夏至の2日前に、モンチが旅立った。
それから3週間すぎても、
悲しさも辛さも一向に減らない。
別の世界にいるみたいだ。
悲しみも辛さも、別に減らなくていい。
乗り越えるなんてムリ、一緒に生きてく。
悲しいのも辛いのも、
モンチのいた時間が、楽しくて幸せで、って、
言葉じゃいえない、ありがたい時間だったからだ。
その時間と一緒に生きてく、これからも。
6月の3日頃、モンチはまた食欲をなくした。
先生は触診と体重の変化から、
おそらく、IBDからリンパ腫に移行してる、と言った。
点滴に5日通って、下痢が治って食欲も出て、
それからも少し間をあけながら通院。
2年前の夏も、別の病院2件で、
最悪の宣告をされていた、
それでもモンチは良くなったから、
今回も大丈夫だと信じていた。
それでも不安で仕方なくてふらふらになって
Hさんにいろいろ話を聞いたら体がしゃんとして、
それに応えるみたいに体重が0.2増えて、
もう大丈夫だって思って、
先生にも「すごい」といわれた、
その次の週の土曜だった。
前の日も、キッチンに私が立つと、
すぐにモンチも来て、
「ニャーーーー」と高い声で鳴いた。
でも、3口くらいしか食べれなかったんだよね。
それから、ベッドの下や、テーブルの下で、
ぐったり寝てた。
土曜日の午前中、私もダーもいる時に、
今ってきめたみたいにして旅立った。
その時のことは辛すぎて書けない。
旅立とうとする時、モンチの前足を握っていて、
改めて、ほんとに小さい前足だった。
私の手の親指くらいの太さだ。
先生に、この子は内臓も小さい、っていわれてた。
その体で、頑張ってくれてたんだ、2年も。奇跡だ。
外で猫を見るたびに、ダーと、
ふつうの猫は小さくてもこれくらいあるよね、
モンチみたいな子っていないね、と、いつもいう。
箱に、先に天国に行ってる猫の名前と絵、
うちの庭に来るトカゲやメジロや花の絵を描いて、
庭に咲いてたクレマチスとアイスバーグをいっぱい入れた。
(そのあと花屋も行った)
殿ビーの毛玉ボールを持たせた。
泣いても泣いてもいくらでも泣けて、
底なしの悲しみにずぶずぶ沈みそうになると、
ビーがニャーニャーニャーニャー鳴いた。
「あたちがここにいるんですけど!!」といってるみたいに。
引きもどされて、少し落ち着くと、
私によりそっていた。その日は何度も。
殿は、これまでに見たことのない顔で、
私の顔をのぞきこんだ。
いつもならお腹ふみふみするのに、しなかった。
すごく悲しい、でも強さもある顔だった。
「さみしいのはお前だけじゃないぜ」
っていう顔だったと後で思った。
次の日、お寺に行く前は悲しみがとめどなかった。
Cくんにメールしたらさすがのメールを返してくれて
ちょっと落ち着いた。
雨だった。タクシーでお寺に行った。
いいお寺で、猫がたくさんいた。
待ってる間、ビーそっくりの猫が私にひっついてた。
撫でると毛がいっぱい抜けて毛玉ボールを作った。
キンタそっくりの猫が、そのボールで一人で遊び出した。
キンタもそんなふうに遊び狂う子だったし、
モンチも病気になる前は、
夜中に一人でそんな風に遊んでたのを思い出した。
あの二人は気が合うな、と思った。
母はその朝、キンタのお墓に、
モンチがいくからよろしく、と。
お寺の猫たちには、ほんとに助けられた。
あと、行きも帰りもほんのりあったかくて、
ちゃんとついてきてるのがわかった。
雨が止んだ。
前の日たまたま電話くれてたEちゃんが、
ちょっと出て来ない?というので河原に行くことにした。
家にいると喪失感がすごいし。
自分の体よりずっと大きい穴があいてるみたいだった。
河原に行ったら、大きい虹が出た。
天に向かう、終わりの見えない虹。
出てる方角は、私がいつも気をもらっては
場所のイメージと一緒にモンチに送っていて、
毎週モンチのことを祈ってた鎌倉のお寺だった。
モンチはそこい行ってみたかったのかな、
いつも世話になってる天狗たちが、
虹をかけてくれたのかな。
でもほんとに天に行っちゃうのか、寂しい、と思った。
虹はしばらく出てて、一度消えたと思ったら、少し上にまた出た。
もう日は沈んでたのに、ふしぎ。
(fbッ子のEちゃんは写真をとってた)
西の空には猫爪月と、金星、木星が並んでた。
