陶芸の専門学校時代の同級生N君の作品が、国立近代美術館に収蔵されることが決まったという。二十年前に伝統工芸展の最高賞である、朝日新聞社賞を受賞した作品である。さらに先日26日には三重県文化奨励賞を受賞したという。これは目出度い。どれだけ目出度いかは、我々が通った学校を知らない人にはわからないであろう。なにしろデッサンなどろくすっぽやったことがない人間でも入れる学校で、私など酒を覚えるために入ったようなものである。 S君は一浪して美大を諦め入ってきたが、トラックの運転手で授業料を稼いで入って来た人など6、7歳も年上であった。今思えば、すくなくとも男子生徒に限っていえば、後がない連中が集まっていた。なのでほとんどが現在、各地で陶芸作家になっている。 何度か書いたことがある。卒業を数日後に控えたある日。名残惜しんでアパートで女の子と飲酒にふけっていると、そこに一緒に飲もうと来たのがN君とO君で、居留守を使っていると、私がラーメンと酒ばかりで倒れているのではないかと心配し、雨戸をこじ開けられてしまった。恥ずかしい私は入れよというしかないし、2人もこんな場面で急用を思い出すにはまだ若かった。そりゃ何度でも書く。こんなことで歴史は変わってしまうのである。 N君にはせっかくなので本名で登場願いたいところであるが、私もたびたび馬鹿な想い出話を披露している。伝統工芸展のその賞は、人間国宝は取らないではなれないらしい。そこからが大変なわけだが、何が起こるか判りゃしないのでN君にしておこう。 N君といえば、昔から友人の両親など、お年寄りに妙に好かれる。それがまるで猫にマタタビなのである。私はいつだったか、N君がうちに泊っている時に試してみるつもりもあって、このあたりでうるさい婆さんで有名な◯三に連れて行った。あちらとしては、これだけ安く飲み食いさせているのだから愛想までは売らない、ということなのであろう。N君がその婆さんと喋ったのはせいぜい注文するときの三言くらいである。私が見る限り笑顔ではあったが、たいした話をかわしたようには見えなかった。その日N君は店にセーターを忘れ、翌日一緒に店に取りに行くと、その婆さんが満面の笑みで忘れ物!と手を振ったのには唖然としてしまった。 陶芸作家としてますます活躍するのは私も楽しみであるし結構なことだが、果たしてあんな能力放っておいてよいのであろうか?
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