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金木犀の香り

2011-10-01 19:39:41 | 日記・エッセイ・コラム

今日は私の74回目の誕生日。   

Papasanはコーラスの合宿で朝から留守。そうとは知らぬ犬たちが、相変わらず階段の下で帰りを待っている。                                                

母の亡くなった年にはまだ間があるが、父の年は越えている。誕生日の度によくぞここまで生き永らえられたか、と思う。                                          

                                                         

小学生のとき、「子どもの天文学」という本を読んだ。その中にハレー彗星の話が載っていた。エドモンド・ハレーが彗星の周期を計算して、76年周期で太陽に近づくと発表した。そして非難を浴び、ハレーは76年周期でやってくる彗星を彼自身は見ることもなく、失意のうちに亡くなった、はたして彼の予言どおりに76年周期で彗星が現れ、彼を記念してハレー彗星と名づけられた、というようなことが書いてあった。よし、ハレーの代わりに、私がハレー彗星を見てやろう、それまでは絶対に死なない、と思ったのだった。小学校3、4年生、戦後のまだ物資も乏しく、貧しい時代であった。生きられる保証はまったくなかった。

そのハレー彗星も1986年3月、やってきて、遠ざかっていった。いまごろはどこら辺を旅しているのだろうか。次は2062年、それまではとても生きてはいられない。

ここのところ、宇宙に関する、興味深いニュースが続く。宇宙探査の成果で、宇宙のベールが少しずつはがされていくようでたのしい。生命の起源も。

                                                          

学生のとき、学期末に先生が贈ってくれた言葉、ピエール・キュリーの言葉、フランス語だった。原文は日記に書いておいたのだが、「真の人生とは、青年期に夢見たことを壮年期において実現することである」と言ったような内容だった。壮年期は過ぎ、老年期に入ってしまったが、若かりし日に夢見たことは何だったろう。とはいえ、老年期に入っても夢見ていることは多々ある。実現できるかどうかは別として。

                                                                                                                                                          

奴隷制度のあった過去と比較しても現代、奴隷が一番多い時代なのだそうだ。奴隷として売られていく子どもたち、格差社会で奴隷にされる大人たち、富める国、貧しい国を問わず、奴隷の存在は現実にある。悲しいことだ。

                                                          

外に出ると甘い香りが漂ってくる。目を凝らすと、柿ノ木の葉陰になって、こぼれ日しかもらえないが、それでも金木犀が咲き始めている。いい香り、深呼吸する。洗濯物を干しに出るのがたのしみな香りだ。

餌を貰うかぽをつくずくと見た。羽毛がきれいになっている。冬支度なのだろう。一枚一枚が波状に重なってなんともきれいだ。

甲高い鳥の声を聞いた。モズが帰ってきたのだろう。

冬鳥たちもそろそろやってくる。

コメント
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