モンちゃん、この鉢の上に乗るのがブームみたいで、私が庭に出るとこれ見よがしに飛び乗る。
おれをみててくれよな!
私がキッチンに立つと奥に回り込んで見上げる、かわいいぞ!モンちゃん
ひきだし、すきだ!
いつかはいってやるんだ
何枚も失敗してたけど、やっとモンチらしき姿あらわる!
天にのぼって時間がたってても描けるのか?という挑戦でもあったが、大丈夫みたい。描いてる途中で、モンチかモンチじゃないかはっきりわかる。
まあまあモンチ
お三方
横尾さんの画集見てると背景も美しくて、背景まで描くのが画家ってもんだとは思うけど、猫たちが出てきたらすっかり満足して背景まで見えて来ない。
お花も発見がいろいろある。ナデシコ科キク科の花持ちの良さとか。
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寒波がきて寒いなーと思ってるうちに冬至がすぎた。
12月後半になって仕事が忙しくなり、平日はほぼ毎日PCに向かってるけど、家だとストレスがないし疲れない。
忙しいといっても、ふつうの同年代の半分くらいだけど。
先週末、Cはついに、「だるくて動けない」で海に行けなかった。
医療関係者はふつうの同年代の倍は忙しそうなコロナの年末。無理すんなっていいたいけどそんなの通じないのが医療現場なんだよね。
土曜は、近所のイタリアンでBDランチ。
美味しいし、最上階の大きい窓から景色を一望できて明るいお店。
客層もふつうで気楽、何より歩いて行けるのがいい。苦手食材の変更まではしてくれないけど。
フランボワーズのシャンパンで乾杯してすぐ、窓の外を見ると雪が降りだして、ホワイトBDになった。
固い粒だったのでミゾレかも。去年の誕生日は葉山で虹を見たっけ。
雪はすぐに止んで、日がさした。
前菜は、このお店は魚介のジュレが美味しい。今回はカンパチ。
パスタは、サンマのペペロンチーノ。
今年初のサンマだった。
サンマを焼いても目を光らせるビーがいないことにたえられなくて食べそびれていた。
美味しかった。ビーも飛んできて、一緒に食べてる気がした。
メインは熟成和牛にチキンのパイやフォアグラもついてボリュームたっぷり。
フォアグラは私は食べられないので、Tにあげた。デザートは3種のジェラード。
去年につづき、オッシュマンズに寄ってパタゴニアのアウターを買ってもらった。ボーイズインフェルノ。軽くてあったかくてめちゃいい。
お花やってイタリアンのランチして、ってまるで二子玉マダムみたいだけど、カッコはジーパンにトレーナーばっかでアメリカの子供。
日曜は海に行けなかったので一人河原へ。人のいない土手に降りてEdmを聞きながらボディコンバットという暴挙に出てみた。パンチパンチフック!アッパーアッパーキック!をノリノリで。太陽がキラキラで暑くなって非常に気持ち良かったけど、近所の人にみられたくはない。
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モンちゃんはあんまり庭に出たがらず、お昼までは家事に混ざってワーワーし、午後はずーっと昼寝。
深夜になると、玄関前でファーン!!雄叫びをあげ、Tがマンションのエントランスの外に連れていく。私は寒くて見に行けない。フェンスにのったモンちゃんは、背な毛を一瞬で立てていきってるそう。
最近、絵を描いたりモンちゃんと遊んだりしてるときのBGMは岩井のトークだった。おもろい。
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招待をいただいて、渋谷で映画を観た。渋谷はふつうに人多かったけど、電車はわりとすいてた。
映画は、「若さ」を描いた映画で、ユウジの目線にすっぽり入り込めて面白かった。
チャリ2ケツとか、オール飲み明けの街とか、パチンコ屋のベンチとかカラオケとか、ずるずる続く同棲とか、失われた時の画も良かった。
でも、なんか素直に受け止められない部分もあるんだよな。
大人になれなくても、なりたくなくても、病気になっても、それでも生きていく佐々木を見たかったんだろうな。
あんなふうにがっつり蘇ってくれたらサイコーだけどさ、それはむずいから。てか、私は見えるものは額面どおりに信じるから、なんだ生きてた、ガールフレンドと組んで手の込んだ芝居打ってたんだ、煮え切らないユウジのために、死に顔のメイクまでして、と思った。その方が私はいい。
観てよかった。高校の頃、K子ちゃんちに集まってバカ騒ぎしたこと、徹夜でしゃべって走って学校行ったこと、男子トークのアホらしさ、20代のどんづまりのやるせなさを見出だした。そういう印象を発見するのは歓びだ、プルーストのいうとおり。
