明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



喝!の表情が面白いと作ってしまった臨済義玄。それが今になって、肝心な人物だったと知った。反省は後になってするものだし、言葉、文字では伝わらない、と発達した禅宗芸術。一休禅師の弟子である蛇足の義玄像に触発されたのだから、何某か私は受け取ってはいる。ということで、自分の都合に良く解釈する私である。個展会場では、初めから知ってて作ったという顔をしていれば良い。 次号の『タウン誌深川』には、二十歳過ぎまで自分のことは自分が一番知っており、私の考えで生きて行くのだ、と信じていたが、それが大スベリし〝考えるな感じろ”に至った話を書いたのだが、昨日のブログタイトルは〝作る意味など考えるだけ無駄”だった。坐禅しなくても、四十年ただ作っていれば、この程度の心境には至るものだなと。 葛飾北斎はあと十年あれば、と死んで行ったが、そんな先のことをイメージするから悔しがることになる。私は昨日、今日思い付いたことだけをしよう。



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