テレビを見ていたら、在日のベラルーシ女性とその伴侶のアイヌの男性が話していた。ベラルーシ女性は、ロシア語を使うのを止めている、と「ベラルーシ語は私のアイデンテティ。私はベラルーシに誇りを持っている。」と。アイヌの男性は「アイヌ語はしゃべれるが日常的には使えない。言葉を奪われた感じ。しかしアイヌであることには誇りを持っている」と。
ベラルーシの人たちとの付き合いは長い。しかしベラルーシ語は知らない。英語か片言のロシア語のやり取りだ。チェルノブイリで被ばくし、保養に家に来たベラルーシの子どもたちもロシア語を話していたように思う。通訳のアンドレイさんと話していたが、ロシア語だと思っていたが、あれはベラルーシ語だったのだろうか。
そういえばこんな経験がある。ソフォーズのエレーナの家で私たちの歓迎パーティを開いてくれた時のことだ。出席者たちが「ダシビダーニャ」と私に言いながら帰り始めた時、それを見送りながら、私が「ダパパチェンニャ」とベラルーシ語で「さよなら」と言うと、帰りかけていた人たちがみな戻ってきて「mamasan」と抱きついた。ベラルーシ語を使ったのがうれしかったんだろうとは思ったが、言葉に深い思いがあるとは気が付かなかった。言語を奪われた歴史がないからな。不遜だな。
中学か高校の英語の教科書に「Lannguage Warがいくつが紹介されていた。トップは「The Last Lesson」これはドーデの水車小屋便りの一篇でフラン語が元なのだが、英語のテキストなので英文で載っていた。次いでウェールズ語の話、そしてもう一篇、韓国、朝鮮の話だった。
今沖縄返還50年でテレビで沖縄が特集されている。今の沖縄の若い世代は沖縄語が分からない人たちは半数近くに上っているという。言葉は文化。ということは独自の文化も失われつつあるということだ。沖縄の歴史は知っている。島ごとの歴史もかなり知っている。