平成20年1月17日(木)
「どんどや」(地方によってはどんど焼き、鬼火等呼称が異なります)が14日午後行われました。起源等はさておき小正月に行われる行事でみなさん、正月飾りの注連縄や門松などを持ち寄ります。昔は書き初めの習字を孟宗竹のてっぺんに結わえ、燃えて遠くに飛ぶと字が上手くなると大人に言われ本気にしたものでした。その風習は今は全くありません。高さは10メートルはあります。
消防車も待機し、かっぽ酒の準備も整い、地区の役員による火付けが行われます。
青竹の豪快に弾ける音がして、火は一気に燃え上がります。
どっと歓声が上がり、気分は最高潮になります。
火が鎮まるのを待って人々はアルミホイールにくるんだ餅を焼きます。針金を付けた竹も消防団で用意してくれています。
この餅を食べると無病息災と言う言い伝えがあります。
大人はかっぽ酒を振る舞われいいご機嫌でした。
チョロ・ツーの通う小学校はこの神社のすぐ南に、また姉の通う中学校はすぐ北に隣接して、環境のいい所です。
【阪神淡路大震災から13年、改めて思い起こしてます。犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りいたします】
「どんどや」(地方によってはどんど焼き、鬼火等呼称が異なります)が14日午後行われました。起源等はさておき小正月に行われる行事でみなさん、正月飾りの注連縄や門松などを持ち寄ります。昔は書き初めの習字を孟宗竹のてっぺんに結わえ、燃えて遠くに飛ぶと字が上手くなると大人に言われ本気にしたものでした。その風習は今は全くありません。高さは10メートルはあります。
消防車も待機し、かっぽ酒の準備も整い、地区の役員による火付けが行われます。
青竹の豪快に弾ける音がして、火は一気に燃え上がります。
どっと歓声が上がり、気分は最高潮になります。
火が鎮まるのを待って人々はアルミホイールにくるんだ餅を焼きます。針金を付けた竹も消防団で用意してくれています。
この餅を食べると無病息災と言う言い伝えがあります。
大人はかっぽ酒を振る舞われいいご機嫌でした。
チョロ・ツーの通う小学校はこの神社のすぐ南に、また姉の通う中学校はすぐ北に隣接して、環境のいい所です。
【阪神淡路大震災から13年、改めて思い起こしてます。犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りいたします】
です。
あぶさんの部屋からたどってブログ、拝見させていただきました。
そちらのどんどやは飾り付けまでするのですね。その華やかさにはびっくりしました。このように再び飾られると正月の飾り物もまた生きてきますね。
ちょっとばかり奥ゆかしさを感じあったかい気持ちになりました。
これからもどうぞ遊びにきてください。
「どんどんや」と言う言葉で忘れていた歌を思い出しました。
火が付けられると子どもたちは手拍子叩いて
♪どんどんや はげんちょ あがりにゃ 餅いっちょう
と歌を歌っていたものです。
美里町にはまだ習字を燃やすのですね。いいなあ。
これからも残して欲しいですね。
どんど焼きの記事が書かれていたのでコメントをさせていただきました。
どんど焼きをすることが少なくなってきたと知って、同じ伝統行事をされていたことに嬉しくなりました。
私たちは「どんどや」とか「どんどんや」と言ってました
昔は孟宗竹の山からの運び出しは子供会でやっていました
霜焼けの手が益々真っ赤になっていたことを思い出します
先日の美里町どんど祭りでは上手に書かれた習字紙が舞い上がっていました
テレビでも見られなくなるかも知れませんね。
そうあって欲しくはありませんが・・・。
竹の先に藁を巻いて地面を叩いて家々を回る「もぐら打ち」の行事をニュースでやっていました。
子どもたちが家々からお礼の金を貰って嬉しそうでしたよ。昔はどんこの所でもありましたが、もうすっかり途絶えています。
外で遊ばず、ゲーム機でピーコ、ピーコとやっているのでしょうね。
一部の地区では「鬼火」と称して松の木などを燃やして煙で魔を排除する慣わしもあります。これも以前は大人も加勢はしますが、子どもが中心でやっていました。
仙台で学生時代を過ごされたのですか。いい青春時代だったことでしょう。
確か「杜の都」の異名があるようですね。熊本も夏目漱石が「森の都」と名付けたと言われています。
今の子どもたちは喜んで餅を食べなくなりました(笑)。
この辺ではないですね~~??
テレビで。。どんどやき。。って言うニュースは見ています。
無病息災を祈願してどんこさんもお餅やいて食べましたか??あ~~お酒のほうかな??
何はともあれ元気で過ごせそうですね!!
