明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



http://www.shinchosha.co.jp/book/127531/

少なくとも、私が資料として目にすることができたドストエフスキーのポートレイトは皆口が開いていた。撮影に長時間の露光を要する時代に、口が開いているというのは常に口を開けっ放しの人物だったと判断してよいのではないか?ロシアを代表する文豪がこれではいけないということか、肖像画、彫刻の類いは閉じて作られているが、私にはドストエフスキーに何の義理もない。このような、どちらかというと面白い特徴を私が見逃すはずもなく、開けて作ったのだが、今回はシャンとしてもらいたいので、たまたま髭の影で閉じているように見えたのをそのままにしておいた。それはともかく。 この口の開けっ放しも大いに貢献しているのだが、むしろ気になるのは、どの写真も心ここに在らず。呆然としているように見えるのである。ドストエフスキーは博打好きで借金に苦しんだのは有名である。そう思うと、競馬場の外れ馬券舞い散る景色が似合いそうな表情である。“こんな所で写真撮ってる場合ではないのだ”。それは当時の写真師が許しても、私は放っておく訳にはいかない。ボクサーのセコンドよろしく、気付けのアンモニアをたっぷり嗅いでもらった。さらに視線に曰く言い難し的なニュアンスを加えるために一工夫している。 立体作品は、作ってしまえばどの角度からも撮影できるという利点がある。アンモニアでシャンとしてもらったついでに、残された写真にはない角度から撮影してみた。加えて今回は著者との共演を試みている。 “わたしはドストエフスキーに憑かれ、そして救われたー。”と帯に書かれている。翻訳者である著者の亀山郁夫さんには、ドストエフスキーと同じ空間に立っていただいた。タイトルの“旅”にちなんでコートを手にしてもらい、足許には革製の旅行鞄を配した。そして窓外にはロシアの風景を想わせる針葉樹林。どこで撮った樹々だかは書かないでおく。 実在した人物を作る時は、私の勝手な思い込みだが、いつの時代の人物であろうと本人に見せて、ウケるものを造ろうと心がけているが、ドストエフスキーはその存在があまりに遠く、遺族と顔を合わせる可能性もない。いつもの心がけ、歯止めを忘れ、アンモニアを嗅がせたり遠慮せずに制作した。おかげで私のドストエフスキーになった気がしている。私は危険なことに気づいてしまったのではないか。

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