沖永良部からユリが届いた。従姉が送ってくれたものである。ユリは沖永良部の特産品。前にも書いたが、このユリには哀しい歴史がある。第二次世界大戦中、食糧増産を推し進めるあまり日本軍は、島民に特産のユリの廃棄を命じた。ユリは琉球王朝の時代、ヨーロッパに輸出されていた。そういう繁栄も敵視され、ユリは根絶やしにされるところだった。島の重鎮が、将来島を助けるのはユリだと言って、ユリの球根をソテツの根元に埋めて隠した。やがて戦争が終わって、島を助けたのはユリであった、というユリの歴史は島の公民館に掲げられている。永良部ユリというのは、鉄砲ユリのことである。今ではいろいろの種類のユリが栽培されている。家中がいい香りに包まれている。
大磯まで行ってくれた。いつものようにかまぼこを買うためである。かまぼこは一年に一度しか食べることはない。
どういう風の吹き回しかpapasanが急に絵を描くという。そこでパステルを出してやった。スケッチブックがかなりいっぱい。そこでそれこそ何年かぶりでツノダに寄ってもらい、スケッチブックとフキサチーフと練ゴムを買った。ついでに私も溶き油を買った。く油絵の埃とりに湯で洗ったら、絵の具が剥げてしまったので、その補修をしてやろうと思ったのだが、やるかなぁ。私の作品だから補修しなければならないこともないのだが。同様papasanも描くかなぁ?
朝、数の子を薄い塩水に浸し、出がけ直前、3時間たったので、塩水を新しくし、浸して出かけていた。食べてみると少し塩分は残っているがほぼ塩は抜けている。水切りをし、漬け液を作り、それが冷めるまで、数の子の薄皮を剥いた。数の子が小さいせいもあって、500gに、かれこれ1時間かかった。すっかり冷えてしまった。こんなに時間がかかるならストーブのそばで仕事をすればよかった。
大磯まで行ってくれた。いつものようにかまぼこを買うためである。かまぼこは一年に一度しか食べることはない。
どういう風の吹き回しかpapasanが急に絵を描くという。そこでパステルを出してやった。スケッチブックがかなりいっぱい。そこでそれこそ何年かぶりでツノダに寄ってもらい、スケッチブックとフキサチーフと練ゴムを買った。ついでに私も溶き油を買った。く油絵の埃とりに湯で洗ったら、絵の具が剥げてしまったので、その補修をしてやろうと思ったのだが、やるかなぁ。私の作品だから補修しなければならないこともないのだが。同様papasanも描くかなぁ?
朝、数の子を薄い塩水に浸し、出がけ直前、3時間たったので、塩水を新しくし、浸して出かけていた。食べてみると少し塩分は残っているがほぼ塩は抜けている。水切りをし、漬け液を作り、それが冷めるまで、数の子の薄皮を剥いた。数の子が小さいせいもあって、500gに、かれこれ1時間かかった。すっかり冷えてしまった。こんなに時間がかかるならストーブのそばで仕事をすればよかった。