「日本のこころを大切にする党」の西村眞悟さ んがブログに興味深い話を 書いてくれています。かなり長いので、全文は、是非、リンク元で読んでください。
その中で、私が反応したのは本筋とは少し外れるのですが、十字軍のやったことです。これは、衝撃でした。十字軍と言 えば、私 などは正義のように教わってきたので、ここまでは想像していませんでした。やはり、洗脳されていますね。
西村眞悟の時事通信 平 成28年 3月25日(金)
酋長シア トルの予 言
昨年のパリに続いてベルギーのブリュッセルが無差別テロに襲われ、
おびただしい無辜の犠牲者がでた。
その犯行の声明を発したのはISイスラミック・ステートで、声明の中に、
十字軍という言葉を使っていた。
その十字軍という言葉から、
ヨーロッパと中東から東に遠く離れた我々日本人が体験したことのない
キリスト教徒の歴史に刻印された無辜を異教徒というだけで殺戮する原風景を思った。
四世紀にローマ帝国の国教となったキリスト教は、
ローマの版図にあるヨーロッパ諸民族の宗教となり、
彼らキリスト教徒達は、十一世紀から二百年にわたって、
聖地エルサレムをイスラム教徒やユダヤ教徒から奪還するため、合計八回の十字軍を中東に送った。
第一回の十字軍(一〇九六年)が陥落したエルサレムで何をしたのか。
フランク王国の記録と従軍したフランス人聖職者の手記は次ぎのように伝えている。
「我らの同志達は、大人の異教徒を釜に入れて煮たうえで、
子ども達を串刺しにしてむさぼり食った。」
「聖地エルサレムの大通りや広場には、
アラブ人の頭や腕や足が高く積み上げられていた。
まさに血の海だ。しかし、当然の報いだ・・・
アラブの人間たちが汚したこの聖地を、
彼らの血で染めることを許したもう『神の裁き』は正しく、
賞賛すべきである。」
そして、その後七度にわたって繰り出された十字軍も
同様な殺戮を「神の名において」行ったのである。
殺戮のターゲットは、アラブ人とユダヤ人である。
キリスト教の驚くべき独善と原理主義による殺戮である。
彼らは、ナチスが二十世紀にヨーロッパの真ん中でしたことを、
千年前から中東でしてきたのだ。
この度のISの発した声明の中で使われた十字軍という言葉は、
アラブ人に刻印されているこの十字軍による殺戮の記憶から生みだされてきた。
現在の彼らの世界におけるテロとテロとの戦争は、
キリスト教による千年の殺戮の歴史に根ざしており、
どうしようもないほど根が深いと思わざるをえない。
このテロが止まらないということは、
一神教文明の限界が来ているということではないか。
その後、
「神の名において」十字軍を中東に繰り出したヨーロッパ人(白人)は、
近世に入りコロンブスの「アメリカ発見」と
バスコ・ダ・ガマの「インド航路発見」によって、
同じく「神の名において」、
今度は、南北アメリカへの入植とアジア・アフリカの植民地化に乗りだし、
以後、四百年にわたって地球を支配するに至った。
この白人の数百年にわたる植民地支配を止めて打ち砕いたのは、
二十世紀の我が国の戦いであった。
このこと、日本人は忘れてはならない。
なお、この白人による植民地支配と
我が国が二十世紀に朝鮮を併合し台湾を領有したことを、
同じ植民地支配だと思い込んでいる人々がいる。
これは全く違う。天地の違いがある。
キリスト教徒である白人は、植民地の異教徒にして有色人種である原住民を
人間だと思わず、他の家畜と同様だと思って支配したのである。
これに対して日本人は、併合と領有によって朝鮮人も台湾人も日本国民になったとして
同胞・はらからとして対処し、
朝鮮と台湾の近代化と人々の民生安定に努力したのである。
ヨーロッパ人が信じるキリスト教という一神教は、
異教徒を人間と思わないで対処(殺戮、虐待、溺愛)することができる
恐るべき宗教であることを忘れてはならない。
