昨日は、母校・伊那北高校の同窓会地区支会の集金や配り物があり、高校の近くに来たので立ち寄りました。
ほぼ毎週模試を受け、復習もせずに、大学受験生のフリをしていた自分。でも、そんなのを勉強とは言わないとわかったのは、浪人してからのこと。
何事も、自ら経験し、そこから何を感じ、どう成長するか。一つ言えることは、物事の真髄はシンプルで、そこへのアプローチもシンプルであるということ。自らが勝手に複雑に考えてしまい、成長する過程を閉ざしている。
大学受験は、そんな成長過程を自ら認識できる、人生最初の試練であり財産であったと、今なら断言できます。
ちょうど30年前の1989年、私は高3でした。「こんなにも穏やかに晴れ渡った初冬の青空を見る余裕もなく、勉強“みたいな”ことをしていたんだろうな」と、母校を見ながら当時に思いを馳せました。
ほぼ毎週模試を受け、復習もせずに、大学受験生のフリをしていた自分。でも、そんなのを勉強とは言わないとわかったのは、浪人してからのこと。
何事も、自ら経験し、そこから何を感じ、どう成長するか。一つ言えることは、物事の真髄はシンプルで、そこへのアプローチもシンプルであるということ。自らが勝手に複雑に考えてしまい、成長する過程を閉ざしている。
大学受験は、そんな成長過程を自ら認識できる、人生最初の試練であり財産であったと、今なら断言できます。