10分で読めてずっと心に残る、本当にあった話
編集者としても翻訳者としてもすでに30年以上近く仕事をしているし、翻訳者としては翻訳書出版点数が100冊を超えつつあるが(名前も出ていないものも数えればすでに超えている)、代表作にはならなかったかもしれないが、忘れがたい本、忘れがたい仕事がある。
今月の「永遠の英語学習者の仕事録」は、その1冊を紹介したい。
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To all of you who have known and loved Bob,
I am terribly sad to say that Bob left us Saturday morning.
He was a great source of love, comfort and laughs to many of us.
He should serve as a powerful remainder to us all that wounded hearts can, and do, heal.
ボブと知り合って、彼を愛してくれたすべてのひとたちへ。
すごく悲しい報告をしなければならないけど、土曜日の朝、ボブはぼくらのもとを離れていった。
ボブはぼくらみんなにとてもやさしくしてくれたし、安らぎや笑いもたくさん与えてくれた。
ボブは、傷ついた心も、いつかかならず癒えるよ、ということをいつもぼくらに強く思い出させてくれる。
[訳者注]wounded hearts can, and do, healは、wounded hearts can heal and do healで、「傷ついた心も癒えるし、実際そうなる」ということだが、「いつかかならず癒える」で、その意味が出る。
トム・コーウィンの『ぼくのだいじなボブ』は、講談社から2007年に刊行された。
隣の家で飼われているゴールデンレトリーバーがひどい扱いを受けているのを見て、「ぼく」(コーウィン)は心を痛めていたが、ある日その犬「ボブ」が家の庭にやってきた。
そこからぼくとボブの友情が始まる。「生まれてから誰にも愛されたことのない犬」ボブは、初めてぼくに心から愛されて、ぼくと楽しい日々を過ごす。
隣の家の飼い主に隠れて、ぼくはボブと一緒に家で過ごしたり、どこかに出かけたりするようになる。
ぼくはボブと離れられなくなり、意を決して隣人の飼い主に、ボブを引き取りたい、と伝える。
「マーク、レッドのことで話がしたいんだ」(ボブはじつはレッドという名前だった)
(……)
それに対して、マークは
「ああ、トム、ぼくはもう1年前にわかっていたよ。レッドは君の犬になるって決めたんだよ」
これで「もうボブとぼくは誰にも隠し立てせずにつきあうことができるんだ」とぼくは喜ぶ。
だが、楽しいことには必ず終わりがある。
I lay on the floor with Bob and cuddled him for over an hour
and then I held him as he left his beautiful body.
What mattered most was for him to feel the depth of my love until the last second of his life.
I know he did
- I still feel his.
ぼくは床の上にボブと横になって、そのからだを長いことなでていた。
そしてボブがその美しいからだから離れていくときは、彼をしっかり抱きしめた。
ボブが何より望んでいたのは、自分はほんとうに最後の最後の瞬間までぼくにすごく愛されていた、と感じられることだったろう。
ボブはそう感じてくれたと思う。
――ぼくはまだボブのからだのぬくもりを感じるから。
[訳者注]I still feel his.のhisはhe(Bob)の所有代名詞でhis life(彼の生命)を意味するので、「彼がまだ生きている」状態を示す日本語を充てるのがよい。
これは本当にあった話だ。著者は「おわりに」に書いている。
……ボブの物語と、そして悲しいことにすでに彼が旅立ってしまったことを、彼と触れ合った人たちにどうしても知らせなければならない、と思った。(……)
手紙をメールで発信してから数カ月のうちに、それはまるで生命を得たかのようにあちこち自由に動きまわった。メールを受け取ったひとたちの多くが、それを読んだあと、それぞれの知り合いに転送してくれたのだ。
そのうちにぼくのところにまったく知らない人たちからメールが届くようになった。そこには、あなたの物語にわたしもとても心が動かされました、というメッセージが書かれていた。
それから親しい友人で「こいぬのタッカー」シリーズで知られる絵本作家のレスリー・マクガークが、君の手紙は本にして出版するべきだ、と熱心にすすめてくれた。それがどんなものになるかすぐにわかったから、ぼくは出版に向かって夢中で動き出した。
こうしてぼくは、自分が最初に書いた手紙をそのまま本にして刊行することになった。
著者トム・コーウィンにはインタビューもしている。ぜひこちらもご覧いただきたい。
https://blog.goo.ne.jp/getupenglish/e/4105f21569d7b8d72499e079aebec7af
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トム・コーウィンの『ぼくのだいじなボブ』は非常に思い出深い本だし、実際この本を訳してから各出版社から様々な仕事をいただくことになった。担当編集者の堀沢加奈さんにはひとかたならぬお世話になった。17年も経ってしまったが、この場を借りて、厚くお礼を申し上げる。そして本書を読んでくださった皆さんに、心より感謝したい。
本書は今は絶版で手に入らないが、いつの日か復刊されることを祈っている。
上杉隼人(うえすぎはやと)
編集者、翻訳者(英日、日英)、英文ライター・インタビュアー、英語・翻訳講師。桐生高校卒業、早稲田大学教育学部英語英文学科卒業、同専攻科(現在の大学院の前身)修了。訳書にマーク・トウェーン『ハックルベリー・フィンの冒険』(上・下、講談社)、ジョリー・フレミング『「普通」ってなんなのかな 自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』(文芸春秋)など多数(日英翻訳をあわせて90冊以上)。2024年後半に、話題書を含めて英日翻訳を6冊刊行予定。