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新しい新聞販売店さん

2018-12-10 13:21:00 | 日記
夏ごろから息子が湯河原新聞をとり始めた。と言っても目の悪い私はあまり新聞を読まないので、じっくりとは見ることもなかった。

12月から新聞の販売店が、真鶴の高橋さんから湯河原(どこにあるのかまだわからない)に変わった。お知らせを読んで知ったのだが、そのままにしていた。
ところが12月1日から湯河原新聞が入っていないと息子が言った。多分、ほかのうちにはいってしまっているのだろう、と。それから気にしてみていたが、確かに入って来ない。
連絡をしたくとも、お知らせは捨ててしまったし、名前もどこにお店があるのかもわからないくらいだから連絡のしようもない。
たまたま和美さんが、駄菓子屋さんの店じまいで、湯河原新聞の取材を受けたという話をしたので、実は湯河原新聞が入らないんだけど、連絡のしようがないというと、お知らせをとってあるから持って来てあげると言って、9日、届けてくれた。そこでさっそく電話をすると、とてもいい対応で、火曜日からきちんと入れる、と言ってくれた。それが、すぐ「失礼しました」と言って9日の湯河原新聞を届けてくれた、さらに休刊日の月曜日には6、7、9日分が配達されていた。ご丁寧に。で、さっそく読ませてもらった。
なるほど6日は駄菓子屋さんの記事、7日は議会初日の一般質問、岩本さんの質問、そして9日は森さんの質問が載っている。真鶴関連の記事だから、心して届けてくれたのだろう。ありがとう!

あら、森さん、こんな質問していたんだ。真鶴町のホームページが29年から更新されていないという指摘。よく見つけたね。でもね、真鶴町のHP、けっこそんなこと多いんだよ。
間違いも多いしね。以前は連絡していたけど、最近は面倒だから連絡はおろか、それ以前に、見もしなくなってしまった。だってさ、トップの「町長室」だって、町の紹介と、施政方針しか載せていないだろ。もっと自分の言葉で、今町が抱えている問題を、毎月とはいないまでも、丁寧に説明してくれたら、大よろこびしちゃうんだけどなぁ。これはたいへんだとしても、私はこういうことをしていますって恰好つけて町を宣伝してもいいのになぁ。あらさがしじゃないけれど、行政の不手際、不始末、いっぱいあるよ。

それにしても初日、まったく聞き取れなかったので消してしまったが、議題に先決処分があったけどあれ、なんだったのかな?
それと非常勤職員への期末手当があったけど、またぞろ人勧を理由に値上げしようというのかな。ここは聞きたかったんだが。


やっと岩本さんの一般質問の記事を読んだ。歴史の文化、掘り起こしを、訴えていたんだね。
磯崎水源のことが取り上げられている。次いで胎中さんのことも。石の広場に設置されている胎中さんの石像、草に紛れたまま放置されているのを知っているかな。
町史には書かれていないけど、執筆者たちは知っているが、公の資料として残すには彼らも書けなかったんだが、あの水源の水を許可してもらったのには、裏があったんだ。
もちろん、当時の松本町長、胎中さんの努力があったればこその認可だが。多分、岩本さんもそのことは聞き及んでいるとは思う。

胎中さんのことは、私とて、ミカンの恩人ぐらいしか知らなかった。先月亡くなられた松本昭さんに、胎中さんのこと書いてくれよ、と言われて、まとめたのが[真鶴の恩人胎中・・」である。昭さんは学者であり、文筆家である、文章は実に読みやすいし、うまい。その人が私にかけと言ったのには、たぶん、なにも知らない私のほうが学術的にならなくて、読みやすくまとめるのではないかと思ってのことだろう。おかげでいろいろ調べておもしろかった。胎中邸は、その後親族の石井さんという方がすんでいて、そのご子息が小学校時代、papasanと同級生でよく遊びに行ったこと、そのあと筒井さんという方がお住まいで隣で仲良くしていた葉子さんにも話を聞くことができた。胎中邸のことは、結構身近に知っている人がいた。胎中邸は今岩忠さんになっている。しかし「胎中さん」その人については、私と同世代の真鶴町の人はほとんど知らなかった。ましてや若い層が知る由もない。

しかし、関東大震災前の真鶴の豊かさ、震災後の崩壊、それにからの財政も傾き、今はもう神奈川県一の財政的には貧乏町になってしまっているが、そういう歴史的事実は等しく町民がしっていてもいい。

うふふ、それが教養ってものだよ。
コメント
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