さて、殺戮し殺戮される側の双方の宗教であるユダヤ教とキリスト教とイスラム教は、
ともに旧約聖書に系譜が記されたアブラハムを祖とし崇敬する親戚同士のような一神教である。
にも関わらず、何故、長年にわたって、また現在に至っても、 殺戮し合うのであろうか。
この疑問を抱くと同時に思うのは、
我々日本人の「日本に生まれた幸せ」である。
我らは、ユーラシアの遙か東にあって、
これらの一神教が中東で生まれる二千年前の
遙か以前から伝わってきた精神世界を持ち続けながら現在に至っている。
つまり我らは、ヨーロッパ諸民族のように、
一神教によって、それ以前のこころと精神を奪われてはいないのだ。
そして、また思う。
ヨーロッパのキリスト教などの一神教の歴史は新しく、
人類の精神史から観れば「新興宗教」の部類に入るのではないか。
従って、それ以前の我々日本人の信仰こそ、
普遍的であり根源的であり本当の意味の宗教ではなかろうか。
そして、現在は、この普遍的で根源的な精神世界は、
白人の数百年の支配の中で、地球の各地で消し去られ滅ぼされていった。
しかし、我々の精神世界は滅ぼされてはいない。
このように思ったのは、
我々日本人と数万年前に同じ先祖をもっている
アメリカインディアンのスクァミッシュ族の酋長シアトルが、
住居地から退去して白人が決めた居留地に移住するように命じた
ワシントン総督のアイザック・スチーブンスに、
百五十年前に提出した「抗議文」を読んでからだ。…以下略
やはり、キリスト教など一神教は恐ろしいですね。神道の素晴らしさを思わずにはいられません。
偶然でしょうか、ねずさんも支那の恐ろしさを書いてくれています。ここでも、ねずさんが教えてくれた、シラスのあり 難さが身 に沁みます。
小名木善行 ねずさんの ひとりごとよ り 2016年03月30日
中 世の支那
…略
『入唐求法巡礼行記』
円仁(第三代天台座主:慈覚大師)
皇帝の討伐軍は、叛乱軍が立てこもる州の境界線で、叛乱軍の激しい抵抗にあって攻め込みきれないで境界線上にとどまっていまし た。
すでに多くの日数が費やされています。
皇帝からは進軍を促す催促が、毎日、矢のように来ています。
けれども叛乱軍の抵抗が強くて前に進めません。
ところが追討軍が前線から進められないでいることを、中央で「あやしんでいるらしい」というのです。
それを知った征討軍はびっくりして、戦線付近の牛飼いや農夫たちを捕まえて、これを叛乱軍の捕虜と偽って、長安の都に送 りまし た。
長安では皇帝から勅令が発せられ、儀礼刀が賜(たまわ)られ、街頭でその偽りの捕虜たちの処刑が行われました。
捕虜たちは、三段に斬られ、あるいは左右両軍の兵馬が、彼らを取り囲んで捕虜たちを撲殺しました。
かくて前線からは、続々と捕虜たちが送られて来るようになり、兵馬は休みなく往来し、市街で殺された死骸は道路に満ち、 血は流れ て土を濡らし泥となりました。
これを見物する人も道にあふれました。
皇帝もときどき見物にやって来ます。
一般のウワサでも、「護送されてくるのは叛乱軍ではなくて、近隣の牛飼いや農民ばかり、罪もないのに叛徒に仕立てあげら れて捕ら えられて来たものだ、皇帝の軍隊はまだ州の境界線を突破できず、皇帝に戦果の上がらないのを怪しまれないようにするために、むや みと罪もない人民を捕まえては都に護送しているのだ」と、言っています。
もう誰もが知ることなのです。
にもかかわらず、そんな捕虜たちを、左右両軍の兵士どもは、斬り殺しては、その眼肉を割いて食べています。
だから市中の人々は、いずれも今年はなんと不吉な年かと言っています。…以下略
日本人は、やはり、世界とは違いますね。ここまで追い詰められても、日本人は罪の意識に苛まれるのです。私だって、 同じ立場 に立ったら、辛抱できる自信は持てません。それでも、日本人は当たり前とは絶対に思わないでしょうね。それが、日本人の凄さで す。