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北欧記

2005-05-15 17:50:57 | 旅行記 ヨーロッパ

nakaniwakara
市庁舎の中庭から

2000年7月4日
成田10時15分発KLM。いつものシベリヤルートでアムステルダム3時着。4時20分アムステルダム発。空から見るスウェーデンは森と湖がなんとも美しい。ストックホルム6時半着。まだ日は高く、しかも暑い。

空港からバスに乗ると、運転手は女性。高速道路を100キロでぶっ飛ばす。中央駅に着き、ホテル・スカンディック・コンチネンタルを尋ねると、教えてくれたが、よくわからない。中央駅の正面へ行くと目の前がホテル。すべて順調。部屋に入ると、テレビがついていて、しかも名前入りで歓迎のメッセージが入っている。フロントからのメッセージが続いて入り、明後日の乗船キップを預かっているという。急いでパパさんがもらいに行く。

cityhall
市庁舎

8時過ぎだというのに日はまだまだ高い。日本の3時ごろの太陽だ。カメラをもって外に出るが、なんとなく元気がない。時差のせいだ。ホテルの隣は高い尖塔のある大きな教会。さすがにもう門は閉まっている。もったいないが戻って寝る。
church
ホテルの隣の教会

10時目がさめて外を見ると薄明かり。次に目を覚ましたのが午前2時。薄明かり。そして5時には日が昇っていた。夜はいつきたのだろうか。

7月5日。

5時半起床。6時半、駅にスカンディックパスのヴァリデードをしてもらいに出かけていく。日本人観光客が大勢もう集まっている。「お早いですね」と声をかける。まだ売り場には係員の姿がないので出直すことにする。猫に綱をつけ、家族で出かける人に出会った。猫に「おいで」というと、よってきたので、撫でながら、主に話し掛ける。「うちには10匹猫がいる」というと、「10匹も」とうれしそう。これからバカンスに猫も連れて行くのだという。

ホテルに帰り、食事をして駅に行き、ヴァリデードをすます。7時40分のウプサラ行きでウプサラまで行く。電車は快適。外の景色もいい。ところがウプサラはひどい雨。雨具をおいてきてしまったので、外に出るわけにも行かず、駅で雨宿りしているが一向にあがりそうにない。トイレは5クローネ。電車が来たのでそのままストックホルムへ引き返す。

library

ストックホルムは曇っているが日差しももれて暑い。パパさんがストックホルムパスを買ってきたのでスカンセンへ行く。動物園やアミューズメント施設がある。あんまりおもしろくはない。そのあとSightseeing Busに乗り、一周する。そんなに大きな都市ではないから、観光は歩いてできる。ホテルに戻り、食事に近くの中華に行き、歩いて行く。
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旧市街に行くとケーナの音が聞こえる。近づくとインディオらしき男性がケーナを吹いている。いい音だ。そこでCDを120クローネ(約1500円)で買う。港まで下りて行き、帰りバンドゥーラの響きに足をとめ、近くでお茶を飲みながら耳を傾ける。
banndura

雨が降りそうだ。言ってる間に大雨が音を立てて降りだし、雷がなり始める。途中喫茶店で雨宿りをし、小雨になったところを急いでホテルに帰る。しかしぐしょ濡れ。急いで風呂に入り、髪を洗い、洗濯をし、衣類を乾かす。gamurastan2
パパさんはいびきをかいで寝ている。その間7枚の絵はがきを書く。雨がやんだので、絵はがきを出しながら、市庁舎まで出かけて行く。8時過ぎだというのに、まだ明るい。写真を撮る。戻ってきて隣の食堂で夕食を食べ、つかれたのでそのまま寝てしまう。12時、外を見ると空が暗い。12時ごろが真夜中で日がくれるらしい。

7月6日

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ウプサラ大学

起きると外は雨。今日はウプサラへいく予定である。この雨ではどうしようと迷ったがここにいてもしようがないし、とパパサンの決断で7時25分でウプサラに向かう。ウプサラへいくと天気はよい。雨に洗われた緑は日の光にぴかぴかと光ってとても美しい。ウプサラは緑深き町だ。
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ルーン文字の碑

