なぎのあとさき

日記です。

年の瀬

2020年12月30日 | 日々のこと


モンちゃん、この鉢の上に乗るのがブームみたいで、私が庭に出るとこれ見よがしに飛び乗る。
ここから塀を伝って隣の庭へ、と考えていた。でも塀にモンちゃんの乗る幅はないのだった。

私が部屋に戻るとモンちゃんも部屋に戻り、私が庭に出るとモンちゃんも出る。



おれをみててくれよな!



私がキッチンに立つと奥に回り込んで見上げる、かわいいぞ!モンちゃん


ひきだし、すきだ!



いつかはいってやるんだ

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12月後半は、いつものことだけど仕事がたて込んでた。
28日にやっと仕事納めで、この年末年始はノープラン。




29日は2週間ぶりに海に行った。
由比ヶ浜。
乳白色のきれいな海だった。
裸足で水に入ってたら、生きたイワシが波打ち際に打ち上げられていた。
ここにも、そこにも。
カラスの団体が、うまそうにイワシを食べていた。

イワシを拾って海に返すと、元気に泳ぎだす。
浜の方に泳ぎだしてまた打ち上がっちゃう子もいたけど。
拾っては海に返した。

いつも海の中で追いかけてたイワシとこんな形で会うとは。
手のひらの中のイワシは、フワッと柔らかい手触りで、圧迫しないように空間を作ってそっと
持ち上げると手の中でビチビチ動く。イワシに触れるなんて、なんという歓び。

せっせとイワシを海に戻してたら、「荷物荒らされてますよ」と声をかけられ、見るとカラスの団体が私のバックをひっくり返していた。
イワシを食べるのを邪魔されて、はらいせにやってたみたい。
コラコラー!と走り寄ったらカラスたちは飛び立ったけど、ちょっと離れたとこに止まって涼しい顔をしていた。

カモメもたくさん来て、イワシを狙っていた。よっぽど大きい群がいたんだろう。

潮はぬるかった。日中あったかいからね。もっと早い時間なら泳げたかも。

お寺にも寄り、ストレッチ。
Cはまだ疲れはとれないらしく、ガチガチの鎧を着てるみたい、といってた。

私は毎日河原に出て日光浴&ヨガしてるのでコリはない。

30日はTが仕事。庭の掃除してるあいだモンちゃんも外にいて、戻ると椅子の上でぐっすり。平穏だ。寒気や低気圧の動向を気にやむこともない。こんな平穏な年末、久しぶりだな。

日曜に河原に出たら、雨も降ってないのに曇にかかる虹を見た。太陽の弱々しい年の瀬に虹なんて、うんうん、みんな楽しくやってるんだね。
2020年、ビーが20歳になったこと、ずっとそばにいて無事にお見送りできたことに感謝。
空がきれいで、何度も虹を見る年だった。




良いお年を。


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冬至のあとさき

2020年12月24日 | 日々のこと


何枚も失敗してたけど、やっとモンチらしき姿あらわる!

天にのぼって時間がたってても描けるのか?という挑戦でもあったが、大丈夫みたい。描いてる途中で、モンチかモンチじゃないかはっきりわかる。



まあまあモンチ



お三方

横尾さんの画集見てると背景も美しくて、背景まで描くのが画家ってもんだとは思うけど、猫たちが出てきたらすっかり満足して背景まで見えて来ない。



お花も発見がいろいろある。ナデシコ科キク科の花持ちの良さとか。

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寒波がきて寒いなーと思ってるうちに冬至がすぎた。

12月後半になって仕事が忙しくなり、平日はほぼ毎日PCに向かってるけど、家だとストレスがないし疲れない。
忙しいといっても、ふつうの同年代の半分くらいだけど。
先週末、Cはついに、「だるくて動けない」で海に行けなかった。
医療関係者はふつうの同年代の倍は忙しそうなコロナの年末。無理すんなっていいたいけどそんなの通じないのが医療現場なんだよね。




土曜は、近所のイタリアンでBDランチ。
美味しいし、最上階の大きい窓から景色を一望できて明るいお店。
客層もふつうで気楽、何より歩いて行けるのがいい。苦手食材の変更まではしてくれないけど。


