平成30年4月16日(月)
4月4日(水)、久しぶりに熊本城周辺を歩いてきました。坪井川に面した石垣はそのままですが・・・。
2年前の平成28年<2016>4月14日以前にはこのような白壁の塀が見事でした。
肥後熊本初代藩主の加藤清正の銅像です。清正は熊本では清正公様(せいしょこ さん)と呼ばれ人々の崇拝を受けています。
熊本城へ上る行幸坂(みゆきざか)坂です。現在は「桜の馬場 城彩苑」の入口付近で通行止めになっています。
その「桜の馬場 城彩苑」は7年前に開園した観光施設です。
桜の小路などの売店は観光客で賑わっていました。
地震により石垣が崩れて角石だけで支えられ「奇跡の1本石垣」として一躍注目を浴びた飯田丸五階櫓は今ご覧のように復旧工事の最中です。
未申櫓(ひつじさるやぐら)です。
北側の石垣の崩落が哀れです。
西大手門櫓・元太鼓櫓の倒壊もまた手つかずの状態です。
崩壊前の大天守閣と小天守閣。10年前、首都圏の孫チョロ1が中1、荒尾の孫チョロ2が小学4年の春、熊本城に連れていった時の写真です。(本人たちは写っていません。)
名残の桜を見ながら大木の陰で憩う人々です。この広場は二の丸公園と言います。
若い女性たちは熊本第一高校合唱部の皆さんでした。
伝統ある合唱部です。
戌亥櫓(いぬい やぐら)です。すぐ左が宇土櫓です。工事中の天守閣が見えています。
集められた石垣などの復旧の手順が掲示されています。
ブナ科の「スタジイ」と言う常緑高木です。気が伝わってくるようです。
二の丸公園でシャボン玉遊びをしている若い女たちも童心に返っているようでした。
ツアーの一行が宇土櫓、工事中の小天守閣、大天守閣を背景に記念撮影をしていました。
10年前の同じ背景です。白と黒の長塀がきれいでした。熊本城の完全復旧には20年の歳月が必要とのことですが「がんばる 熊本」を合言葉に皆さんの努力は続いています。
2年経ったばかりで、1/10しか進んでいないわけですよね。
お城などは有名ですからしょっちゅうテレビでも取り上げられますが
益城町など大きな被災地などでもテレビなどが取り上げない悲惨な状況も残存しているようです。
シンガーソングライターの関島秀樹さんは
敢えてそのような所を探して慰問に行くとおっしゃっていました。
戌亥櫓の前の広場ですね。そう言えばサッカー少年たちの練習場でしたね。
そうそう、スタジイは植物公園から二の丸公園へ入って、すぐ左にあります。
この後も余震があるかも知れないと発表があったので
大半の人は「ああ余震ね・・・」と安堵していた矢先に
16日に更に大きな地震が発生したのでしたよね。
安心して壊れかかっていた家に帰ったために
今度は完全に倒壊し、下敷きになってしまった被害者も少なくなかったようです。
家やお城や壊れた石橋などはは復旧することは出来ますが
失われた命は帰ってきません。
きょうもテレビで大学生の息子を地震で亡くした両親の近況が流れていました。
いざ大災害が起こったりするとつながりにくくなり
本当に不便ですね。今の文明では解決できないのでしょうかね。
お知り合いは戻ることの出来る自宅があって良かったですね。
現代の耐震基準に合わせた復旧工事になっているようですが
石垣から積み上げ直して、再建するのは
新築するよりもはるかに時間と費用がかかることでしょうね。
昔の匠の技を継承し、更に現代の匠の技術が上乗せされて
素晴らしい復興がなされることに期待しています。
まずまずの体調を維持していますのでご安心下さい。
熊本城を初め、被災地の復旧工事の模様が
刻々と報道されている様子にはいっぱい元気をもらっています。
「復興した姿は絶対に見れません」
まあまあそうおっしゃらずに、しっかり長生きをして
20年後には是非々々熊本まで完成なった熊本城を見においでくださいね。
自宅へ戻りたくても戻れない方々もまだ多いようです。
真の復興はまだまだですが・・・。
でも復興に向けて一丸となって姿が連日報道されています。
本当に心強い限りですが、東北地震の時でもあったように
火事場泥棒のような空き巣が横行し、テレビやパソコンなど
高価なものを専門に略奪する不届き者も少なくなかったようです。
こういうヤカラがやはりいるのですね。
そうですね、桜の満開の頃は開放されていたようです。
テレビでも大勢の人たちが喜んで歩いている様子が映っていました。
私も残念ながら行けませんでした。
蓮の花さんは新幹線をうまく使われますね。
私は鈍行の鹿児島線と市電を使いました。
後は徒歩でした!
