他人との会話は暗記したマナー本に忠実に――。
わたしが決めた、わたしのルール。
ただ、娘(ドリー)の前では「普通」を装い、わたしの「自然」を抑え込んだ。
わたしとあの子を引き離そうとする何かの存在が、怖ろしくて。
今月の「永遠の英語学習者の仕事録」は、来月、朝日新聞出版から刊行されるヴィクトリア・ロイド=バーロウ『鳥の心臓の夏』をご紹介したい。
サンデーは自分のような問題は抱えていない娘のドリーとイギリスの湖水地方の町に暮らしている。農場の温室で働いているが、周りの人たちに理解してもらうのがむずかしいこともあり、ドリー以外の人と過ごすことはほとんどない。
わたしは常に人々から後退している。この世界全体は回転する部屋の集合体で、その一室一室にわたしはいつも誤って入ってしまっている。
そんなサンデーの前に、洗練された女性ヴィータが突然現れる。ロンドンから隣に越してきたヴィータと夫のロロは、サンデーをやさしく受け止めてくれる。サンデーはヴィータとロロの自由な生き方に惹かれ、ふたりから今まで味わったことのない温かい扱いを受ける。娘のドリーもふたりに惹かれ、特にヴィータとすぐに親しくなる。
だが、ヴィータは謎めいた女性だ。何か目的を持ってサンデーとドリーに近づいてきたのかもしれない……。
She leaned towards me and looked at my face, closely and entirely without self-consciousness. I began to feel that I had crossed some invisible social boundary that I should not have, had stepped off the path and on to the forbidden grass. I looked away from her and out towards my garden. But when she spoke again, it was with the deftness of a mother tightening her hold on a stumbling child.
あの人はわたしに向かって身を乗り出し、ためらうことなくまっすぐにわたしの顔を見つめた。わたしは越えてはいけない見えない社会の境界線を越えてしまったのかもしれない。道を外れて進入禁止区間に踏みこんでしまったのかもしれない。ヴィータから目をそらし、庭を見つめた。でも、ふたたび発せられたあの人の声が、よろける子どもをしっかりと抱きしめる母親のように、巧みにわたしを包み込んでくれた。
だが、ヴィータはサンデーの生活にどんどん踏み込んでくる。
この確信に満ちた言葉で、あの人はわたしにそれまでまったく知らなかった自信を与えてくれた。それは期待していた包み込まれる安堵感をもたらすものではなく、わたしの内に眠っていた何かにそっとささやきかけてくれた。ずっと長いあいだ眠り続けていたものに、そっと。
424ページにおよぶ本長篇において、サンデーの悲しい過去(姉ドロレスのこと、母との関係、ドリーの父である夫〝キング〟との出会いと別れ)も次第に明らかにされる。
著者ヴィクトリア・ロイド=バーロウ(Viktoria Lloyd-Barlow)はケント大学でクリエイティブ・ライティングの博士号を取得し、2023年発表のデビュー作である本作『鳥の心臓の夏』(All the Little Bird-Hearts)は、同年のブッカー賞のロングリスト入りを果たした。自身もASDであるロイド=バーロウは、ブッカー賞候補入りした初のASD作家となった。現在は創作活動を続けながら、ASDと文学の関係について積極的に発言している(ハーバード大学でも講演した)。
本欄第28回「人間が生きる上での習慣――大江健三郎がもうひとつ残してくれたもの」(本紙2023年7月22日号掲載)でも書いたが、わたしはASDおよび障がい者支援を長く続けている。ジョリー・フレミング『「普通」ってなんなのかな 自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』(文芸春秋)につづいて、ASDの著者の魂の叫びを映した本作を日本に紹介できるのを大変光栄に思うし、翻訳作業を通じてASDの人たちをめぐる状況に関し、新たに多くのことを学んだ。
自身も当事者である著者が、その感覚世界、家族の揺れ、そして自己の探索を繊細に描く、「ブッカー賞」候補作。
鳥の心臓の夏
ヴィクトリア・ロイド=バーロウ著
上杉 隼人訳
朝日新聞出版
上杉隼人(うえすぎはやと)