フランボワーズのシャンパンで乾杯してすぐ、窓の外を見ると雪が降りだして、ホワイトBDになった。
固い粒だったのでミゾレかも。去年の誕生日は葉山で虹を見たっけ。
雪はすぐに止んで、日がさした。

前菜は、このお店は魚介のジュレが美味しい。今回はカンパチ。

パスタは、サンマのペペロンチーノ。
今年初のサンマだった。
サンマを焼いても目を光らせるビーがいないことにたえられなくて食べそびれていた。
美味しかった。ビーも飛んできて、一緒に食べてる気がした。





メインは熟成和牛にチキンのパイやフォアグラもついてボリュームたっぷり。
フォアグラは私は食べられないので、Tにあげた。デザートは3種のジェラード。

去年につづき、オッシュマンズに寄ってパタゴニアのアウターを買ってもらった。ボーイズインフェルノ。軽くてあったかくてめちゃいい。

お花やってイタリアンのランチして、ってまるで二子玉マダムみたいだけど、カッコはジーパンにトレーナーばっかでアメリカの子供。

日曜は海に行けなかったので一人河原へ。人のいない土手に降りてEdmを聞きながらボディコンバットという暴挙に出てみた。パンチパンチフック!アッパーアッパーキック!をノリノリで。太陽がキラキラで暑くなって非常に気持ち良かったけど、近所の人にみられたくはない。

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モンちゃんはあんまり庭に出たがらず、お昼までは家事に混ざってワーワーし、午後はずーっと昼寝。

深夜になると、玄関前でファーン!!雄叫びをあげ、Tがマンションのエントランスの外に連れていく。私は寒くて見に行けない。フェンスにのったモンちゃんは、背な毛を一瞬で立てていきってるそう。



最近、絵を描いたりモンちゃんと遊んだりしてるときのBGMは岩井のトークだった。おもろい。

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招待をいただいて、渋谷で映画を観た。渋谷はふつうに人多かったけど、電車はわりとすいてた。

映画は、「若さ」を描いた映画で、ユウジの目線にすっぽり入り込めて面白かった。
チャリ2ケツとか、オール飲み明けの街とか、パチンコ屋のベンチとかカラオケとか、ずるずる続く同棲とか、失われた時の画も良かった。
でも、なんか素直に受け止められない部分もあるんだよな。
大人になれなくても、なりたくなくても、病気になっても、それでも生きていく佐々木を見たかったんだろうな。
あんなふうにがっつり蘇ってくれたらサイコーだけどさ、それはむずいから。てか、私は見えるものは額面どおりに信じるから、なんだ生きてた、ガールフレンドと組んで手の込んだ芝居打ってたんだ、煮え切らないユウジのために、死に顔のメイクまでして、と思った。その方が私はいい。

観てよかった。高校の頃、K子ちゃんちに集まってバカ騒ぎしたこと、徹夜でしゃべって走って学校行ったこと、男子トークのアホらしさ、20代のどんづまりのやるせなさを見出だした。そういう印象を発見するのは歓びだ、プルーストのいうとおり。

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花束

2020年12月17日 | にゃんトーク




12月の半分すぎて、空気がきん!と冬らしくなってきた。
でも日中日が出てれば動いてるうちにあったかくなるので、なるべく仕事前に一河原。

久しぶりにお寺に行ったら、モミジが真っ赤になっていた。崖線のハゼも見事な紅葉。ケヤキや桜はもうハゲ。

昨年、組立に失敗したまま使ってたIKEAチェストを買い換えることにした。ニトリで完成品を買った。粗大ゴミが混んでて年明けになるので、ニューチェストは梱包したまま廊下に置いた。

モンちゃん、ここジャンプできる?とチェストの上をトントンたたくと、見上げながらうろうろ、おれはやる!おれはやる!ジャーンプ!と飛び乗った。

モンチやビーの見せた三井の3Pシュートのような美ジャンプには程遠く、尻が落ちそうになりなるのを前足の筋力でこらえるような凡ジャンプだけど、箱に乗ったモンちゃんは、得意満面だった。


へへ!おれやったった!


やったったんだぜ!


えっへん!

