(2012年の殿)
次の朝、ビーはすたすた私の前を歩いてお気に入りの椅子に横たわる殿の顔を見上げた。
それからまた歩いて、私の方を見て、声を出さずに鳴いた。5回くらい。
朝から暑かった。
前の日から猛暑だったので、クーラーの風をあてていた。
顔も体も、きれいに拭いた。いつも一緒に聞いた、ボブの歌かけて。
口元の流動食の汚れは完全にはとれない。やっぱり猫の舌じゃないとね。
毛とおひげを少し頂いた。
じゃあ殿、ちょっと出かけるけど、帰りも一緒だから、ちゃんとついてきてね。
10時にお寺へ。
タクシーで20分くらいの、モンチの時と同じところ。
ついてすぐ、ツクツクの声。
猫のいっぱいいるお寺で、きれいに洗った猫のお皿や猫ベッドがあったけど、さすがの暑さで、猫の姿は一匹だけ。
お別れの挨拶の時には、three little birdを歌った。
ダーは「殿、いい顔してた!男前だった」と何度も言ってた。
本当にかわいい、誇り高い顔で眠っていた。
待ってる間、お寺の周りを歩いた。
くらくらするほどの日射しで、ふつうの人は出歩かないくらいの暑さで、私にはちょうど良かった。
1時間半くらいで戻り、きれいに並べられたお骨と対面。
担当の方、とてもしっかりした骨格ですね、歯もしっかり残ってます、キバも4本すべてきれいに残ってます。
ひとつひとつどこのお骨か説明してもらって、ひとつひとつ撫でた。
喉仏も立派だった。
爪の形もきれいだし、指の骨はかわいかった。
変なとこなかったですか?
担当の方、腫瘍などは焼け残ることがあるんですけど、そういったものはなくて、本当にきれいな骨だと思いました。
さあ殿、一緒におうちに帰るよ。
帰りは少し歩いて電車で帰った。モンチは電車なんか無理だと思ったけど、殿なら平気。病院も全く嫌がらなかったもんね。
殿をつれて河原に出て、ダーがビールを買いに行った。
一緒に河原に来れたね、これからはいつでも一緒に行けるね。
自由のきかなくなってた体を脱いで、自由になれたんだもんね。
日射しがすごくて、顔がどんどん焼ける。一段と黒くなった気がする。
川を見下ろす階段に座って、殿を囲んで、ビールを飲んだ。
前日の検査のとき先生が、残された時間が少ないってなんで言ってくれなかったんだろう!というと、ダ「いや先生は遠回しに言ってたんだよ」
それでも私が先生のことをぐちぐち言ってたら、ダ「Nちゃん!あの先生に感謝しなかったら人としておかしいよ」
ほんとにね。
自分の寿命を越えて私に応えてくれた殿は、19年間私に幸せだけをくれた、私が自分を責めたり悔やんだりするのは、殿の本意であるはずがない、殿に失礼だ。
これからだって、たくさんの記憶で、私に幸せをくれるだろう。
じゃ、帰ろっか。
ここからなら、家がどこかわかるでしょ。
病院行くとき通ったもんね。
青い空に、白い雲。台風の風。
ダ「あの雲殿っぽくない?」
ベタなこと言うな、と思ったら、ほんとに香箱の殿そっくり。
雲はどんどん形を変えるけど、何度か殿そっくりの雲が見れた。
これからはちょっとした殿を見逃さないぞ!
モンチは美しい花々を通してよく会える。鳥や虫やトカゲのときもある。
ビーは今もうちにいるけど海に行ってもたくさん飛んでる。
殿は?
殿のような高貴な生き物って、アンデスの山の上にでもいかないとなかなか会えないと思ったけど、絵画があった。
北斎、守一、ほか日本画によく描かれている。
最近だとエッシャーの絵にも見つけた。
殿は時空を越えて、芸術家に愛されている。
殿、おうちだよ。
これからもみんなのこと、たのむね。
おう!