編集者、翻訳者(英日、日英)、英文ライター、通訳、英語・翻訳講師。桐生高校卒業、早稲田大学教育学部英語英文学科卒業、同専攻科(現在の大学院の前身)修了。訳書にマーク・トウェーン『ハックルベリー・フィンの冒険』(講談社青い鳥文庫)、ジョリー・フレミング『「普通」ってなんなのかな 自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』(文芸春秋)、ムスタファ・スレイマン『THE COMING WAVE AIを封じ込めよ DeepMind創業者の警告』(日経BP/日本経済新聞出版)など多数。本書『鳥の心臓の夏』の刊行により、日英翻訳をあわせて翻訳書数は100になる。
上杉隼人(うえすぎはやと)
翻訳者(英日、日英)、編集者、英文ライター、通訳、英語・翻訳講師。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業、同専攻科(現在の大学院の前身)修了。専攻はアメリカ文学。訳書に 、マーク・トウェーン『ハックルベリー・フィンの冒険』(上)(下)、ジョリー・フレミング『「普通」ってなんなのかな 自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』、ヴィクトリア・ロイド=バーロウ『鳥の心臓の夏』、ムスタファ・スレイマン『THE COMING WAVE AIを封じ込めよ DeepMind創業者の警告』のほか、インサイト・エディションズ『ハリー・ポッター公式 魔法のカエルチョコレートキット』、マシュー・ラインハート『ディズニーランド・パーク ポップアップ・パークツアー』、ジョー・ノーマン『英国エリート名門校が教える最高の教養』、ネルヴァ・シーゲル著、鏡リュウジ監訳『ディズニー ふしぎの国のアリス タロット』『続ディズニーテーマパーク ポスターコレクション』、『エプコット ディズニー テーマパークポスター ポストカード集』、『続々続 ディズニー テーマパークポスター ポストカード集』ウィニフレッド・バード『日本の自然をいただきます──山菜・海藻をさがす旅』、ディズニー『ロキ マーベルドラマシリーズ オフィシャルガイド』、マイク・バーフィールド『ようこそ! おしゃべり歴史博物館』、トマス・J・デロング『命綱なしで飛べ』、ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 『ファルコン&ウィンター・ソルジャー マーベルドラマシリーズ オフィシャルガイド』、ミネルヴァ・シーゲル著、鏡リュウジ監訳『ディズニーヴィランズ タロット』、マイク・バーフィールド『ようこそ! おしゃべり科学博物館』、『最新版 ディズニー全キャラクター大事典』、ヒューマン中村『おもしろ漢字辞典 こんな漢じでどうですか?』(日本語を英訳)、フィル・ショスタク『スター・ウォーズ 「マンダロリアン」 シーズン1 公式アートブック』、ダニエル・ウォーレス『STAR WARS スター・ウォーズ ライトセーバー大図鑑』、ディズニー『マーベル・シネマティック・ユニバース ヒーローたちの言葉』、ベン・ルイス『最後のダ・ヴィンチの真実 510億円の「傑作」に群がった欲望』、チャーリー&ステファニー・ウェッツェル 『MARVEL 倒産から逆転No.1となった映画会社の知られざる秘密』、マイケル・コッグ『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』、ウィリアム・C・レンペル『ザ・ギャンブラー――ハリウッドとラスベガスを作った伝説の大富豪』、マット・タディ『ビジネスデータサイエンスの教科書』、スティーブ・ベーリング『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』『アベンジャーズ エンドゲーム』、マーク・ソールズベリー『STAR WARS クリーチャーズ&エイリアンズ大全 制作秘話と創造の全記録』、『MARVEL マーベル最強ヒロインファイルBOOK』、スティーブ・ベーリング『スパイダーマン:スパイダーバース』、ニア・グールド『21匹のネコがさっくり教えるアート史 』、リチャード・ホロウェイ『若い読者のための宗教史』、ジェームズ・ウエスト・デイビッドソン『若い読者のためのアメリカ史』、ジム・マッキャン、アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』、 ライアン・ジョンソン 、マイケル・コッグ『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』、ジム・マッキャン、エリック・ピアソン、タイカ・ワイティティ『マイティ・ソー