当ブログの中で、ここだけの話のつもりで快楽のために制作していると、余計なことを言ってしまったが、食欲がある限り食べ続けるのと同様に、良いも悪いも芸術もアートも、言いたいことすらない。ただ欲動のまま作るだけである。 某禅師を仕上げを残し、次の禅師に取り掛かりたい。重文の木像より国宝の肖像画の方が実像に近いと判断した。立体化は今のところ見たことがないから、七百数十年で初めての試みかもしれない。というよりそのぐらい重要がない、とも言える訳だが、私の大好物であり、創作上必要な孤独感が充分味わえるだろう。私のいうこの場合の孤独感は、とても暖かい物に包まれるような幼い頃からお馴染みの物で、適切な表現が見つからない。人と違うことをしたいなどという単なるへそ曲がりのレベルとは少々違う。10年の間に2回にわたって三島が死んでいる所ばかり制作した『三島由紀夫へのオマージュ 男の死』をやり遂げた後は、余程の事をしないと満足感は得られない。 妙な夢を見た。すでに禅師の制作をしている。妙な気配を感じて振り返ると武装集団に銃口を向けられている「礼拝物不敬罪で処刑!」前日『亡国のイージス』を観た影響だろう。