一休宗純制作開始。の前に。結局蒙古兵を、後は着彩を残すのみ、というところまで作ってしまう。当たり前の話だが、作ったことがないものは新鮮である。珍しい。しかも妙な物がウチにあるな、とつい手を伸ばして眺めてしまい、手を加えてしまう。蒙古兵などもう作ることがないだろう。 今回は実在した臨済禅の重要人物は、展示を前提として作っていたので、一カットのために大変な時間がかかった。昨年の寒山拾得展は、写る所だけ作ったが、でなければ2年間では出来なかった。どこかで、独学我流者の、苦肉の策だと思っていたが、以後、展示を考えない物は、写らない部分は、さらに冷徹に作らないことに決めた。でなければ私の最も恐れる、死の床で作り残しの後悔に、悶え苦しむことになるだろう。また、さらに危険な、前面だけ作った物に、後から背面を作る、ということを避けるため、未練がましくとっておかずにすぐに廃棄しよう。