モンちゃんと二人、ホトカにごろんしながら、YouTubeの猫動画をつけるとモンちゃんはテレビをよく見てる。

その流れで、プライムで「グーグーだって」を一気見。モンちゃんは猫の声がするとテレビを見ていた。




モンちゃんは、人も猫も好きな明るい子だ。下の子が来たらすごい喜ぶだろう、と毎日のように思う。

このドラマは猫の出番が少なくて原作とは別物だけど、宮沢りえの顔と井の頭公園、漣UAのパレードって曲が良かった。時々、原作ママのセリフが出てくる。

◯グーグーが長生きしますように
病気しませんように
事故に会いませんように
この家の生活が楽しめますように
そして天寿をまっとうしたら
このわたしがグーグーを送ることができますように

と、グーグーがきてすぐの頃にオオシマさんは祈る。
初めて読んだ時、そこにいた殿ビーモンチに同じことを祈った。送ることができますようになんて、考えるのも怖いけど遠い遠い先のことだしそんな日が来るなんて現実感がなかった。

ドラマで宮沢りえがそのセリフを言ったとき、十何年も前に読んだ時の祈りとともに、3匹がぐーっと側にきた。膨大な時のへだたりを越えて。
涙が止まらなかった。



0.01ミリの狂いも許さないモンチの黄金比率はものすごい難しくて私的には全然だけど、この絵はTには好評。

◯きみは私のいる世界に歓びをもたらす
きみがいるから私はこんなに楽しく絵を描ける(中略)
絵は写真じゃないので一瞬を切り取ることはできないが、幸福で楽しい時間を凝縮させる、一瞬を切り取るとはなんと傲慢な錯覚、
(巨匠連載より)

「見い出された時1」読了。
後半はなかなか玄人向けだった。
心の波紋、隠されたエッセンス、真の現実。

◯真の人生、ついに発見され解明された人生、それゆえ本当に生きたといえる唯一の人生、それが文学である。この人生は、どの瞬間にも、すべての人の中に宿っている。

ママは手術が無事に済んだ後、生検結果がシロと判明、ようやくホッとできた。ママの状態は客観的に見て元気だから大丈夫だと思っていた。
過保護な病院で、口内の回復待ちだけなのに入院は3週間だった。
猫だったら何がなんでも連れ帰るとこだけど、ママ的に入院生活は上げ膳据え膳、シャワーも浴びられるし病室も新しくてきれい、頼もしい先生と優しいお世話係もいて居心地良かったみたい。

入院中、パパママ私の3人LINEでやりとりしていて、パパママは一日じゅうLINEし合ってて、ほんと仲良しだ。
パパは思ってた以上に何でも料理して食べていた。一度くらい様子見に行きたかったけど、なんせコロナが。

週末、Cは肩首を傷めたそうで、海には行けず、Tと近所の温泉に行った。
まだそこまで寒さにやられてはいないけど、露天風呂とサウナ3セットでととのった。女湯は平年よりすいたけど、男湯は部活帰りの若者から老人までいて混んでたそう。風呂上がりの一杯はめちゃうま。うどんも美味。



しょわせてみた

朝イチ、庭に出たらきた!甘い香り、見にいくとロウバイが咲いてた。Amazonで買い直したグーグー6冊が届いた。
Tが仕事の前にさっといなくなったと思ったら、花束を買ってきてくれた。バラやスイートピーが入って、いい香りの花束。
嬉しかった。ちょっと涙出た。
春や夏が誕生日なら、太陽や風浴びて呼吸するだけで「いい日だなあ」って思えるであろうに、年末の誕生日というのは寒いし日は短いし仕事はたてこむし、おまけに鐘の腹痛もひどかったけど、花々のおかげで、やさぐれずにすんだ。
みんな忙しいだろうに毎年覚えててくれる人たちが何人もメールをくれた、感謝してすごそう。

前の晩、自分ではすっかり忘れてて、モンチの絵に取り組んでたら、12時すぎて帰ってきたTにおめでとう、といわれて思い出した。
ビーの誕生日は前の晩から大はしゃぎだったのにねー。
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ゆっくり師走

2020年12月10日 | 日々のこと



猫草だらけ

やっと1分ずつ日が伸び始めた。
12月とは思えないくらい暖かい日もあって、モンちゃんもはりきって庭に出たり家に入ったり、出たり入ったり。
私も仕事の前に買い物に行き、帰りは河原に出て、太陽を浴びてヨガもしてるとアウターいらない

