社員が指示を待たずに自分で判断する意識改革や国内の工場や営業所訪問での社員とのコミュニ ケーションに熱を入れ、フラットな職場づくりに注力した。
ところが、肝心の事業構造については「健康・環境機器と液晶が成長ドライバーだ」と宣言し、収益の柱に経営危機の原 因となっ た液晶を掲げ続け、収益構造の抜本的な改革や不振事業の整理に踏み切る決断をしなかった。
幸か不幸か、高橋社長の就任1年目は液晶事業が復調した影響で全体も黒字転換を達成した。このことが逆に液晶事業を 含めた改 革も遅らせたともいえる。
関係者は「社員がやる気を出せば結果が出ると奮起を促し続けた。ボトムアップに期待し過ぎて、経営トップの本来の仕 事である 経営判断を置き去りにした結果、構造改革が遅れた」と指摘する。
企業風土改革や社員とのコミュニケーションは平時には効果的だったかもしれないが、経営危機という非常時には強権を 発動して でも抜本改革に手を打つ 必要に迫られる。その経営トップの本来の仕事である経営判断が遅れたこともあり、一昨年秋から液晶事業が再び不振になると本体も 経営危機に陥った。
さらに主力取引銀行から業績の浮き沈みの激しい液晶事業の切り離しを求められても経営者としての決断を先送り し、売上 高の3兆円規模をいたずらに追ってしまった。
そして、立て直しが急務だった液晶事業の善後策も放置して「液晶さえなければ…」と切り離すしかない状況に追 い込ん だ。
高橋社長は昨年10月、経営の優先順位を間違ったとして、社員を前に「けったいな文化である過去の破壊に注力 していた ことは私の大きな反省」と懺悔(ざんげ)した。
こうして創業者精神の伝道師自らが理念に背く結果になったことが自主再建の断念につながったのかもしれない。
私も感動したと書きましたが、所詮自分で経験したことじゃ無いですから、ご本人の本当のご苦労や気持ちが判るはず は、ありま せん。今の社長だって、結局は表面だけで理解したつもりになっていたのじゃないでしょうか。その苦労と精神力は到底、創業者のそ れに及ぶことはないでしょう。
と言うか、今の日本のサラリーマン経営者に、こうした創業者の素晴らしさを引き継いでいる人がいるとはとてもじゃな いが思え ません。それが、今の日本の経済の停滞の原因の一つじゃないかと思わざるを得ません。
80年代に相次いで引退していった、この早川さんや本田宗一郎さん、松下幸之助さんのような、戦前の精神を受け継ぐ 経営者を 日本がもう一度持つことができれば、再生も夢ではないのじゃないでしょうか。