明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨晩、近所の店の娘が婚約したというので行ってみると、父親はここ数日体調が悪く点滴をしているという。娘の婚約はこれほどまでに父親にダメージを与えるものか、と本気で思ったのだが、なんということはない。婚約はガセネタであった。カウンターに座る◯さんは、両親が娘の彼氏に会う時に、立会人だかなにか知らないが、呼ばれたそうである。 ◯さんには最近ブログが制作のことばかりで面白くないといわれた。制作者としてのブログであるから、そうしたものだと思うのだが。それに近所の人も読んでいると思うと多少遠慮してまう場合もある。例えば◯さんがこの店に、彼氏を連れてきた娘と3人で飲んでいる初顔合わせの場に居合わせたことがある。この時の◯さんの複雑な表情は、人物像を作る私には大変勉強になるものであり、おそらくかなりのデータが収集されたはずである。顔は終始笑顔なのだが、ただ形として笑顔のようになっているに過ぎない中年の男。一方娘の方はタバコの煙を斜め45度の虚空に吹きかけ、一切クレームは受け付けません。という体である。そして父親からの壁になって座る彼女の陰で、無邪気にニコニコしている彼氏。画ヅラだけで濃厚な面白さが伝わってくる。 もともと男など哀れで滑稽なものだと思うのであるが、ここに父親というタイトルが加わるとこれがまた際立ってくる。しかし実態はともかく、その日は表面上では、いずれ目出度いことになる可能性がある、という顔合わせの場であるから、腹の中で“やったことは帰ってくるのさ”“しかも倍になってな”などと考えてにやけていても、お日柄も良く、実に微笑ましい、とニコニコしているように見えさえすれば良い。そして◯さん今日はピッチ速ェえなあ。そのわりに麻酔が効いてこないなあ、と横目で観ながら大いに楽しませてもらった。カウンターの向こうには、間もなく同じ目に合い、今度は◯さんを助っ人に呼ぶはめになることも知らない父親。こんな幸せ過ぎる話を書くのはつい遠慮してしまう。

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