新しいチャリは乗り心地がかなり良くて出かけるのが楽しい。
夜はお風呂で、汗がだらだら出るまで「失われた時を求めて」。
ひまがあれば絵も描いて、プール行ってとストレスなしの日々。

モンちゃんは、胸の一部をなめすぎてハゲを作ってたのが、いつのまにかきれいに毛が生え揃っていた。

夜、私が寝ようとするとフワーッ!ねないでよー!と大騒ぎするのはビーの直伝だろうか。たっかい声で絶叫鳴きする。Tが寒い中エントランスの外に連れて行き、塀の上に乗せると一瞬でぶわっと栗背な毛(ウルフカットともいう)になって、ワイルドウルフ気分になって帰ってくる。塀は高いので、自分では降りれないらしい。おもろい子。

トイレチェックで鼻の頭にいつも砂粒をつけるのもおもろいけど、トイレがあまりにキレイだとワーイとごろんごろんするのでびっくり。

そのことを忘れてモンちゃんの毛皮に顔をつけて思い切り吸い上げたら、トイレ砂の粉が思い切り鼻に入った。

おもろいモンちゃんだけど、私にとってはモンチ殿ビーのお見送り時も介護時も、常に明るさをふりまいて私を支え救ってくれたヒーローだ。



えっへん!

水害でHDDは壊れて、ずっと探してた予備のUSBが出てきた!
クラウドに上がってなかった2014年頃の写真を見れて感激。どれも同じような猫の写真ばっかりだけど、撮った当初と今とでは写真の意味も貴重さも全然ちがう、このことは薄々わかってたからバカみたいに撮ってたけどもっとあってもよかった。




12月5日は雨で寒くてまさかと思ったけどCが迎えに来て海へ。
Cが家を出たときはピーカンだったそう。
海についたら雨は止んでたけど、じっとしてると冷えるので桟橋まで歩いた。
潮は澄んで底の方まで見えたけど魚の気配なし、一瞬、小さい黒い魚の小群がちらちら見えた。
桟橋の向こうは山からの雨水が流れ込んで白濁り。


動いてると体は温まり、桟橋の先でヨガもして、帰りは靴を脱ぎ、波打ち際をバシャバシャ歩いた。
Cは疲れきっていて海に出るなりボンボンベッドで寝てたので、よけい冷え切っていた。

日曜も暖かくて、河原に出たら少し風があったけどバドミントン50回。極暖がうっとうしいくらい暑くなった。



きらきらの川

「見いだされた時」前半は、ジルベルトとタンソンヴィル散策に出かけるも、今ひとつピンとこない。そして時代は第一次大戦に入り、パリではヴェルデュラン夫人がぶいぶいいわせている。

一方シャリュルス氏は貴族のなれの果てになり果て(変な日本語)、若い兵士の尻を追いかけ、ジュピアンに経営させる破廉恥の殿堂でムチ打たれるのはまだしも、10歳にならない子にまで手を出すのでドン引き。空襲中はメトロの駅に逃げ込み闇の中で兵士たちを触るという。

語り手は体の調子が悪くて療養。そんなある日、不揃いな敷石を踏んだ瞬間に啓示が訪れ、失われた時をついに見出だしていく。長かったこの小説も、クライマックスが近い。

◯コンブレー(マドレーヌで)とヴェネツィア(敷石で)のイメージが、それぞれが思い出された瞬間、死さえ取るに足りないものと想わせるほどのなにか確信にも似た歓びを与えてくれたのだろう?

この問いへの考察がつづき、

◯つまり私が感じたものを薄暗がりからとり出してその精神的等価物に転換するよう努めることによって、ひとつひとつの感覚をそれぞれの法則と思考を備えた表徴として解釈しなければならなかったのである、ところで、これを成し遂げる唯一の方法と思われるのは、芸術作品をつくること以外ななにであろう。

◯われわれは芸術作品を前にしていささかも自由ではなく、芸術は自分の好みどおりに作るものではなく、われわれに先だって存在する必然的であると同時に隠されたものであるから、われわれはそれを自然の法則を発見するように発見しなければならない。




