禅宗にリアルな肖像画を描く習慣、技術があったことで寒山拾得から土俵をはみ出し、一休宗純、臨済義玄にまで手を拡げることになった。肖像画のリアリティー、完成度は、その翌年、鏑木清方が樋口一葉や三遊亭圓朝像を描いたといわれても違和感を感じない程である。曽我蛇足の臨済義玄像は、今から千年以上前の義玄を後に想像で描いたのだろうが、一休が賛を書いているくらいで、臨済宗公認の義玄像だと解釈して立体像を作っているが、栄西の立体像はあるのに、義玄像は何故か今の所目にしていない。達磨のイメージを受け継いだかのような顔だが、特徴的な形状の額に、何か根拠がなければこうは描かないだろうという珍しい毛髪の禿げ方である。どうせ喝?というならと、より口を開けた。来週中には、曽我蛇足の肖像画を参考にして制作した一休、義玄の首が完成する予定である。
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