団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★バイデン大統領性差別改革でアメリカ大混乱か

2021年01月27日 | アメリカ

 我那覇さんが就任式の後のワシントンの状況を報告してくれています。何と、ニセ大統領が性差別問題で早速トランプさんの止めていたものを解放したようです。

  やはり、アメリカの腐敗は日本以上のようです。我那覇さんが留学していた頃はこれ程酷く無かったということは、やはりChinaの工作が一気にやられたということでしょうか。

  となると、次は日本と言うことも考えられます。やはり、反日売国左翼・在日共の一掃が急がれます。


  我那覇さん、トランプさんの逆襲まで滞在するのでしょうか。早く帰って来て知事選に備えないと沖縄が益々劣化しているようで心配です。


★台湾新幹線の新車両、日本側の提示価格高騰で破談

2021年01月27日 | 台湾

 日本の命綱とも言える台湾で、新幹線車両が高すぎて契約破談と言う問題が起きているようです。これは、大問題です。

  価格が、8年前の2・5倍だそうです。デフレで価格低下の日本で何故そんな数字が出て来るのでしょうか。
  まさか足元を見て提示したなんてことは無いと信じたいが、劣化の酷い産業界だけにありそうにも思えます。

  こんなことで、台湾との亀裂が広がるなんてことにならないことを願いたい。


  競合相手がいなかったので甘く見たのでしょうか。何だか嫌な感じです。


★テキサス州、早速政府を提訴

2021年01月27日 | アメリカ

 下でも書いたように、喪失感に教われていますが、嬉しい情報もあるようです。何と、あのテキサス州が国を提訴してくれたようです。
  最高裁は今度も恥さらしなことをやるのでしょうか。

  カナダ人さんが詳しく語ってくれています。テキサスの提訴だけでなくペンシルベニアの不正選挙も取り上げてくれています。


  こうした不正がこのまま抑え込まれるようではやはりアメリカは終わりでしょう。


★立憲民主党がやっぱり言い出した。「日本でも郵便投票を」

2021年01月27日 | 反日売国奴左翼・在日

 あのニセ大統領の強烈な不正選挙を見て、反日売国左翼・在日野党が羨ましがっているだろうとは思いましたが、まさか本当に言い出すバカがいるとは思いませんでした。

  ところが、地方議員が声を挙げたようです。流石立憲民主党だけのことはあります。それでも、国会議員じゃなかったところに救いがあるのかも。
  と言うか、きっと同じようなものでしょう。

  闇のクマさんがその恐ろしさを徹底的に語ってくれています。

  あの白票問題など、日本でもある程度までは不正の方法を作り上げているのじゃないでしょうか。
  公明党の老人ホームなどの利用は早くから噂されています。

  あの時も、政府・自民党は深く追求することなく放置でした。そんなことで大丈夫でしょうか。


★アフタートランプの時期にやるべきこと

2021年01月27日 | アメリカ

 大統領選挙前から盛り上がった気持ちが今や喪失感で一杯です。まだ諦めてはいませんが、状況は悪そうです。
  まさか、あんな不正が通るとは信じたくなかったが、悪の力には及ばなかったということなのでしょう。

  これは、トランプさんの当選を信じて応援して来た人達の共通の心情じゃないでしょうか。

  Haranoさんが、大統領選挙騒動の後、何をやるべきかを語ってくれています。やはり、気持ちを持ち直してじっと次の反撃に備えるしかないのかも。


  それにしても、こんな不正が罷り通るようではアメリカも終わりです。何とか、奇跡を見せて貰いたいものです。
  このままじゃ、余りにも悔しい。


★寒椿と平敦盛

2021年01月27日 | 誇れる日本

 ねずさんに教えて貰って日本人は根本的に戦が嫌いなのだと思うようになりました。アメリカにもトランプさんのような戦嫌いの人もいるようですが、やはり珍しい存在じゃないでしょうか。