聖堂を見て、ウプサラ大学の構内でルーン文字の碑を撮す。大学構内の環境はまことにいい。ウプサラ大学出身の6名がノーベル賞受賞者。大学の壁面にその人たちのプレートがはめ込まれている。
銀の聖書を見るために図書館に行く。シルバーバイブルは実にきれいだ。ゴート語に翻訳し、銀と金のインクでかいたのだそうだ。8世紀頃のものだ。説明は英語がついている。客は私たちだけ。

upsara
ウプサラ大聖堂

緑の並木を少し上がったところがウプサラ城。そこから見下ろす大聖堂の景色もいい。ウプサラ城を見て、町に下る。町の通りの屋台で果物を売っている。どこのもの?って聞くと、トルコ産だという。連れ合いはあい相変わらずイチゴ、ネクタリン、フランボワーズを買っている。しかもお釣りがなくて、どっか遠くまでくずしに行った。その間、私は屋台の側を離れるわけにも行かず、近くのウィンドウをのぞいている。連れ合いは買った果物を駅の売店で洗ってもらって食べている。
gamrastan

ストックホルムに戻り、市庁舎を見学する。ここはガイドなしには見学できない。ちょうど12時のガイドに間に合った。英語のガイドに入った。1階のホールがノーベル賞授叙式に使われるところだ。パパさんは以前来たことがあるので、説明してくれる。説明はこれで十分なのだが、ガイドは自分の説明を聞いてまわるように言う。フランス語のガイドの方がさっさと行く。あっちに入ればよかったなぁ。面白くもない説明を長々と聞かされうんざりだが、自由に見歩くことができない。ヨーロッパではこういうシステムは多いが、あんまり好きではない。

駅に戻り、ホテルで預けておいた荷物をもらい、タクシーでヴァイキングラインのターミナルに行ってくれと頼むと通じない。この国ではヴィーキングラインと発音するのだそうだ。
1
ヴァイキングライン
4時乗船。MARIELLA号は大きな船。37,799トン。1985年建造。全長177m、全幅29m。速度22ノット。乗客定員2,700名。10階ぐらいの高さだ。1階から3階までがカー乗り場。4階から6階までが宿泊施設。7階が食堂。8階までエレベーターがある。その上に甲板、更に上甲板がある。甲板ではビールを売っている。部屋を取らないで、乗船している客も大勢いる。シュラフに包まって甲板で寝ている人たち。ベンチでごろ寝をしている人たち、夜っぴいて騒いでいる若者たちなど多種多様。レストランもいろいろある。免税品を売る店は大繁盛だ。

5時出航。ラグジュアリーはなかなかいい部屋だ。思いのほか振動も騒音もない。下手なホテルよりはずっといい。シャワー、トイレはついているし、冷蔵庫もテレビもある。冷蔵庫にはコンプリメントのスパークリングワインの小瓶が二本とスポーツ飲料が入っている。みやさんたちもこういう部屋で過ごしたのだろう。(註:みやさんは歴史の先生。ジェノバから黒海までのクルーズに出かけた)

白夜の海を2万以上もあるという島々の細い水路をとおって船は走る。ずっと見ていようと思ったのだが、すぐ眠くなって寝てしまう。8時ごろ目を覚まし珍しく着替えて食事に行く。めがねを忘れたので取りに戻ると、その間にパパサンがワインを注文しておいてくれた。おやまあ、マルゴーのグランクラッセだ。張りこみましたね。
marienham
マリエンハムの夕日

10時ごろ、マリエンハムンに到着。夕焼けがきれいだったのでシャッターを切ったのは覚えているが、いつのまにか寝てしまう。ほんと、よく寝る。

7月7日。

窓から差し込む日差しは暑いくらい。冷房をつけ、食事に行く。のんびり食べて10時には港につく。海から見るヘルシンキはあんまり美しい町ではない。予定では明日の一番でタリンへ行くつもりだったが、どうも朝の便はないらしい。ならば、今日、タリンへ行ってしまおう、タリンで泊まっても良い。タリン行きのシリアラインの様子を聞こうといろんな人に尋ねたが聞くたびに違うことを言われ、シリアラインのターミナルも探して、ずいぶん歩き回る。とうとうわからなくてヴィーキングラインのターミナに戻り、タクシーで「シリアラインのターミナル」というとつれて行ってくれたが、とても歩いて行ける距離ではなかった。