10日は、ビーの3か月の月命日。絵を描くために写真や動画をくいいるように見るので、柄や目元の特徴は今の方が詳しくなったかもしれない。




ビーの絵は飾れる絵が何枚か描けたので、殿も描いたら一枚で降りてきてくれた。さすが殿。いつだって私の思いに応えてくれる。




しかしモンチは、何枚描いてもいっこうに降りてこない。神の子モンチは人間風情に描ける子ではないのかもしれないけど挑戦しつづける。

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ディッセンバー

2020年12月03日 | 日々のこと




11月の終わりの海は、ベタ凪で澄み、潮は冷たくもないけど太陽が出てなくて入れなかった。
親方はまだ魚がいないと言ってたけど、イワシみたいな魚が跳ねてた。
親方は塩大福を持ってきてくれた。

久しぶりに明るいうちにお寺について、山の上まで登った。紅葉シーズンで暗くなるまで人が多かった。路地のカエデも、下の鳥居のイチョウも紅葉。
鶴瓶落としも見れないくらい気がつけば日が落ちて、雲の切れ目から満月が見えて、よかったよかった。

寒くなってもモンちゃんは、夜にチョロチョロと庭に出ては、すぐ戻ってくる。
カーペットにきれいな肉球マークをつけて、Tが「きたねえ!」といってダイソンのノズルなしバージョンを持ってくるとモンちゃんは逃げる。
長いノズルは平気なのに、短いのが怖いみたい。

体重は8.4のまま。
テレワーク中に膝に乗るのも慣れてきた。
太陽が出てないと日中はずっと寝てる。
起きると家の端から端まで全速力で数往復。
興がのってれば、オモチャにジャンプもする。



ビーの絵は、何かつかめてきたみたいで、前より上手くなってきた。



T:毛布が適当すぎる

殿やモンチも描きたいけど、やっとビーを描けるようになってきたとこなので、もうちょっとビーに集中。それぞれ全然ちがうので、描く脳をいろいろ入れ替えないと描けない。



T:足が太すぎる
(うるさい)

写真より動画を一時停止しながら描いてたら上手く描けた。
目を描いて、色を塗り重ねていくうちにだんだんビーらしくなっていくのが、いつも嬉しく、最後の仕上げでヒゲを描くのは快感。

絵は描かないでいると手がなまるので、1日1枚は何でもいいから描きたい。

そして12月。今週末くらいから、日没時間は伸びはじめる。
コロナ第3波中で今年はイベントや飲み会の予定なし。

モンちゃんのついでに自分の体重はかったら、なにこれウソ?!の数字。去年の今頃より3キロ増。ジーパンきつくなるわけだよ。家でも日中はジーパンなので、ユニクロでまとめて3本購入。Tは20年前のジーパンを今もはいていい感じの色落ち楽しんでるってゆうのに。
しかし、家で仕事してるとなんでこんなにお腹減るんだろう。

プールは寒くて行く気はしないけど、行ってしまえば寒くもなくてふつうに泳げる。あとは、間食減らすべし。

3日、やっと病院に挨拶に行った。これ以上遅らすのもな、もー年末やし、と週末に鎌倉でお菓子を買っておいた。先生への感謝の気持ちと、猫らしいピョンのことを伝えることができてホッとした。何度も何度もみんなを連れていった診察室で、泣かずに話せた。生ききれたことは素晴らしいこと、と先生。家族のほかでは最も猫たちを見てくれてた先生に会えなくなるのも寂しいけど、お近くですもんね、といってた。
モンちゃんが定期検診で通うのは10年以上先、「それまで僕も精進します」みたいなことを言ってたけど、先生ががんばりすぎなのは分かってるので、無理せず身体を大事にしてほしい。

N先生に会うまでは次々獣医に不信感をつのらせては病院を変えてきたけど、N先生のことは最初から信頼できて、先生に診てもらえて良かった。とくに体重触診だけで状態をほぼ正確に言い当ててていくのはマジリスペクトだった。

3ヶ月がかりでやっと、ビーの話を人にできるようになって、Kくんにもメールで伝えた。ほんと、人に話すのもむりだった、認めるのがいやでね。
コロナで基本ステイホームだから、外出で気をそらすこともなく、まっこうから不在と向き合う3ヶ月だった。だんだんビーが絵に現れてくれるようになって、今は画家とモデルという新たな関係性も生まれた。
いとしいいとしいビーたま、やっと挨拶行ってきたよー!いい飼い主だって、いわれたよ。
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