  その戦嫌いの本質が戦後日本にGHQの企みもあって蔓延しているのじゃないでしょうか。そうとでも思わないとこの卑怯振りには説明がつかないものがあります。

  その戦嫌いを証明するような話をねずさんがしてくれています。この敦盛の死を痛む心情や、その鎧などの美しさ、寒椿を愛でる心など、どうみても戦が好きな人達とは思えません。
  やはり、戦争放棄なんて憲法を後生大事に守ってきたのにはそうした戦嫌いの心情がありそうです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より     2021/01/20

  寒椿と平敦盛

 ・・・略

 冒頭の写真は、寒椿です。
寒い冬に鮮やかな紅い花を咲かせる寒椿は、室町後期に書かれたとされる『平家花揃』で、平敦盛(たいらのあつもり)に例えらまし た。
花言葉は、『謙譲』そして『愛らしさ』です。

 なみいる源氏の武将たちといえば、豪勇無双な武士(もののふ)どもと思われがちです。
けれど我が国の武人は、ひとえに情を知る者たちでもあったのです。
なぜなら武人といえども、高い教養を持っていた。
それこそ日本の原風景です。

 トップの写真は寒椿(かんつばき)です。
寒い冬に鮮やかな紅い花を咲かせる寒椿は、室町後期に書かれたとされる『平家花揃』で、平敦盛(たいらのあつもり)に例えらた花 でした。
『平家物語』から、敦盛の段、続きはまたの機会といたします。


歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《寒椿と平敦盛》です。 豪勇無双な武士(もののふ)として知られる我が国の武人。彼らは、ひとえに情を知る者たちでもありました。なぜ なら武人といえども、高い教養を持っていた。ここに日本の原風景があります。 続きはブログで https://nezu3344.com/blog-entry-4759.html

小名木善行ねず さんと学ぶ会さんの投稿 2021 年1月19日火曜日

  以前、ねずさんが静御前の話の時におだまきの色など色彩を思い浮かべる描写があると書かれていたのを思い出します。やはり、日本人には戦は似合わないのかも。しかし、やるときは徹底的にやるのが日本人。


★サムスン経営トップに実刑、再び収監

2021年01月27日 | ソフトバンク ロッテ イオン パチンコ

 Koreaはとんでもない裁判が多すぎて、あれ、この裁判はまだやっていたのかと思うことが多い。
  このサムスンのトップの裁判も既に終わっていたと思ってましたが、まだ続いていたようです。

  いよいよサムスンも年貢の収め時でしょうか。散々、シャープなどを喰い物にしてきただけに、この程度の報いは当然でしょう。
  もう、倒産しても自業自得だと思うのですが、やはりしぶとく生き残るのかもしれません。


  とは言え、ここが倒産すれば韓国も終わりでしょうから文ちゃんにとっては北に統一して貰う最大のチャンスかも。これは是非、実現して欲しい。


★芭蕉

2021年01月27日 | 日本再生

 宮崎さんが何時もの書評で、新刊じゃなく保田輿重郎の『芭蕉』を取り上げてくれています。
  宮崎さんの教養の深さを思い知らされます。それにしても、俳句にこんな奥があるとは思いもしませんでした。教養の無さを又思い知らされました。

  芭蕉が木曽義仲を敬愛していたことや、自分の墓を義仲の隣に建てているなんて思いも及びませんでした。
  宮崎さんの書評で新しい観光名所になるのじゃないでしょうか。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和三年(2021)1月18日(月曜日) 通巻第6768号

  書評  

 芭蕉は「皇統の道義は言霊の風雅に現れるというわが古典の美の思想」
 「思想と己の間に一途の通路を開く機縁ともなる」

 保田輿重郎『芭蕉』(講談社学術文庫)

 書きかけの原稿の調べ物をしているうちに書架から古い一冊がでてきた。フト、読み進めたが、半世紀前に初読したおりの 印象とたいそうな違いを感じて、仕事をよこに置いて、全部再読してしまった。
 中世の幽玄世界の再現とか、談林俳壇を吹き飛ばしたとか、文学的世界での評価も様々だが、「国史の骨髄としての俳句 だ」と従来ほとんど語られなかった芭蕉の位置づけを保田輿重郎が展開した。桑原武夫の第二芸術論など論外である。
 保田輿重郎の分骨墓は大津の義仲寺の奥まった場所にある。三浦義一の墓もここである。
 芭蕉は木曾義仲を敬愛した。そして詠んだ。