バトルロイヤル』、アレックス・アーヴァイン、ジョン・ワッツ『スパイダーマン ホームカミング』、デイビッド.A・ボッサート『ロイ・E・ディズニーの思い出 ディズニーアニメーション新黄金時代を創る』、ジェームズ・ガン、アレックス・アーヴァィン『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス』、ラリー・ハマ、マーク・スメラック、マーコ・ピエルフェデリチ『MARVEL アイアンマンの日常 THE WORLD ACCORDING TO IRON MAN』、ペイトン・リード 、アレックス・アーヴァイン『アントマン 』、ヨアヒム・ローニング、エスペン・サンドベリ 、メレディス・ルースー『パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊 カリーナ・スミスの冒険』、スコット・デリクソン、アレックス・アーヴァイン『ドクター・ストレンジ』、ジェームズ・ガン、アレックス・アーヴァィン『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』、ジョージ・ルーカス、テリー・ブルックス(『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス 』、ジョージ・ルーカス、R.A・サルヴァトーレ『スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』、ジョージ・ルーカス、マシュー・ストーヴァー『スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐』、 アンソニー&ジョー・ルッソ、アレックス・アーヴァイン『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』、ジェイソン・フライ、ケンプ・レミラード『STAR WARS THE FORCE AWAKENS INCREDIBLE CROSS-SECTIONS スター・ウォーズ/フォースの覚醒 クロス・セクション TIEファイターからミレニアム・ファルコンまで全12機の断面図から仕組みを徹底解析』、J・J・エイブラムス『スター・ウォーズ フォースの覚醒』、ジョージ・ルーカス『スター・ウォーズ エピソードIV 新たなる希望 』、ドナルド・F・グルート、ジョージ・ルーカス『スター・ウォーズ エピソードV 帝国の逆襲』、ジェームズ・カーン、ジョージ・ルーカス『スター・ウォーズ エピソードVI ジェダイの帰還』、アレックス・アーヴァイン、ジョス・ウェドン『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』 (ディズニーストーリーブック)、シャリー・ラスト『スター・ウォーズ ビジュアル事典 迫りくるシスの脅威』 『スター・ウォーズ ビジュアル事典 ジェダイの謎全解明』、ダニエル・ワレス『スター・ウォーズ ビジュアル事典 宇宙戦争全記録』、ジェイソン・フライ『スター・ウォーズ ビジュアル事典 ドロイドの秘密情報』、パトリシア・シー・リード、ジョージ・ルーカス『スター・ウォーズ エピソードIII シスの復讐 』『スター・ウォーズ エピソードII クローンの攻撃 』『スター・ウォーズ エピソードI ファントム・メナス』、ライダー・ウィンダム、ジョージ・ルーカス『スター・ウォーズ エピソードVI ジェダイの帰還』『スター・ウォーズ エピソードV 帝国の逆襲 』(ディズニーストーリーブック)、ジョン・ル・カレ『われらが背きし者』(共訳)、ダイアン・ディズニー・ミラー+ピート・マーティン『わたしのパパ ウォルト・ディズニー』、編者ウォルト・ディズニー・イマジニアリング、文ダニー・ハンケ、デザインヴァネッサ・ハント『ディズニーテーマパークポスターコレクション』、マーク・ソールズベリー著、ティム・バートン監修『アリス・イン・ワンダーランド ビジュアル・メイキング・ブック』、トム・コーウィン『ぼくのだいじなボブ』、トム・ブラウン『白雪姫はM&Aがお好き』、ロジャー・パルバース『英語で読み解く賢治の世界』『ハーフ』『旅する帽子 小説ラフカディオ・ハーン』『ライス』『日めくり現代英語帳』[上・下]『キュート・デビルの魔法の英語』『ほんとうの英語がわかる 51の処方箋』『新ほんとうの英語がわかる ネイティヴに「こころ」を伝えたい』『ほんとうの英会話がわかる ストーリーで学ぶ口語表現』『日本ひとめぼれ』など多数。
2006年4月から、英語学習ブログGetUpEnglish(https://blog.goo.ne.jp/getupenglish)を開始した。