それだけじゃ終わらない。
暗くなってから、天頂に、流れ星が走った。
前に八月の横須賀で見た、大ぶりの金の流れ星で、
東京では見たことないサイズ。
モンチが空を駆け回って遊んでる、ほんとにいっちゃったんだ、
って、流れ星に感動しながらも寂しくなってたら、
もう1個流れ星が見えて、うちの方へ落ちた。
遊んでる途中で立ち寄ってくれるんだ、と思った。
(すぐ家に帰りたかったけど、
Eちゃんが、あたしも流れ星見るまで帰れなーい、というので帰れず)
大きい虹と大きい流れ星二つが続けて出るなんて、
そんなことは今までにない。
モンチが見せてくれた、とかじゃなくて、モンチだった。
存在を感じた、とかじゃなくて、この目で見た。
モンチは神の子だとずっと思ってた、
やっぱりそうだった。
宇宙エネルギーの最高位の神仏ゾーン
(何もかもが少し金色に光ってる、天国ともいう)で
神々にかわいがられてることに確信がもてた。
いつも私が歌ってるボブ・マーリィもそこにいて、
生歌を聴かせてもらってる。
自然にむだなものなどない。
あんな奇跡の存在が、消えるはずない。
モンチが消えるわけはない。
それで私もずぶずぶの悲しみから少し、
上のステージに行けた気がする。
次の日、夏至の日はCに会って、
私が最初のひと言を言い終わる時にはすでにCも泣いてた。
海に行ったら潮が澄んでて、浅瀬に、
金のアジと、名前の分からない金の魚がたくさんいた。
岩に行って戻ってくると、金のタイもいた。
マダイともチヌとも違ってみえる、金のタイだった。
チヌはチヌで、シルバーブルーだった。
黄色のまだらの魚もいた。
天狗たちのところにも行った。
そこではくよくよしてるわけにはいかない。
自然のもとでは五感をひらくのみだ、
それが自然に対してのリスペクトだから。
雨上がりの濃い気と、緑や木々は、
元気を分けてくれた。
モンチはかわいすぎて、
咲いたばかりの蓮の花が一年中咲いてるようなもんだった。
実家に一泊するだけでも、テレビ電話でお姿を見ていた。
その姿が見えなくて、寂しくてどうしようもない。
ダーも、「かわいすぎた」と言ってた。
金魚のフンみたいにずっと殿にくっついて、
殿はいつもモンチをなめてかわいがってた。
それだけでも、モンチはうちに来て幸せだったと思う。
殿は今も、寂しそうに見える時がある。
べったりだったからね。
私もまだまだ悲しいし辛いし寂しい。
クチナシが咲いてる時だった。
クチナシの匂いをかいでる一瞬は、
どんな状況でも脳が笑うと思ってたけど、
クチナシの匂いをかいでも、泣いた。
追記(2015.10)
私は諦められなくて、
体の力が抜けていたモンチを、
また点滴で良くなるって信じて、
チャリで2、3分とはいえ
カゴに入れて移動した。
病院についてすぐカゴを開けたら
痙攣して、呼吸が止まった。
お家で送ってあげられなかったのだ。
このことは、ずっと苦しかった。
すぐに先生を呼んで、蘇生治療までした。
モンチは自分できめて旅立ったのに、
その時の私には判断力がなかった。
できることは、全部したかった。
1時間ずっとモンチの前足を握ってる間、
こんなこと、ホントはするべきじゃないって、
泣きながら思ってた。
「モンチは苦しい思いをして旅立ったのに、
こんなこと、するべきじゃないのでは」
と看護師に言ったら、
「私なら、どんなことをしてでも、
そばにいて欲しいから、やります」と言った。
私だって、もっとそばにいて欲しかった、
でもやっぱり、蘇生治療は必要なかったと思う。
それから何度も何度もモンチに謝った。
初めて自分の手で送ることが、
うまくできたとは思えない。
Oねーさんに「最後は膝の上で」と
何度も聞いてたのに。
一応、膝の上だったけど。
ダ「外の道は気持ちいいし、
モンチは外が好きだから、大丈夫だよ」
でも、長いこと、思い出すのが辛かった。
自分が許せなかった。
それは、モンチがうちに来て、
殿にくっついてマネをして、
なめてなめられて、ネジミで遊んで、
駆け回って、タワーにのぼって、いっぱい食べて、
タワーで爪磨ぎして、撫でられてコポコポいって、
ビーにパンチして、でもくっついて、
お日様に溶けてた時間に比べたら、
ほんのほんの短い時間だ。
あんまり謝ってても、モンチだって困るよね。