2024年(令和6年)4月7日(日)
今年元日の16時10分に発生した輪島半島地震、多大の被害をもたらし、今なお復興は道半ばです。また4月3日にも台湾で大きな地震が起こりました。被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。
今から17年前の2月、ツアーで北陸旅行に行ったときの輪島朝市の様子です。
露店が並んでいます。早朝なのに客も道いっぱいです。
「丸袖餅子」の看板が見えます。
ずらりと並んだ海産物。
懐かしい風景です。
こんな店もありました。
「稲忠漆芸会館」を見学しました。輪島塗の作業も見せてもらいました。
売店です。いらっいらっしゃいませ、コメント欄はオープンです。
2018年に兄弟旅行で訪れました
写真拝見しながら、そうそうと懐かしく思い出しました
賑わっていましたね
すっかり焼け野原になってしまって・・・
復活して欲しいです
此処からチョイと曲がって行けば『能登・輪島」です~~
しかし今回のコースはこちらは入っていませんので・・・、
という、バスガイドさんの案内が頭にこびりついています。(マイクを通して流れた言葉)
◎ 能登地震陸路海路は塞がれし
孤立状態輪島は火災 (縄)
被災地は救助やインフラ復旧の遅れ、不十分な医療や支援物資、孤立状態など、さまざまな苦境に直面している。
**台湾の地震
「避難所のなかにテントが用意されていて、それぞれのプライバシーが配慮されている、
それに温かい食事が簡易食器に出されたには驚いた。」
日本の能登地震と違い、避難所との違いにテント、食事等の立ち上がりが早いのに驚いた。
ドンこさん
17年前の2月、ツアーで北陸旅行に行ったときの輪島朝市の様子、素晴らしい写真お持ちです。
元日早々の能登の地震、本当にびっくりしました。
被災地の方でまだまだ平常の生活に戻れない方もたくさんいらっしゃいます。
私も高校の同級生と14年前に旅しました。
あのにぎやかな能登の朝市が早く元に戻りますように祈ってます。
私は輪島には行ったことがありませんが 賑わっていたのですね。
この賑わいが1日も早く戻ってきたらいいですね。
今日 阿蘇神社に行きました。 10月に行った時は楼門は完成していたものの通れなかった
今日 通り抜けながら 丸い柱の一部を継ぎ接ぎしたように修理されたの見て涙が出ました。
熊本地震から 8年過ぎたのですね。
みーばあさんも行かれたのですね。
思いもひとしおでしょうねぇ・・・。
あの焼け野原の光景はまだ目に焼き付いていて
心が痛みます。
縄文人さんはまだ行かれたことはないのですね。
お互い長生きして、復興なった輪島を一緒に訪ねましょうね。
今朝はNHKのローカルニュースで
「島原大変 肥後迷惑」と言われた江戸時代の
1792年起きた地震、眉山崩壊による津波で犠牲者が15,000人も出たことが放映されていました。
近くの長洲町の共同墓地にも慰霊塔が建っています。
もかさんも高校の同級生との旅だったのですね。
あの大惨事とは真逆のいい思い出ばかりだったことでしょう。
それだけに余計つらくなりますよね。
私の若い知人もボランティアで駆けつけたそうです。
復興なった輪島へもう一度機会があれば行きたいですが・・・。
また行かれたのですね。羨ましい限りです。
私はここ数年、阿蘇には行っていません。
友人が一緒に行こうと言っていますがなかなか
実現出来ないでいます。
参道をもう一度歩いてみたいです・・・。
いつになったらこのような平和な光景が
戻ってくるものやら。
いまだに体育館でダンボールで仕切っただけという
環境で避難生活を続けている方たちが
数千人おられるとか。
人が暮らせる環境ではありませんよねぇ。
台湾でも先日大地震が起きましたが、
テレビで見たのは地震発生後3時間で
組み立てられたという戸別のテントでした。
輪島と台湾のこの差は一体どこからくるものやら。
日本は先進国ではありませんね。
時々ニュースで流れてくる輪島の様子を見ながら
私も一日も早い復興を願わずにはおられません。
努力はされているのでしょうが、避難生活をされる方々の
より迅速な対策が望まれますよね。
台湾との地震も大変でした。ビルの崩壊や地滑りの画像には驚愕しました。
対応の差、おっしゃるとおりです。
昨日までの雨が上がり、きょうは晴れていますが
風が強くてやや肌寒さを感じます。
庭には桜吹雪が舞っていますよ。