花鳥風月・・・気ままな写真日記

ようこそ、どんこの小部屋へ。ゆっくりくつろいでください。
日常を出来得れば自然と融合したいと思っています。
 

三池炭鉱の近代化遺産巡り(二)  福岡県大牟田市

2009-12-05 | 万田坑関係
 平成21年12月5日(土)

 ちょっと間が空きましたが、「三池炭鉱の近代化遺産巡り」の2回目です。



 三井港倶楽部を後にして「藤本伝吾の墓」へ小さな山道をたどり行きました。
 若い頃長崎で、石炭採掘の技術を学んだ藤本伝吾は柳川藩から石炭採掘の権利を与えられ、財を成した。しかし、二代目藤本伝吾が逝去して以後、石炭山採掘の権利は藩営となり、晩年は不遇だったといいます。



 龍湖瀬坑跡です。三池炭鉱が近代炭鉱として大規模化する以前の面影を残すものです。旗竿石が残っています。「露頭坑」と呼ばれたことが分かります。



 大浦坑跡。安政4(1857)年~大正15(1926)年。官営化後、初めて近代技術によって開かれた炭坑。現存の遺構は第一斜坑坑口跡のみ。普段は入ることが出来ません。





 石炭産業科学館は充実した施設で、歴史と技術が一覧できます。ここで昼食となりました。





 地元の新聞社の取材を受けました。



 石炭を掘る機械の変遷を見ることが出来ます。



 勝立坑跡。初めて機械化され、Dポンプが使われました。第2竪坑の基礎のみ残っています。明治33年から昭和3年まで活躍しました。



 解脱塔。碑陰には「明治二十一年八月三池集治監吏員立之」とある。石炭採掘に強制労働をさせられた三池集治監の囚人埋葬地であったことから、亡くなった囚人の慰霊のために立てられたものです。囚人労働は三池炭この歴史の中でいわゆる「負の遺産」と言われる一つです。





【お断り】
①世話係の藤木さんの説明、その他関係資料を使わせていただいています。
②草稿の段階で不手際から一時公開してしまい、迷惑をおかけしました。
コメント (14)
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