ここで中国人の団体に会った。台湾からの一団で、これからスウェーデンに向かうのだという。お年寄りが達者な日本語で話すのが、歴史を知る者にはひっかかる。

以前にバルト3国の歴史を読んでいたので、出来ればバルト3国に入りたいと思っていた。エストニアにはビザがいらないと知り、ソ連圏に併合され、独立までの厳しい道のりを歩んだその地に急遽足を踏み入れることにした。

シリアラインの受付は親切。そこでタリンまでのチケットを買い、高速船シーキャットに乗って1時間半、エストニアのタリンに着く。乗客の子どもたちがピカチューのぬいぐるみを持っている。「ピカチュー?」ときくと、頷いている。ピカチューも国際的になったものだ。

イミグレイションでは日本人のためか(この船には東洋人とおぼしき客は私達以外いなかった)時間がかかったが、無事入国できる。持っていたクローネを両替する。雨が激しく降っている。タリンで一泊しようと思っていたが、この雨では。やむなく荷物を預け、外に出るとタクシーが「2時間で400エストニアマルクでどうだ」と声をかけてきた。相場もわからないが、この雨ではどうしようもない。承諾して車に乗る。

1

タリンの歴史的エリアはすばらしい。ナチスもこの歴史的古都は破壊しなかったのだそうだ。雨の中を外に出てシャッターをきりまくる。旧市街の佇まいはよい。きれいな町だ。
tarin

途中、ぞろぞろと、旗をもって昔の農協さんさながらの3組の団体にあった。運転手があれはヤンキーだという。たしかにヤンキーだった。アメリカも今は景気がいいのだろう。しかし、こんな大勢の団体でやってくるとは。
tower

新市街の方は、まだソ連時代の影が残っている。森の中の家の前に兵士が立っている。「何してるの?」ときくと「あれは官邸だ」という。ほほう、あの程度の警備でいいなら、この国は治安はいいのかも。官邸の前はスターリンの滞在した家。私たちはクリーム色の壁をKGBカラーと言っているのだが、まさにそれ。「寄るか」と聞くので、スターリンは好きじゃないからからいいと断る。それを聞いて、運転手は笑っている。ちょっと反応はわからない。

church

そのうちに雨があがり、光も差し出す。「泊まりたくなっちゃったねえ」と言いながら、でも荷物を預けてあるので、ターミナルに戻る。運転手に約束のお金と残ったお金を全部やってしまう。運転手はよろこんでいる。

シリアラインの18時のキップを買おうと思ったら、満席で、22時の船しかないという。それでは遅い。早い船はないかと聞くと、タリンクを聞いてみれば席があるだろうという。タリンク(エストニアの船)は4時15分発。すぐ出発だ。急いで、チケットを買い、パスポートコントロールを通り、乗船する。船は十分空いていた。この船にも免税店があり、私たちの座ったところが会計の場所だったのでうるさかったけど、人々がどんなものをかうのか興味をもって見ていた。ほとんどの乗客が酒、タバコ、チョコレートを買う。どういう状況なのか図り知れずにいる。

港にもホテルはあったが、ラマダ・プレジデントが駅の近くなので泊まる。フィンランドの価格は安い。日本人ツアーも多い。食事前に白夜を利用して市内一周の電車に乗る。あーあ、タリンに泊まるべきだった。どうも海から見た第一印象がわるかったらしい。ということは、都市づくりには第一印象も大事ということになる。フィンランディア、シベリウスのイメージに憧れてはいたのだが。でも、出来るだけ歩き回る。

明日はタンペレをまわってトゥルクに行こうということになる。食事をし、風呂に入り、洗濯をし、寝てしまう。北欧のホテルは洗面所に熱いパイプが通っているので洗濯物を干すのに都合がよい。

7月8日
paprila

食事をすませ、市電に乗り、ルター派の大きな教会へ行く。となりはヘルシンキ大学。港のマーケットで果物を買い、私は赤や黄色の色鮮やかなピーマンの写真を撮っている。市電でホテルに戻りチェックアウトする。9時58分でタンペレに向かう。ロバニエミ行き。これに乗って行くとロバニエミには夜の8時過ぎに着く。ロバニエミからはサンタクロースの村にいける。
私はラップランドに興味があるんだが、これはまたの機会にしよう。

