臨済宗では坐禅する時、袈裟は着けないそうだが、果たして七百数十年前もそうだったのか?その坐禅も今は対面坐禅だが、江戸時代前までは面壁だったと知ると、袈裟はどうだったのか?確かめられず、蘭渓道隆と無学祖元の仕上げにずっと入れずにいる。そこで臨済宗の関係者をご存知の方に聞いていただくことに。こういうことをいい加減にすると台無しである。 日蓮は建長寺を燃やし、蘭渓道隆の首を刎ね、由比ヶ浜に晒してしまえと攻撃したようだが、捕らえられ、文永八年九月、竜ノ口で斬首となるところ雷鳴が轟き、刀が折れ、という話に聞き覚えがあったが、蘭渓道隆が命乞いをして日蓮は助かり、建長寺にしばらくいたという。様々知って来ると、それに伴い作り難くなることが多いが、怖いもの知らずで作ってしまって後悔したことは一度もないので、見る前に飛んでしまえ、後悔反省は死んだ後にしよう。という話を次号の『タウン誌深川』に入稿したばかりである。