平成27年11月5日(木)
先日は雲が夕日に染まる夕焼けをお届けしましたが、今回はほんの少しの雲が染まっていく情景を紹介します。この日は空気が澄んでいました。
静寂な時が流れていました。
ねぐらを目指して飛ぶ鳥の姿も見えません。
吸い込まれるそうな赤です。
別の日の太陽。PM2.5の量が増えて、対岸の多良岳などは全く見えませんでした。私は「おぼろ太陽」と名付けています。こういう日が多くないことを願っています。
さて、また戻ります。陽が沈むと雲仙普賢岳のすそ野に人家の灯りが見えてきます。
家々の暮らしの息づかいが聞こえてくるようなひとときです。
直線距離でおよそ25キロはある対岸です。幼い頃、寝物語に祖父から「お前は島原からたらいに乗って流れてきたのを拾ってきた。」と聞かされたことをふと思い出しました。
先日は雲が夕日に染まる夕焼けをお届けしましたが、今回はほんの少しの雲が染まっていく情景を紹介します。この日は空気が澄んでいました。
静寂な時が流れていました。
ねぐらを目指して飛ぶ鳥の姿も見えません。
吸い込まれるそうな赤です。
別の日の太陽。PM2.5の量が増えて、対岸の多良岳などは全く見えませんでした。私は「おぼろ太陽」と名付けています。こういう日が多くないことを願っています。
さて、また戻ります。陽が沈むと雲仙普賢岳のすそ野に人家の灯りが見えてきます。
家々の暮らしの息づかいが聞こえてくるようなひとときです。
直線距離でおよそ25キロはある対岸です。幼い頃、寝物語に祖父から「お前は島原からたらいに乗って流れてきたのを拾ってきた。」と聞かされたことをふと思い出しました。
荒尾の海に 出で見れば
波の静けさ赤々と
夕日が真っ赤に 落ちていく
普賢の岳を 眺めれば
人家の灯 人が住む
別れの太陽海の中
寝物語や祖父が言う
「お前は島原からたらいに乗って流れてきたのを拾ってきた。」・・・・・・・・・・・・・・・・と。
縄文人もこんな事を作り話で戯言(たわごと)として。
わしやねぇ~、農家の次男坊、口減らしのために東京さぁ来たのさ・・・・・。
あの≪おしん≫では有りませんが、秩父の源流から筏に乗って荒川を下って来たがノウ。
着の身着のまま、ヤナギ行李を1つ持って。
人には言えねぇ苦労じゃった。
何とかおまんまが食えるようになってーーーー。
縄文人の寝物語、一巻の終わり。
素晴らしい夕景を拝見させていただきとても感激です!
どんこさん、夕陽を独り占めされたって感じでしょうか、、、
こんなに赤く燃えて消え去る太陽に改めて虜になりそうです^_^
くれなずむ普賢岳と、灯りが灯る風景が何とも言えず物悲しく、そして素敵です。
いつも感動をありがとうございます。
今に、島原から色の白い、きれいな母親が
迎えにくるに違いないと、密かに期待していましたね。
まあ、現実はそう甘いものでありませんでしたが・・・。
縄文人さんは秩父の源流から柴又へたどり着き
立派に出世なされ、今日の暮らしを確立されましたよね。
ふるさとの山と川は今も心に焼きついておられることでしょう。
私は故郷を離れた期間はわずかで
望郷の念を長い期間味わった経験はありませんが
故郷の山や川、海や野辺の道などは
人の心に巣くって離れがたいものなのでしょう。
心に染みるコメント、ありがとうございました。
最近はラムサール条約に登録されて以降
少しずつ認知されて、荒尾干潟に
渡り鳥や夕日を見にくる人が増えて来つつあります。
いいことで訪問者が増えることはありがたいことです。
mariaさんにこのように感動を共有していただき嬉しいです。
灯の向こうの人々の暮らしや想いを想像すると
いっぱいいっぱいぬくもりを感じます。
綺麗な夕景にうっとりです。
普賢岳の麓の明りが夕食の団欒を想像させますね!
靄って赤い太陽は、PM2.5なんですかね~
雲一つないスカッパレだと太陽が真っ白になって色が出ないので、私は靄や霧が薄くかかっていることを願って出かけているのです。
最近上空は雲一つないのに、水平線に意地悪な雲があってがっかりです。
朝、綺麗な日の出を見る事ができると元気がでますが、綺麗な夕陽を見ると、明日はきっと良いことがあると・・・希望がわきます。
そんな夕陽をいつも見る事ができていいですね
おっしゃるように海の向こうの家々の暮らしなど
想像の翼を広げて楽しんでいました。
そうです、この日は朝から警報が出るくらいで
いつもなら写真のような雲仙岳や多良岳がくっきり見えるのに
山影はもとより水平線すら見えないほどでした。
眩しくて眼を細めてみる赤い夕陽がご覧のようにおぼろでした。
マスクをはめて写真を撮りにいかねばならないとは
情けないです。
かの大国は軍需費を少しは環境改善に回してほしいですネ。
真っ赤な太陽はPM2.5以外の靄、霞、塵などのせいでしょうか・・・。
こんな景色の中にいたら
いっそ溶けて景色の一部になりたいですね~
千の風になって・・・が流行ったとき
風になるなら大窪橋の上の風になろうと思いましたが
夕日になるなら ここがいいですね~
雲が多いのも少ないのも それぞれに素敵だけど
人の暮らしの見えるのは もっといいですね。
時々、荒尾干潟の夕日を撮りたくて
来る機会は多いですが、日が暮れる
時間が早くなっています。
この写真は何時頃に撮られたのでしょうか?
美しい景色は人を沈黙させたり
溶解させたりする力があるのですね。
千の風になると大窪橋にも荒尾干潟にも
自由自在に流れていけるのではないでしょうか。
食糧難の戦前戦後の過酷な時代にも
豊穣の海は人々の暮らしを支えてきました。
今、いろいろな要素が絡まり魚介類の収獲が減っていますが
こうした暮れなずむ対岸の灯りを見ると
向こう側からも同じ灯りが見えて、贅沢は言えないけれど
平和な暮らしをありがたいとしみじみ思います。
新聞の日の出、日の入りの時間を
チェックする必要があります。
この写真(おぼろ太陽を除く)は
10月19日、17時半前後で対岸の人家の灯りの写真は
18時過ぎです。