猫草だらけ
やっと1分ずつ日が伸び始めた。
12月とは思えないくらい暖かい日もあって、モンちゃんもはりきって庭に出たり家に入ったり、出たり入ったり。
私も仕事の前に買い物に行き、帰りは河原に出て、太陽を浴びてヨガもしてるとアウターいらない。
新しいチャリは乗り心地がかなり良くて出かけるのが楽しい。
夜はお風呂で、汗がだらだら出るまで「失われた時を求めて」。
ひまがあれば絵も描いて、プール行ってとストレスなしの日々。
モンちゃんは、胸の一部をなめすぎてハゲを作ってたのが、いつのまにかきれいに毛が生え揃っていた。
夜、私が寝ようとするとフワーッ!ねないでよー!と大騒ぎするのはビーの直伝だろうか。たっかい声で絶叫鳴きする。Tが寒い中エントランスの外に連れて行き、塀の上に乗せると一瞬でぶわっと栗背な毛(ウルフカットともいう)になって、ワイルドウルフ気分になって帰ってくる。塀は高いので、自分では降りれないらしい。おもろい子。
トイレチェックで鼻の頭にいつも砂粒をつけるのもおもろいけど、トイレがあまりにキレイだとワーイとごろんごろんするのでびっくり。
そのことを忘れてモンちゃんの毛皮に顔をつけて思い切り吸い上げたら、トイレ砂の粉が思い切り鼻に入った。
おもろいモンちゃんだけど、私にとってはモンチ殿ビーのお見送り時も介護時も、常に明るさをふりまいて私を支え救ってくれたヒーローだ。
えっへん!
水害でHDDは壊れて、ずっと探してた予備のUSBが出てきた!
クラウドに上がってなかった2014年頃の写真を見れて感激。どれも同じような猫の写真ばっかりだけど、撮った当初と今とでは写真の意味も貴重さも全然ちがう、このことは薄々わかってたからバカみたいに撮ってたけどもっとあってもよかった。
12月5日は雨で寒くてまさかと思ったけどCが迎えに来て海へ。
Cが家を出たときはピーカンだったそう。
海についたら雨は止んでたけど、じっとしてると冷えるので桟橋まで歩いた。
潮は澄んで底の方まで見えたけど魚の気配なし、一瞬、小さい黒い魚の小群がちらちら見えた。
桟橋の向こうは山からの雨水が流れ込んで白濁り。
動いてると体は温まり、桟橋の先でヨガもして、帰りは靴を脱ぎ、波打ち際をバシャバシャ歩いた。
Cは疲れきっていて海に出るなりボンボンベッドで寝てたので、よけい冷え切っていた。
日曜も暖かくて、河原に出たら少し風があったけどバドミントン50回。極暖がうっとうしいくらい暑くなった。
きらきらの川
「見いだされた時」前半は、ジルベルトとタンソンヴィル散策に出かけるも、今ひとつピンとこない。そして時代は第一次大戦に入り、パリではヴェルデュラン夫人がぶいぶいいわせている。
一方シャリュルス氏は貴族のなれの果てになり果て(変な日本語)、若い兵士の尻を追いかけ、ジュピアンに経営させる破廉恥の殿堂でムチ打たれるのはまだしも、10歳にならない子にまで手を出すのでドン引き。空襲中はメトロの駅に逃げ込み闇の中で兵士たちを触るという。
語り手は体の調子が悪くて療養。そんなある日、不揃いな敷石を踏んだ瞬間に啓示が訪れ、失われた時をついに見出だしていく。長かったこの小説も、クライマックスが近い。
◯コンブレー(マドレーヌで)とヴェネツィア(敷石で)のイメージが、それぞれが思い出された瞬間、死さえ取るに足りないものと想わせるほどのなにか確信にも似た歓びを与えてくれたのだろう?
この問いへの考察がつづき、
◯つまり私が感じたものを薄暗がりからとり出してその精神的等価物に転換するよう努めることによって、ひとつひとつの感覚をそれぞれの法則と思考を備えた表徴として解釈しなければならなかったのである、ところで、これを成し遂げる唯一の方法と思われるのは、芸術作品をつくること以外ななにであろう。
◯われわれは芸術作品を前にしていささかも自由ではなく、芸術は自分の好みどおりに作るものではなく、われわれに先だって存在する必然的であると同時に隠されたものであるから、われわれはそれを自然の法則を発見するように発見しなければならない。
10日は、ビーの3か月の月命日。絵を描くために写真や動画をくいいるように見るので、柄や目元の特徴は今の方が詳しくなったかもしれない。
ビーの絵は飾れる絵が何枚か描けたので、殿も描いたら一枚で降りてきてくれた。さすが殿。いつだって私の思いに応えてくれる。
しかしモンチは、何枚描いてもいっこうに降りてこない。神の子モンチは人間風情に描ける子ではないのかもしれないけど挑戦しつづける。