明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



背景は本郷の東大構内にある三四郎池である。もとは心字池といったが、漱石の『三四郎』(1924)にちなんで、そう呼ばれるようになった。この場所で最初に三四郎と美禰子が出会う場面は印象的だが(美禰子は平塚らいてふがモデルといわれる)夏の夕暮れという設定で、美禰子が二人連れだったことを除けば、作中の雰囲気があるていど再現できたのではないだろうか。 漱石のポートレイトといえば千円札になったものと、肘をつき、こめかみに手を当てているカットが圧倒的に知られており、真正面を向いた写真は少ない。若い頃の不鮮明なものと、晩年の老人じみたものくらいしか見つからなかった。ということは、一般の日本国民が普通に暮らしているぶんには、真正面を向いた漱石を目にする機会はないはずである。そこであえて真正面を向かせ、これは私達の良く知っている夏目漱石だ、と思っていただければ、私としては成功ということになるだろう。もっとも、16日の雑記に書いたように、私はいささか漱石の鼻筋に“疑惑”をもっていたので、横を向かせることを躊躇したということもあったのである。 これがうまく行ったとすれば、残る難関は正岡子規と、ラフカディオ・ハーンこと、小泉八雲の真正面顔であろう。

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