このようはいい風習は残してほしいものです。。
どんど焼き、初めて知ったのは大学生のとき。仙台に住んだ最初の冬でした。関東にいるときは、そういう行事も行われている風景も見た事はありませんでした。
どんど焼きには、好きな人と参加するみたいな楽しい行事の思い出があります。カップルでどんど祭みたいな。今思えば面白いですよね。
こちらに戻ってきてからは、近くでは見た事がありません。
最後にお餅を焼くのですね。ほんと、ご利益のあるお餅って感じがします。
クレーンを使うだけのことはあるといつも感心しています。
書初め、家庭も学校も忘れてしまいましたね。
冬休みの宿題には2日の書初めが必ずありました。
それを終えてから独楽回しや凧揚げで遊んだものです。
孤独死はやりきれませんね。行政の手はそこまでは及ばないのでしょうか。
書初めを二日の日にする人も
少なくなっているのでしょうね。
それに、成人の日も15日でなくなったし…。
震災からもう13年なのですね。
今だ孤独死が多いと言っていました。
「もめArao」と言われるくらい政争の激しい所でした。
そのため県南の地から市長を担ぎ出したこともありましたよ。
また昭和30年代にはあの三池大騒動で市が真っ二つに割れていた感もありました。三池炭鉱の大爆発でも多くの死傷者が出て学校の児童・生徒が最愛の父親や兄たちを失ったものです。
今は落ち着いていますが、悲惨な歴史を忘れることは出来ません。
でも野原さんのほうが活気があっていいです。。
ふと思いました。
荒尾 という響きと文字がすでに祭りに似合いますね。
阪神淡路大震災...今現在 仮設住宅で毎年孤老死
されていますね。
生き残った方の中に 生きるも地獄 と 思わせないようにしてほしいと切実に思います。
品変わるの喩え通りです。
これまたユニークですね。面白いと思います。
<燃やしたおかざりの灰を家のまわりに撒く
と言うのがいかにもご利益がありそうです。
お互い今年も無病息災でありたいものですね。
ません、各家庭の門口や横などでおかざりを燃やし
ミカンを乗せます。けむりくさいミカンを食べて
無病息災を願い、燃やしたおかざりの灰を家の
まわりに撒いて、悪いものが入って来ないように
いのります。これが1月15日の行事です。
熊本市の小学校でインフルエンザによる閉鎖があったと聞きました。流行っているのでしょうか。
三学期の大事な時期、お大事になさってください。
ここのどんどやに門松などは持っていくのですが、今年は同級生のRさんが前日行われた地区のどんどやのためにさっさと持ち去ってくれました(笑)。
ゴミ回収車行きとはちょっとかわいそう!
来年は野原さんに持ってきてください。神社の片隅に置く場所も確保されているようですよ。
伝承されているのですね。嬉しいことです。
私の小学生の頃は1年生から6年生の子どもが中心になって竹や藁を集めていました。大人は孟宗竹や松をを切り、立てる仕事と火を付ける役だけでした。
藁か竹を提供できないところはお金を出していました。そのお金で学用品やあめ玉などを買い平等に配るのが6年生の仕事でしたよ。
今は子どもの出番はほとんどないですね。餅を焼くくらいでしょうか(笑)。
消防団の方々にも感謝です!
我が家の注連縄はゴミ回収車行きとなりました。
私の地域でいつまであっていたのか記憶にありません・・・・
子供たちにしっかりと受け継いでいって欲しいですね~~
今朝は早朝より娘が吐き気と下痢で苦しんでおります。
一応学校へは行ったのですが早めに早退してきました。病院で点滴、感染性胃腸炎と診断されました。
学校ではインフルエンザと同様、出席停止の病気だそうです~~~~~~どこでうつったのでしょう!
でも、規模は全然そちらの方が大きいです。
この時ばかりは消防団の方の献身的なご努力に感激します。
でも、普段から非常時のために訓練をされているんですよね。
当市から一人だけ大学生の娘さんが亡くなられました。成人式のため一足早く神戸に戻って災難に遭われました。
当時、どんこは母校(中学)に奉職していましたが、しっかりした才色兼備のお嬢さんでした。朝礼の講話を眼をキラキラ輝かせながら聞く姿を忘れることが出来ません。
芥川賞の受賞者の模様をTBS系のテレビで見ました。堂々と物おじしない態度に驚きました。
感動したのは新聞の「ひと」欄。
「父親が定職につかず、貧しかった。水道を止められ、『今から探検に行きます!と言う母とともに学校から水を容器に入れてちょうだいしたことも。年齢を偽って14歳から工場で働いた。』・・・」
逞しいはずですね。
どんどや(どんど焼き)。
無病息災・家内安全それに元気な日本、世界平和と欲張りの祈願をしました。
どんこの地区ではもうなくなって久しいです。小学校区では三つの地区が復活させています。
どんこは毎年、孫のいる校区へ行っています。
ここは消防団が中心になってクレーンを使って立てる大がかりなものです。この火は当分絶えないと思っていますよ。
しかし、毎年行われていた「茅の輪くぐり」は今年は中止と聞きました。
理由を聞いたら予算不足なのだそうです。いくらかかるのかと聞いたら「さあ、2,3万くらいかな」と言うことでした。
それくらいだったら呼びかければ何とかなるだろうにと申しましたが・・・・。
縄文人さん、生まれ故郷のどんど焼きの実情、機会があったら是非レポートしてください。
こういうコメントを書けるどんこさんに、芥川賞を差し上げたくなります。
今朝のニュースも、震災とこの話題でした。
新居浜でも『どんど焼き』が連休中に、開催されました。
新居浜沖から渡海船で15分ぐらいのところにある『大島』…主人の叔母夫婦が住んでいる島
ここで行われるどんど焼きは、市の無形文化財に指定されております。
無病息災・家内安全…一年の願いを込めて…開催されるようです。
心の奥底に僅かに残っていたような昔の伝承行事
ドンドン焼きの見事な写真で一気に心に火がついた。
この火は消そうと思っても、燃え上がるのみ・・・・。
一気に綴ろう。
高らかに燃え上がる神の火、神の煙、この煙に巻かれれば無病息災。周りを取り巻く老若男女。部落総出とまでには行かなくとも日焼けくした顔・顔が勇ましい。
★ドンド焼き
爺が見つめる背に荒尾
★ カッポ酒
炭火入ろがこりゃウメイ
わが田舎のほうでも、ドンドン焼きいまも伝承されているか定か出ない。
ドンドン焼きの燃え残り枝を拾い上げ、家に持ち帰り、玄関に吊るすことによって・・
家内安全、無病を保障されると言う伝えがありました。