鹿島電鉄が83年の歴史にピリオドを打つ、最後の様子が放映されていた。最終電車は満員、そして電車を見送る人々でホームはあふれていた。これでまた鉄道の支線がひとつ消えた。私は鉄道ファンではないけれど、こういう風景はちょっとさびしい。
この前和歌山のなんとか線のリポートを見た。ブログに書いたような気もするが忘れてしまった。沿線の住民達の熱意に手を差し伸べたのは、大阪の企業だった。目玉はないところだが、いろんな企画をして乗客を増やしている。無人駅だったところに駅長を置いた。その駅長は、いつも駅舎にいて、付近の住民達から愛されている赤トラネコだった。駅帽をかぶったトラネコが可愛かった。その企業のトップが言うには、鉄道幹線を動脈とすれな、支線は毛細血管。毛細血管がなくなれば人体は死んでしまう、鉄道も同じ、支線がダメになれば、日本という国も死んでしまう、と言っていた。なるほどな、と思った。支線には住民がいる。過疎にしてしまえば、そこは死んでいくことになる。そのとき、鹿島電鉄を残そうという人たちの動きも見たように思う。ただしこちらは付近住民の熱意がなくて、企業は手を引いたのだった。ここのことではなかったろうか。
そのあと、たまたまイギリスの保存鉄道のリポートを見た。途中から見たから鉄道の名前は定かではない。イギリスには、保存鉄道は何本もあるようだ。ここも鉄道改革で2年間廃線になっていたことがある。しかしこの線路を愛する人々の熱意によって、復活し、全てボランティアで運営されているという。それぞれ職業を持った人々が参加して、もちろんプロの鉄道マン達も参加して運行している。走っているのはポッポである。部品も 全部ボランティアの手作りだ。
ピカンだかビカンという名のポッポが写っていた。このポッポは1937年製で、かつてはロンドンからニューカッスルまで走っていた。車体が半分に折れてしまったので、廃車となったが、ここに持ってきて修理して、磨き上げ、再び走っているということだった。へ~私と同じ年の機関車。乗ってみたいものだ。なによりもボランテリアで関わっている人たちのたのしそうな顔、そして誇りを持って、次の世代にこの鉄道を伝えて行きたいという気持ち、それが出来るイギリス社会、羨ましく思った。
そのために寄付が届く。大英博物館だって、寄付で賄われているのだ。悔しいけど、市民社会の歴史の差だなぁ。
写真のような鶏を保護しています。飼い主の方はご連絡ください。
2、3日まえ、ご近所から「小さな鶏がいるけど、お宅のではないか」という電話が入った。「家にはもうずっと鶏はいないけど、つかまれば保護してもいいですよ」と答えた。昨日か一昨日、ネコに追いかけれているチャボがいる、と聞いた。たぶん、電話のチャボだろうとは思ったが、夜のことだし、ほうっておいた。昨日、「消防署の前にチャボがいる、子どもがいじめている」という電話が入った。「捕まえれば保護してもいいよ」というと程なくしてこの鶏が来た。弱っているらしく、すぐに捕まったという。そこでカゴに入れ、鶏のえさと水をいれた。でも警戒しているので、布をかけて静かにしておいた。
一晩休んだせいか、今日はすっかり元気になった。そこで、写真を撮って、飼い主探しに交番へ届けに行くことにした。同時にここにも写真を載せることにした。なんて種類かわからない、オスかメスかもわからない。