なんで夏しかウインドやらないん? と聞かれる事が多いんですけど、 答えは簡単。
太陽光が一番強烈で、それでいてどこまでも美しい青空だからなんです。
15年以上前に始めて、10代、20代ならいざ知らず、 30代に入って始める横乗り系スポーツは極端に難しく、
ましてや、あらゆるスポーツの中で一番難しいとされているのがウインドサーフィン。
始めた頃は唯々泣きを入れるだけで、普通のスラロームからスタートして、 自然の力に圧倒される度に、自分の弱さと人の非力さを思い知らされる日々。
ほんとに下手だよな~・・・・・ と、俯きながら帰宅した懐かしいです。
やがて始めたフォーミュラーウインドサーフィン。
世界最高峰のレーサー達の世界そのもので、巨大なセイルにコントロール不可能に思えるこれまた強大なパワー。
小柄な僕は?というと、無限に続くかに思えるほど撃沈され、セイルに叩かれ、水を飲まされては、その苦しさに何度やめようかと・・・
ただね、
息が出来ずに巨大なセイルの下から必死で海面に這い出ると、 そこには何時も紺碧の青空。
仰向けのままで、息が出来た事に安堵して、 少しずつ落ち付いてくる呼吸と反対に、だんだん強く瞳に射込む太陽光(夏)。
これって・・・、単に恐怖で閉じていた瞳孔が弛緩して開く事で得られる条件反射なんですけど、
命が尽きる時は、こうして視界が暗くなって行きながら、吸い込まれるようにして心臓が止まるのだろうか?と思う。
そうして、様々な苦しい思いの結果として今の自分がある。
自然がくれた数え切れない”教え”は、 常に命と引き換えにある厳しさとの向かい合いであって、 それがどれだけ自分に多くのことを学ばせてくれたか。
ひたすら恐怖しか感じなかったあの時のフォーミュラーウインドは、 ボードもセイルも、自分と一体になり、
今は、初夏のまだ少しだけ冷たい海から、 日焼けを洗い落としていくシーズンまで、常に僕と供にある。
人はどれだけ苦しい思いを積んだかで、 優しくなり、器が大きくもなる。
それが今の僕が確かな物として得ている事。
あのね! 赤ちゃんは本当にグニグニでいて、際限なく頼りなくて、 ただ、抱っこした時の温もりは自分と同じであって、
それを感じられる時間はあっという間に過ぎ去り、 次は反抗期の嵐がやってくる。
押しもせず引きもせず、ただ、絶対に引けない一線だけを守りながら幼き日の我が子の笑顔を振り返る。
そして、気がつけば人としておよそ経験すべき一通りを通り抜けた自分がそこに居る。
一生は、後にも先にもただ一度だけしかない・・・・・
そこにある物(人)に触れたいと思ったら触れたら良い!
なぜなら、人の一生における巡り会いは余りにも短いから。
巡り会える、全ての人達と幸せな時を歩みたいと心から願う、翔です。
最後に付け加え
あのね!
格好悪くても良く、ダサくても良く、 でありながら、 いつまでも素のままの自分で居られたら最高だなと・・・