この日歩いた距離は9キロ、14,813歩でしたよ。
今年の最高記録でした。
揺れには揺れましたが家屋倒壊などの被害はほとんどありませんでした。
活断層の有無がこんなにも違うものだと実感させられた2年前でした。
孫のチョロ2が野球の城北大会で勝ち進んでいて
翌日、阿蘇の東海大グランドで試合があるという日の2回目の地震でした。
勿論大会は中止、その後の各種の公式戦も中止になってしまいました。
ポッチ~さんの後輩たちは素敵でしたよ。
小休止の時にちょっと言葉を交わしましたが
爽やかで好感の持てる高校生たちでしたね。
それでは現在の状況に対して
一層感慨深いものがおありでしょうね。
再建された本丸御殿へもいらっしゃったのですね。
まだ大小の天守閣も再建されない頃は広場のような感じでした。
夜、ここをそぞろ歩きしながら友と荒城の月を唄ったものです。
(再建を)見届けるまでは死ねない・・・
それくらいの気概を持っていたいですよね。
きっとその方は見届けられると思いますよ。
みなさんがそれぞれ拠り所をもっていらっしゃるように
熊本県民の多くは熊本城は大切な大切な宝物になっています。
安心していた住民の隙を突いたような大惨事でしたよね。
先日はNHK武田アナの現地レポートが放映されていました。
ほんのたまにしか現地に行くことは出来ませんが
テレビでは一般人が入れない現場の復旧の様子などを見ることが出来るのはありがたいですね。
里帰りされた折には是非ご覧になって下さいね。
清正公に成り代わり、厚くお礼を申し上げます。
20年後の完全回復をあの世から眺めていることでしょう。
「わろてんか」の藤吉さんのようにしょっちゅう現世に戻って来られればいいのですが・・・。
熊本城は皆さん同様私にとっても心ののふるさと的存在です。
昭和35年以前はあれたままのまさに荒城でした。
国体を機に外観復元で大小の天守閣、平櫓、塀などが再建されました。
同時にこれまで夜間でも自由に出入りができたのが
入場料を取るようになり整備されてきました。
今後の復興に期待するもの大です!
工事の段取りがあると思いますが石垣はともかく、木部もそのままな場所もあるようですね
木材は雨ざらしでは朽ちてしまうでしょうにシートとかしなくて良いのでしょうか・・・
宇土櫓の下の広場は息子が幼稚園児の時、YMCAのサッカー教室で使用していました
ただただボールに遊ばれてるだけでしたけど(笑)
大きな木(スタジイ?)は植物公園から二の丸公園への入口ですよね
二の丸公園には他にも特に大きな楠が数本ありますが木の気を感じられる何かがありますね
とても懐かしいです
貴重な写真をありがとうございます
本震は今日16日じゃなかったかな?
