明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



白鵬の土俵入りを観に富岡八幡宮に出かける。すでに始まっており、人で溢れている。並んで何かを待つというのは、子供の頃から大の苦手であるが、一目だけでもと待っていると、横綱力士碑のあたりから現れる。刻名式 をやっていたのであろう。歴代横綱の名が刻んであるが、予定より横綱が増えてしまって刻む石も増やしてある。いったん社務所に入って綱を締める。相撲甚句の後、いよいよ現れる。丁度私の真正面である。テレビで観ても、横綱になって風格がでてきたが、実際観ると、それはもう立派な姿である。胴体の迫力はたいしたもの。土俵入りは斜め後から。不知火型を継承した横綱は短命だといわれる。伸ばした腕で攻めを、曲げた腕で受け表す雲竜型にくらべ、不知火型は攻めだけを表現するともいわれるが、白鵬には不知火型が似合っている。良いものを観た。お年寄りが感極まったように「嗚呼シアワセ」とつぶやくのが聞こえる。横綱はこうでなくてはいけない。老人の寿命を延ばしたに違いない。 渦中の北の湖理事長、朝潮の高砂、三重ノ海の武蔵川もいたが、今日の私の目的の半分は、私がもっともファンだった、魁傑の放駒親方である。休場は負けと考える魁傑は、体調悪くても休場を一切せず、大関陥落後、平幕から大関に帰り咲いた。志が違うんだよなアと、つくずく、その相変わらず黒い顔を眺めた。

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