なぎのあとさき

日記です。

お世話メモ、ゲルマント序盤

2019年05月28日 | 読書メモ


私がご飯食べてると、後ろの本棚にモンちゃんが飛び乗り、背後から私を見ている。私がちょっと席を立つと、ピョーンと本棚からジャンプして、走って隣の部屋の窓にいく。

モンちゃんが本棚の上にいるのは、私がご飯を食べるときだけ。



27日月曜も、殿はいい調子で、8割は自分で食べた。
大半はマグロたたき身だけど。
懐石ゼッピンのカリカリにマタタビ粉ふりかけを、何度か食べた。
お水も廊下のバケツの水をちょこちょこ飲んでる。

マタタビ粉をふりかけると、モンちゃんがすっ飛んでくるけど、デブのモンちゃんに必要以上にカリカリを食べさせるわけにいかないので、手近な私のスネや太ももにマタタビ粉をかけると、モンちゃんはそこを舐めたり頭突きしたりスリスリしたり。変態行為っぽいけど。

ビーも夜勢いよく食べたものの、どばっと吐き戻し。
マグロたたき身の蓋をピカピカになるまでなめてたので、ビーはやっぱりお刺身はやめたほうがいいのかも。



殿はセレニアを36時間ごとから、48時間に伸ばしたら、水ゲロを吐いた。
正念場は解除しても、油断してはいけない。丁寧な下僕業を!

15時頃、河原の川べりに出た。
水が澄んで、細い小さい魚がいっぱいいた。
一回り大きい魚は、近付きと逃げる。
暑くて、水はぬるかった。

28日火曜は夜に雨。
気温やや下がる。

殿はたたき身をよく食べたけと、チリ産サーモンはお気に召さないらしくて10gでストップ。

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「失われた時を求めて」メモ

「ゲルマントの方」の章に入り、ここからは初読み。
ゲルマント公爵夫人の家の敷地にあるアパルトマンに引っ越してきた語り手。
フランソワーズを通して、そこでの生活が語られる。

語り手は、再び、ラ・ベルマのフェードルを見に行く。
ボックス席の暗がりから現れては消える貴族たちを、水族館の魚たちに例えて、描写が長々と続く。ゲルマントの大公夫人、公爵夫人も現れる。
彼らの謎に包まれた生活の一端を、オペラ座のボックス席では覗き見ることができるので、語り手は興奮気味。
もはや、お芝居のことは、手短に肯定して終わり。

◯美しさにかけて大公夫人は、……彼女の身体の優美な線は、それだけ(首筋や肩やウエスト)では完成しておらず、まさにそこから目に見えない線が始まる出発点であり、その避けられない糸口になっているのであって、人びとの目は、その見えない部分にまで身体を延長して、この夫人のまわりに見事な線を作り出さずにいられなかった。

そして、公爵夫人が語り手に手をふるシーン。

◯その瞬間に、光の屈折の法則のおかげで、おそらく青い目の無感動な流れのなかに、個人の存在を失って原生生物となった私のあいまいな形が描き出されたのであろう、彼女の双の目が明るく輝くのを私は見たのである。
女神から女性に変わって、急に千倍も美しくなった公爵夫人は、ボックス席の縁にかけていた白手袋をはめた手を私のほうに上げて、友情のしるしにそれを打ち振った。私の視線は、無意識に白熱して炎と化した大公夫人の目と交錯するのを覚えた。

それからは、毎日、公爵夫人の散歩ルートで待ち伏せし、偶然を装って会うのを日課にする語り手。

公爵夫人の甥であるサン=ルー(ロベール)に、仲を取り持ってもらううため、ロベールの従軍部隊、ドンシエールに行く。

語り手が会いに来て、ロベールは「耳まで赤くなって」「愛情のこもった視線を注ぐ」が、語り手は、
◯私には依然としてよく理解できないながらも、今は無視できなくなったこの大切なもの、つまり私たち二人の友情を暗示していた。

ホテルの描写、兵士仲間との戦略の話がこれまた長々と続く、ここは、これまでで一番、話が入ってこなくて、バルベックの前半以上に進まなかった。

何日か滞在した後で、やっと勇気を出して、語り手はロベールに、公爵夫人に自分のことを売り込んで欲しい、食事の席をもうけて欲しい、と頼むところは、まわりくどくてやらしい。

◯ほら、普通ならぼくはね、きみに好意を持たれてることを吹聴してほしいなんて、思ってやしないでしょう。だって、ぼくには自尊心なんてないんだもの。

ついでに、サン=ルーが部屋に飾っていた公爵夫人の写真をくれるように頼む。

どこまでも感じが良くて品もいいロベールは、お安い御用!と請け合ってくれる。

◯他人の価値をはかる唯一の試金石は、私にとって重要なことに見えるたったひとつのもの、つまり私の恋にかんして、役に立つかどうかであると思われたからだ。

そこまで言われたらいっそすがすがしい、これぞフランスの男。

さらに、「tuと呼び合いたい」
ロベール「両方ともやろうよ」
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花咲く乙女メモ~乙女たちと知り合う~

2019年05月15日 | 読書メモ


グルスアンアーヘン

「花咲く乙女たち」
~乙女たちと知り合う~

語り手は、一人の女の子に決めずに、集団と仲良くするのが楽しくて、みんな自分に気があると思っている。

アルベルチーヌは、知れば知るほどいい子であることがわかる。
この章の終わりで語られるには、貧しい身の上でありながら、様々な家に招待されて可愛がられている彼女は、天性の人たらしなのである。