祭壇を作った。
お供えのモンプチクリスピーは、ビーが開けるなり食べた。
次に入れたゼッピンも入れるなり食べた。結局袋のまま供えた。
少し涼しくなってから、バイカウツギとクレマチスを植え戻し。
生き延びてくれてるみたい、植物はほんと強いなあ。
水鉢をしっかり作って水をたっぷり入れた。
クリローにミニ支柱をたててきれいにした。
モンちゃんも一緒に庭にいて、草食べたりごろんしたり。
ビーも抱っこして出た。
ダーはビートルズや晴臣さんをかけていた。I WILLはそのときの気持ちそのままだった。
夕陽どきにまた河原に出た。
シャボン玉おじさんもいて、シャボン玉と、エクセレントな夕焼けを見た。
夜、病院からお花が届いて祭壇に飾った。自分で描いた殿の絵も飾った。すごくよく描けてると、ダーにも評判の絵。
いつも殿がとってたポーズの絵には、一瞬ではなく長い時間がこめられている。
何かにつけて目をやってた殿がいないと、寂しいけど、さっと祭壇に目をやる。白の百合も殿のようだ。祭壇の殿にはモンチがべったりくっついてる。
ほかにも家にはたくさん、あちこちに画家たちが好んで描いた殿の絵が飾ってある。
ツマミをいろいろ買ってきてもらって、ビールを飲んで殿のことをたくさん話した。
家に来た頃のこと、下馬では一日外で遊んで、玄関前で待ってたこと、モンチとビーにモテモテだったこと、バカ力で網戸ストッパーこじあけてたこと、外ではトイレしなかったこと、モンちゃんも最初から殿をリスペクトして、殿の尻馬にのってたこと、どれだけ賢かったか、今頃モンチが大喜びで、金魚のフン復活してること、実の妹ハナにも再会してること。
19年も一緒だったから、話はつきない。
その間、ビーは私にはりついて目をキラーンとさせて、ゲソ揚げのイカを狙っていた。
ササミをちぎったらよく食べて、鶏唐揚げをじっと見ていた。
話してるうちに、殿は健康だった頃のたくましい姿になった。16歳までは、殿はずっと変わらず、老いは全くなくて、年より若かったからね。
日記も読み返した。
小さなことでもたくさんメモっといて良かった。
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11日、日曜。
ビーはカリカリをパクパク。
腎サポーセレクション、ゼッピン、シーバ。
自分から何度かにわけて食べる。
日中は祭壇の横や前の椅子や窓辺の箱でよく寝てた。
9日10日はニャーニャー鳴いて私にべったりだったけど、いつもの感じで過ごしてた。
まだ鼻水が出てるので、新しい抗生剤。
モンちゃんは草の食べ過ぎでヌンチャクウンチを落とし、ダーに「だせえぞ!」といわれてた。
私たちものんびり家事したりご飯食べたり、日記のつづき読んだり。
鉢上げしてたコーネリアに新しい葉っぱが出た。すごい!
迷ったけど、バラの植え替えは冬と決まってるので、コーネリアだけは今はやらずに待つことに。
ほかは木も草花も植え戻した。
育つのが楽しみ。
夕方、河原の大柳でEちゃんと会った。
Eちゃんは、当日にLINEしたら電話くれて殿のことは話してあった。
まだ暑くて人少なかったけど、土手の道から草の上にでると、途端に空気が良くなり、涼しくていい匂い。
柳の下は木漏れ日があってももっと涼しい。
アブラが全盛、ツクツクも。
私は食欲なくて余りかけてた食パンを焼いて、桃とスイカ切ってもっていった。
Eちゃんのもって来たアイスとカンヅメのパインやモモをパンにのせて食べたらめちゃうま!
すごいこぼれるけど。
Eちゃんはすでに濃い玄米茶をハデに服にこぼしたまま来ていた。私はタンクトップが裏返し。
定番のガーリックオイルも美味しくて、たくさん持ってったのにパンが足りなかった。
河原の大柳の前で、食欲出ないなんてありえないみたい。
たあいないおしゃべりしてたくさん笑った。
アオサギがやたら忙しそうで、カラスとケンカもしてた。
10号の風で雲が流れて、暗くなると星が見えた。
大柳からはひっきりなしに蝉の交尾の音。
夜、Mさんから殿の旅立ちは「あっぱれ」という言葉をいただき、そうだ、殿あっぱれだ!
あっぱれあっぱれと思ってるうちに、晴れやかな気持ちになってきた。
日記を読み返したら、私もよくやってた。
ハレルヤってこれか。
祭壇が明るく光って見えた。
大往生って、こういうことか!
ダー、うん、本当に自然のままに少しずつ老いて、天寿をすぎるほど生きて、辛くなった体を捨てただけで、殿は変わってないよ。
子猫の顔にもどって天国デビューできたんだ。
そこに悲しみなんて、ないんだ。
こんな境地があるのか。
ハレルヤ!
深夜、モンちゃんがワーワーいうのでダーがエントランスに連れてくと、猫好きの住人が近づいてきて、撫でるまでは良かったけど、その人がポストの鍵をガチャガチャした音に焦りまくり、モンちゃんがバタバタ暴れて、連れかえった。