「木曽の情 雪や生(はえ)ぬく 春の草」

 言うまでもなく悲劇の英雄・木曾義仲を祭るため、大津の地に、巴御前が秘かに墓所を創紀した経緯があって本尊は観音菩 薩。天台に属する小ぶりな寺なのに、花束と線香が絶えない。芭蕉は、「無名庵」と称されていた頃からここで句会を催し、 死後の墓所は義仲寺の、それも義仲の墓の隣にと早くから決めていた。
大津のしもたやの並ぶ雑多な町並みに迷いながら、ようやく捜しあてた義仲寺は、想像したよりも狭かった。小さな庭、緑の 木陰に芭蕉の墓は淋しげに建っていた。俳句の愛好家にとってここがメッカである。
この寺で義仲と芭蕉と保田輿重郎が連結する。歌人だった三浦義一とも連携する(三浦は政界の黒幕、フィクサーの側面のみ 有名だが、本質は詩人である)。評者(宮崎)は芭蕉の句を雄勁で雄渾な、品格のある文学と考えてきたし、十数句は誰もが そうであるように暗誦している。

夏草や強者どもが夢のあと
五月雨の集めはやし最上川
荒海の佐渡によこたう天の河
無惨やな甲の下のきりぎりす
旅に病んで夢は枯野を駆け廻る

 だがこれらを味わって読み返すと、「夏草」は中尊寺であり、「甲の下」は「奥の細道」で小松の多田神社に斎藤実盛とい う武将の甲だと聞いて詠んだ。
ヤマトタケルが重症を負って杖衝坂(四日市采女)を登ったが、芭蕉も現場へ言って詠んだ碑が現場にある。

 歩行ならば杖付き坂を落馬かな

 まさに「精霊や神々への憧れが、芭蕉のほそ道の旅を先へ先へと向かわせる」(長谷川櫂『俳句の宇宙』、中公文庫)。
 なるほど、俳聖の句の多くが歴史の現場で、その悲しみ、その慟哭を吟じていることに気がついた。芭蕉は歴史と伝統を十 七文字に適確に籠めて謳った。
 さて本書は保田輿重郎による芭蕉論で書き出しから挑戦的である。近代の文学者の狭量を柔らかに批判することから芭蕉論 が始まるのだ。
 芭蕉は民族の詩人だった。ところが「文明開化以来のわが思想の動きを眺める時、日本の詩人のみちの衰えを明らかに知る ことが出来る」。
 西洋の応用によるわが文学への批判と解釈は風俗的流行でしかない。だから保田は芥川龍之介らの芭蕉解釈をかるくいなし た。
 「歴史や祈念や悲願もふくめて、すべて民族的な伝統に対して、深い関心というものを(近代以後の知識人は)もたなかっ た。詩心ゆたかなものがこれを見れば、まことそれこそ児戯の科学主義であった」

 芭蕉の句を一歩、立ち入れば「皇統の道義は言霊の風雅に現れるというわが古典の美の思想とつながり、その思想と己の間 に一途の通路を開く機縁ともなる」とし、「芭蕉の感じて描いたものは、観念論的な価値の諸相ではなかったのである。人間 性とか愛とか、悲劇とかいう、人生観や世界かを構成する国際的な抽象的概念ではなく、我国人の具体的な歴史と風景に触れ て、国人として泣き悲しみ憧れた」。
 すなわち「芭蕉のみた歴史とは、日本の風雅をしたう詩人は如何にあるべきかという点に眼目を」おいて、詩人の道徳、そ の風雅の言葉を直截には表現せずに、芭蕉は「己の生涯の鎮痛の哀歌と慟哭の中に表現し、たまたまその後語録の中に、なぞ のように思想的断片として残した」のである、と保田は本質を衝いた。
 日本史の深い音色を聴いた。

  それにしても芭蕉の句が歴史に繋がっているのも驚きです。やはり、先人は凄いですね。

教養の無さに恥じ入ります!