夜中で すごく揺れて 布団をかぶって 死ぬなら死ね って思いました。
それくらい怖かった・・
あの地震のシンボル 熊本城 この前テレビで
屋根の修理が終わったっていってました。
全部できるのはまだまだですね。
10年前ですか? まさか壊れるなんて思ってないですよね。
あ~ この姿をもう見られない・・
せめて石橋は観に行きたいです。
ついこの間の様に思われますが、もう2年が過ぎたのですね。
あの時は友達が熊本に居たので、連絡が取れず往生しました。
避難生活をしていたものの、間もなく自宅に帰れたとの連絡を受けホッとしたものです。
その後遊びに来るよう言われますが、私もこんな体ではとても…。
あれだけの地震で、よくあのお城が崩れ落ちませんでしたね。
石垣の復旧にも大分かかるようですね。
手つかずの崩れた石垣から読み取れますね。
全復旧まで20年はかかるとか、皆さんの憩いの場所、いや日本のシンボルの熊本城、
何とか復旧させたいのが皆の願いですね。
ここん所毎日テレビで放映されていますが中々復興は難しいですね~~??
熊本城も・・やっと鯱が上がったというニュースにほっとしましたがまだまだ20年かかるとの事復興した姿は絶対に見れませんが・・
希望を持ち前進するしかないですね~~??
私も中学の時に修学旅行で熊本鹿児島に行ったのでまだ記憶は残っています。
まだ災害住宅での暮らしの方も一日も早く出て我が家へ帰れますように心からお祈りしたいと思います。
災害地へきてくださいとの住人の声に答えたいと思いますが中々遠いです。
大変な工事ですよね
大勢の方の努力が続いているんですね
完成した姿見たいですがちょっとむりですね~
被災された方々の復興もまだまだ大変なようですね
早く平穏な日々が戻ると良いですね
行って来ました。
まだ熊本城の復興工事は手づかずのところが
多いようですね。
ちょうど入院中に熊本城の御幸坂が4日間だけ
立ち入り禁止の区間が解放されましたね。
あそこの桜は見事なので見に行きたかったです。
熊本城へは新幹線と市内電車を使えば気分転換に
ちょうど良い距離です。
また半年後にお城の状態を見に行こうと思っています。
徹底的にやられてしまったのは。
10年前の貴重な写真と見比べながら感無量です。
崩れ落ちた石垣の無残なこと・・・。2年経っても
手付かずのままの姿に一層胸が痛みます。
白い長壁と櫓と天守閣の美しさ。熊本城は名城だとあらためて実感。
第一高の生徒たちの澄んだ歌声が響き渡る光景に
思わず頬が緩みました(笑)。
青春そのもの!
ナイスショットの写真をありがとうございました(笑)。
私は熊本城には2度行きました。
最初はもう25年ぐらい前でしたか・・・倉敷出身のタクシーの運転手さんが色々案内をしてくれました。
天守閣に入って太い大きな柱と黒光りのする床板が印象に残っています。
2度目は3年前に妹と二人旅・・・新しい本丸御殿に目を奪われました。
復旧には20年を要するのですね~熊本の友人が(同世代)見届けるまでは死ねない・・・なんて言っています。
お城は熊本県民にとって心の拠り所でもあるのですね!
銀杏城の別名もあり、桜の名所でもあり・・・県民憩いの場所
画像からどんこさんのお城への想いが伝わってきます。
地震から 2年、早いです。
テレビで 熊本城の復興工事の様子を伝えていますが、
よく あのお城が崩れ落ちず 残れたなと思う石垣の様子です。
どんこさんの写真で もっとその様子が伝わってきます。
復旧には 20年。 生きている間に完全復活を見ることはできません。
でも途中を一度は見に行きます。
被災した熊本城の再建、20年後には城全体を地震前の状態に戻したいとの目標とのこと。天守閣は3年で・・・・・とか、先日上層部の覆い(テント)が取れたと一部TVで放映されていました。
全体の復旧費用は600億円を超えるとか、城のシンボル熊本城を早く復旧してもらいたい。
長い期間・・・・20年。
人生100年時代、まだ生きて居られるかな…!❓ハハハハ~・。
・ 緑映え早く元気な熊本城
城内に行ったことはありませんが、緑なす樹冠の下に集い、
観光に、若き思いに、友と一緒に・・・・・県民いや日本のシンボル熊本城を早く復興されたいものです。