戦後は、歴代天皇の名前を暗証することもなかったので、あんな大変なことやらされなくて良かったかなと思ってましたが、歴史に興味が湧いて来ると覚えていたら歴史も楽しかったのじゃないかとかんがえるようになりました。
というのも、日本史では主な事件の年代を覚える程度なので時系列が繋がらないのです。ところが、ねずさんが、21日、第2012回の「★舒明天皇か ら天智天皇、天武天皇、持統天皇までの流れの概括」で、書いたように時系列で書いてくれたので、俄に歴史が分り易くなりました。
やはり、全部覚えていれば歴史を楽しめたのはまちがいなさそうです。何て、考えていたら、今日のブログで、その前の天皇を時系列で取り上げてくれていました。
やはり、名前と出来事が繋がるのは面白そうです。とは言え、今更覚える自身も根性もないので、あっさり諦めます。
何時ものように、全文をリンク元で読んでください。
ねずさんのひとりごとより 2019 年 12月19日
勇気とやさ しさと責任感
・・・略
神語によれば、我が国に稲作をもたらされたのが迩々芸命(ににぎのみこと)。
その曾孫の神武天皇は、我が国が未曾有の災害に襲われて人口が3分の1に減ったとき、備蓄米を被災地に全国規模で融通し合う ために、日本全国がひとつ屋根の下で暮らす家族となろうと、日本を建国しました。
これこそが我が国の建国の原点です。
16代仁徳天皇は、その稲作による民のかまどの煙を視て税の減免処置を図り、民衆の幸せこそが皇国の幸せと明言され、
21代雄略天皇は仁徳天皇を手本に民衆が豊かに安全に安心して暮らせる国作りを進められました。
さらに33代推古天皇の時代には、聖徳太子があらわれて外圧に対する我が国の自立自存を明確に打ち立てられ、
34代舒明天皇は、民衆が素直な心で何事にも感動できる心根の良い国作りを提唱され、
38代天智天皇は、我が国に公地公民制を敷かれて民衆が天皇の「おほみたから(公民)」であることを示されました。
40代天武天皇は、お伊勢様を我が国の祖神とされ、記紀の編纂を命じられ、
41代持統天皇は、わが国初の「日本」の国号を顕わし、また征服や征圧ではなく、教育と文化によって国をひとつにまとめる方 向を示されました。
こうして126代、我が国はずっと天皇の慈愛のもとに、民衆の幸せこそが国の幸せという国柄を形成してきました。
そこにあるのは、
「災害対策国家」としての国の形であり、
天皇みずからが
「勇気とやさしさと責任感」
をお示しになられることで、国民の誰もが「勇気とやさしさと責任感」を共有する社会の姿です。
そしてこれこそが、私達が取り戻さ泣けばならない、本来の日本の形です。
それにしても、こんな凄い国が出来たのは、やはりねずさんの言われるように、災害列島という地の利だったのでしょう。正に「禍転じて福となす」ですね。何とも凄い国です。何とか取り戻したいものです。