ウクライナ戦争など世界の混沌とした様子に、来年は来ないのじゃないかと何度も書きました。
ところが、ねずさんは2050年を予測してくれています。その世界は、余りにも変化が激しく、到底着いて行けそうもない世界のようです。
幸なのは、それまで生きている可能性がないことです。それにしても、何とも味気ない世界のようです。果たして、そうなるか。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/04/20
2050年の未 来社会
・・・略
江戸時代、江戸の町に武家屋敷があったことは、ご存知の通りです。
お大名三たちのお屋敷ではありません。
下級旗本や、もっとも人数の多い御家人たちは、幕府や藩が支給する武家用の長屋に住んでいました。
一列に並んだそんな2DKの屋敷(というより、一軒ごとに独立した長屋のようなもの)には、すべての屋敷に小さな庭がありま した。
そしてその庭では、どこの家でも、小さな畑が作られ、お野菜が栽培されていました。
お米は俸禄米が藩から支給になるけれど、食卓に付けるお野菜は、自分たちで作り、隣近所の奥さんどうして、異なる野菜を交換 して、少しでも楽しい美味しい食卓になるように、日々、努力が繰り返されていました。
いまでもマンションのベランダや、建物の屋上で菜園が造られたりしていますが、2050年には、もしかするとそういうことが ごく当たり前の世界になっているかもしれません。
自分の家だけで作れるものは限られています。
ですから江戸時代と同じ。
小さなコミュニティの中で、それぞれ分業して様々な作物や、道具が工夫され、それらを互いに交換することで、コミュニティの みんなが、明るく楽しく暮らすようになるかもしれません。
大規模農場のようなものは、ロボットが作業を代行するわけです。
企画大量生産する工業生産品のようなものも、ロボットが代行するのです。
けれど、そうなればなったで、それ以上に美味しいもの、便利なもの、可愛いものを自作するのが人間であり、人の集団の行動で す。
そしてこうなると、個人主義よりも、コミュニティという集団を維持するために必要な哲学や精神性が求められるようになりま す。
そしてこれをいち早く実現してきたのが日本人であり、過去の日本の社会です。
つまり日本的な価値観や行動が、世界中で求められるようになり、それが標準化されていきます。
これから先、日本学、日本的価値観への研究が、いまとは違った形で大きな需要を生みます。
いまの若者たちが日本を学ぶことは、その若者自身のみならず、世界の未来を拓く大本になっていきます。
これは、必ずそうなります。
なる程、味気ない世界には日本の精神が必要になるんですね。ねずさんの予想通りになればまさに日本の時代です。そうなることを信じましょう。その世界を経験することはなさそうなので有難い。