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孤独死

2007-02-26 11:02:23 | 日記・エッセイ・コラム

真夜中のドキュメントで「孤独死」を見た。生活保護の申請をしても受け付けてもらえず、電気も水も止められ、衰弱して死んでいった男性、発見も何ヶ月もたってからだ。ここから北九州市の生活保護を申請させない行政の実態が明らかになった。

生活保護を求める人たちの市長への切々たる手紙。しかしこの人たちは生活保護の申請すら出すことが出来ないでいる。生活保護に詳しい弁護士達が集まって、市に生活保護を求める人について申請に行く。市は申請を受ける前に、相談という面接を行う。しかも当事者と職員以外は入れない。他の自治体ではこういうことはないという。相談は制度にはないものだが、市独自の制度だと主張する。本来は申請を受けつけ、その後、調査をするのだが、申請を受ける前に相談をし、申請を出させないように、ここで切ることを目的としている。

だんだん浮かび上がってきたことは、財源不足を理由に、生活保護の額を一定に抑え、月に20件の申請しか受け付けていなかったのだ。高齢化社会になれば なるほど、生活保護の需要は伸びる。こんなことはとっくに分かっていることだ。もちろんこの元凶は国行政そのものにある。

老齢加算は切ってしまったし、医療費は負担増になったし、一般の高齢者でも生き難くなっている。生活保護の高齢者には老齢加算は収入の2割程度にあたるという。「毎晩寝るとき、明日の朝、目が覚めなければいい」と思って寝ると言った老婆の言葉が身に滲みる。「偉い人たち(政治家達)はお金があるから、少しばかりの老齢加算なんて切ってもなんともないのだろうけど、実際にそういう人たちに私達の貰っているお金で、生活してみてほしい」 と。

まぁ、北九州市の役人の対応の悪さ。基本的なことが分かっていないよ。窓口の申請を受け付けないやり方は、憲法25条に定められている生存権に違反しているよ。いや、こういう保障があることさえしらないのかも。この生存権は公害問題のとき、よく使ったから暗記している。

日本国憲法
第二十五条【生存権、国の生存権保障義務】
1  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

生存権は最低のセーフネットだ。生活保護を受けるような、貧しい人間はさっさと死んでしまえということなのだろう。生活保護を受けたくなくたって、人生何があるかわからない。極論を言えば、政治とはだれもが生きられる環境をつくることだと思っている。そのためにみんな働き、税金という形で、お互いに助け合っているのだ。それが出来ないような政治なら、政治なんかいらない。高齢者をこんな扱いをするような社会に、若い人が未来に夢を描けるだろうか。

むかむかして、眠れなくなってしまった。

コメント
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