車窓からの景色は自然が豊かで、白樺、松、などが目立つ。草原にはピンク、白、うす黄色、青といった色とりどりの野草が花を咲かせている。今が一番よいシーズンなのだろう。

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タンペレの町も、郊外に出て自然を満喫すればきっといいのだろうが、市街そのものはあんまり美しくはない。ここはフィンランド第二の都市。図書館の設計は有名。かたつむりを連想させるような図書館をのぞく。北欧は図書館活動の先進国。学校図書と提携したり、子どもの時からに読書に親しむ方策を模索して実行している。

内部を見学している。日本でもこういう方式が多くなったが、カードでだれもが簡単に本やCD、ビデオを借りて行く。返すのは返却テーブルに載せると、コンピューターが読み取って、係りがその場で分類して、片付けている。利用者は多い。コピーやパソコンの設備もあり、使用は自由。うん、なかなかいい。面白がって、パソコンを立ち上げたはいいけれど、パソコンだって幼稚園生なのに、さら言葉がわからない。結局使えない。

吹きぬきになった中央ホールを囲むように中二階があり、子ども達のムーミン谷訪問の絵が飾られている。そうだ、ここはムーミンのふるさとだ。テーマ・パークもある。ムーミンは全冊読んではいるけれど、でも、ちょっと行く気にはならない。
church

2時56分でタンペレからトゥルクへ向かう。ここは単線。見渡す限りの麦畑。菜の花の黄色が目に鮮やか。ところどころに森がある。車掌が検札に来て、「ようこそフィンランドへ。」と英語で声をかけていった。こういう態度は見習いたいものだ。

トゥルクの町は、ヘルシンキができる以前はここが首都であったというが、うら寂れた町だ。川沿いにホテルを探して港近くまで下って行く。見つけたスカンディックホテルは満員で、フロントが親切に提携のあるホテルに聞いてくれたが、よい部屋がない。係りは流暢な日本語を話す。やむなく一日繰り上げてフィンランドをたつことにする。

シリヤラインのターミナルはホテルから30分ほどだと言っていたのが、いやはや遠い。そのうち雨が降りだす。途中雨宿りする場所もない。トゥルク城の前も寄らずに通り過ぎる。やっとこターミナルに到着。乗船券と部屋を確保。やれやれ。これで寝て行ける。今度はシリアラインだ。

9時乗船。部屋はヴァイキングラインより狭い。ベッドも壁にくくりつけられたもの、ひとつはソファになっている。それをひっくり返すとベッドになる。冷蔵庫もない。なんだ、たのしみにしていたのに。とはいえ、贅沢はいえない。一晩寝る場所が確保できたのだから。

船は音もなく海を走って行く。小さな島のあいだを。夕日が島々に赤い影をおとしている。一眠りして食事に行くと、9時半でビュッフェはクローズ。夕食を食べそこなって、ママさんは怒っている。カフェテリアは開いていて、ここでサラダの盛りあわせや、ケーキなどを買って食べる。こういうのを夕食とは呼ばない。

フィンランド時間では11時、スウェーデン時間では10時、日はこれから沈む。夕日が沈むのをデッキから眺めている。

7月9日
目を覚ましたのが4時。時差があるから5時。食事が5時からだと昨日日本人ツアコンが言っていたのを横で聞いていたので、出かけて行くがまだ開いていない。30分には間がある。散歩をすると、甲板にはサウナもある。シリアラインはフィンランドの船だからだろう。サウナ、美容室まである。

食堂は先頭、前方がよく見渡せる。前方に大きな客船が走っている。ロッテルダムと書いてある。水路が狭いから一方通行なのか、それとも時間差で通行をしているのか定かではないが、船足はシリアラインの方が速い。水路が広くなったところで、左側を抜く。

ストックホルム着。見覚えのある建物が見えてくる。海からの景色はストックホルムの方が好きだ。バスで駅まで行き、8時のヨーテボリ行きに乗る。ヨーテボリで外に出て見る。歩いていると雨がぽつり、ぽつり。あわてて駅まで引き返す。オスロ行きに乗る。なんと電車で朝食が出た。

