明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



連日アップされている横尾忠則さんの寒山拾得に関する言葉は、私にとって単なる美術家の自作に対するコメントではない。 小学校の図工の時間が大好きだったのに、写生となるとガッカリ。目の前の物を見ながら描いたってつまらない。遠足に行った後日、図工室で遠足を描くのが好きだった。人形を作るようになっても、人体など本当のことを、まるで穢れる、とばかりに、頑なに学ぼうとせず、自分の中に在る物だけで作り続けた。私には他人の作った石膏の塊を描くなんてつまらないことは出来ない。作家シリーズを始めるにあたり、唯一の懸念が、写真を参考にすることにより本当のことが身についてしまうことだった。 結局物心ついて以来、外側の現実でなく、自分の中に在る物だけに執着して来たことになる。外側にレンズを向ける、写生の最たる写真という、まことを写す、という用語を蛇蝎の如く嫌ったのは、結局私ががそういうタチなのだ、というしかない。 美術館にも行かなくなり随分経つ。最近は読書も資料以外読まない。遠足はもう充分ということなのだろう。後は好きに遠足の絵を描かせてくれ、と。そして至ったのが『寒山拾得』だった。横尾さんのインタビューを読みながらつくづくと。



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