オスロにつくと雨。かなり激しい。駅前のホテルに当たるがどこも満杯。ちょっと離れたコンファタブルホテルに2日宿を取る。ただしここはシャワーのみ。バスと言う言葉は普通シャワーを意味しているが、部屋が狭いとか汚いとかはあんまり気にしないのだが、バスタブだけはほしい。1泊の時は我慢できるが2泊以上のときは洗濯もするのでなおバスタブがほしい。
ぬれた衣類を干し、洗濯物を干し、小雨になったので食事をかねて外に出る。近くのインド料理で夕食を取る。そのあと、ルーテル派の大聖堂に礼拝に行く。プロテスタントの礼拝に出たこともあるが、勝手なことを言っては悪いが、カソリックの方が趣がある。牧師さんは女性。しかし、言葉が全然わからないのでつまらない。
このホテルも団体客でいっぱい。フランス人だ。フランス語が頭上を行き交っている。窓から外を見ると、目の前は旧証券取引所の建物。なかなか感じがいい。

7月10日(月)

月曜日はほとんどの施設が休館だが、国立美術館だけは開いている。まず城壁を見て、船でビュグディ半島博物館めぐりに行く。ヘイエルダールのコン・ティキ号博物館、フロム博物館、民族博物館とみてまわる。「コンチキ号漂流記」は読んでいる。バルサ材の筏で5人の仲間と100日余り、太平洋を漂流した記録である。実験考古学と呼ばれ、世間をわかした。

ラー号もある。これにも興味を持って資料を読んでいる。実験とはいえ、こんな船でよくぞ太平洋を渡ったものだ。はるかな昔、先祖達の冒険心はいかばかりのものであったのだろう。何をよりどころに、大海原を渡っていったのだろう。フロム博物館はナンセンたち冒険者達の館だ。アムンゼンやスットたちの南極点への探検、悲劇。子供のころ、何度も胸躍らせながら読んだ。

船で再び戻って、市庁舎内の壁画を見学、ここもガイドがつくらしいが、時間が無いから見せて、と係りに頼んで入場料を払い勝手に入る。ドイツへの抵抗の絵が多い。しかし、迫力はいまいち。正面のロータリーには同じ大きさトラや牛やブタの乗り物がアーチを描くように並んでいる。おもしろい。小雨が落ちてきた。雨の中、お母さんに連れられた子どもがそのひとつに乗っている。かわいい。シティトレインで一回りし、地理を頭に入れる。

町で食事をする。そんなに一皿の量は多くなくて助かる。王宮の衛兵の交代は13時半だ。どうでもいいのだが、それでも坂を走って登る。けっこうきつい。

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ムンク・少女

美術館に行く。国立美術館は無料。ムンクの代表作は殆どある。モジリアニの女性とセザンヌの木の絵が気に入った。ここはカメラもフラッシュもOK。こんな作品をカメラOKとは、フェイクではないかと気になるほどだ。日本人団体客も多い。ムンクの「叫び」は知っていて、その前で記念撮影している。どういう気なんだろう。来たと言うしるしなのだろうか。美術に興味があってやってくるわけではないから、出て行くのも速い。人がいなくなったところで、私もカメラを向ける。フィルムは400。フラッシュはたかない。天井の照明がガラスに写って、これを切るのに苦労。照明の光がどこかに入るのは致し方ないが、影響のないところを探して撮る。

park
市電でフログネル公園へ行く。乗っているだけでまわりの人が「次ですよ」と声をかけてくれる。ありがたいことだ。この公園は彫刻家ビーゲランの彫刻を集めた公園だ。テーマは人の一生。だから人生のさまざまな時間が刻み込まれている。広い。彫刻をさわっても乗ってもかまわない。彫刻の上に乗って遊ぶ子どもたち、彫刻の姿を真似る子どもたち、ローラースケートで走り回る子供たち、何があったのか、噴水の前で頭を抱える子どもたち、見ているだけで。思わず笑みがこぼれてしまう。カササギがすぐ側まで来て、私が投げたパンくずを拾っている。もちろん一枚。
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ムンクの代表作も見たことだし、明日早くベルゲンに発とうかと話をして、明日の急行の座席予約に行くと、明日の午前中の便は取れないと言う、取れるのは3時過ぎの便だけ。しかたなくそれを予約し、空いた時間ムンク美術館にいくことにする。

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