アンドレは、知性の高くて一見思いやりがありそうな子だけれど、言葉に心がこもっていないらしい。

途中でパリに帰るジゼールは、「青い目の中に、真心と愛情のこもった微笑みがよぎり、それがパッと輝くのがみられた」ことで、語り手はたちまちかっとのぼせ上がる。

と同時に、アルベルチーヌが話してる間、彼女の頬をながめながら、これはどんな匂い、どんな味がするのだろう。と考える。

語り手は幼年期から想像で書き上げた恋愛劇に、少女たちがみな申し合わせたように、出演を希望しているように思われた。
スターが誰であれ、常に決定版の形態を維持していた。

少女たちの友人で、ゴルフや競馬に夢中で若者オクターヴについて。
◯彼は「何もせずにじっとしている」ことができなかった。もっとも、彼は未だかつて何かをしたことがなかったのだけれども。……オクターヴの物思わしげな額の奥に宿る絶えざる知性の欠落は、その落ち着いた様子にもかかわらず、なんとかものを考えようとしても考えられないもどかしさを与え、そのために彼は、あまりに考えすぎた哲学者に起こるように、夜もろくろく眠れないのであった。

と、肉体と筋肉生活を送る若者には辛辣。
いつも自分は少女の肌や肉体のことばかり考えているのに。

少女を彼女たちの母親と見比べるところもひどい。

◯少女たちの傍らの母親なり叔母なりを見れば、それだけでこれらの顔立ちの歩む距離を充分に測定できる。……三十年足らずのうちに目は衰え、顔はすっかり水平線に没してもはや光も当たらなくなるような時期に到達するだろう。

変なとこばかり、わざわざ引用してしまった。

ヘタレでスケベ心満載で甘ったれで勘違いばかりの語り手が、本当に少女たちに相手にされていたのか怪しくなるが、その当時から、そういったダメ部分を凌駕する、芸術家だけが持つ知性とセンス、面白さがあったんだろうか。

次第にアルベルチーヌに惹かれていく語り手。彼女にはどこか、ジルベルトに似たところがあると感じる。語り手によれば、好きな女の類似は、自分の気質による、と。

◯人工的な斬新さよりも、反復のなかにこそいっそうの力があり、これが新たな真理を暗示するはずだからだ。

私は好きなタイプって特になくて好きになった人に類似もない。私って気質がない、ってことなのか。

プルーストが若くて美しい少女たちをこれでもかと描写するせいか、夢に全くファンでもないのにマッケンユウが出てきてラブラブだった。

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サックス先生の本

2019年03月07日 | 読書メモ


3月はじめの週。

庭の沈丁花が満開で、空気は甘い匂い。
クリローも次々咲いて、枯れてた庭が正気を取り戻してる。
月曜と、水曜夜は雨。一雨ごとに緑が増える。

にゃんこたちは変わりなし。
このところ毎朝、ビーが肩から顔の上にいて、肩が痛くて、鼻と口はビーのあごでふさがれて目が覚める。
メルカゾールを減らしてから、ちょっと大声で鳴くようになってはいるけど、本人がつらそうなことはないし下痢もないから、このままでいいと思う。

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サックス先生の本が隅々まで面白い。訳注まで読みごたえ充分。今年はたくさん本を読み、メモっていこうと思う。

「レナードの朝」
流行性の脳炎にかかった患者たちが、ある夏、特効薬とされていた薬で何十年かぶりに一時的に目覚めるが、その後、様々な副作用に見舞われる、症例がまとめてある。同じ病でも人によって症状が全然違っていて、病の過酷さ、人の脳の複雑さ、わからなさ、ふしぎさ、人間とはどういうものか、に近づいていく。
著者で神経科医のサックスは、医師としての腕前や洞察力、幅広い知性はもちろん、人間への敬意、愛情に溢れていて、魅力的。過酷な状況の中でこの人自身が救いだったように思える。
まだ半分くらい。

「色のない島へ」
こちらは、サックスがミクロネシアの島々に出かけ、一つの島内に多く発症する難病を調査する。私たちが見ると島はほとんど緑色だけど、色盲の島民たちは、同じ緑も光り具合、濃淡などで違って見える。視覚だけではなく、手触りや匂いなど、五官を使って考える。

人間への愛情と同じように、島の自然に対しても愛情があふれ、島の地形や生態系、歴史まで掘り下げていく。ダーウィンやメルヴィル、クック船長、コペルニクスにヴィトゲンシュタインなどなど、先人たちの足跡や言葉も織り交ぜて。やたら好まれるスパムと、太平洋の島の食人習慣の話も面白い。

グアムの一番美しいビーチは、スペインの宣教師や大戦時の日本兵に住民を虐殺されて占領されて、その後は米軍の基地になってもともとのチャモロ人は入ることもできない。
グアムは外来種のきのぼりヘビが鳥という鳥を食べて、鳥の声がしない。

グアムとロタの話は、ソテツの話で、ソテツには、脳神経を壊す毒素があるらしくて、日本に占領されて食べ物がソテツくらいしかなかったチャモロ人は、ソテツを食べて脳炎になった人が多くいた、けど、わかっていないことも多い。

調査の途中で釣りやシュノーケルに出かけるサックス先生。グアムでは一日の大半泳いでる、という女性と海に潜って珊瑚を眺める。大量のナマコすら、サックス先生は愛情をこめて見ている。ダーウィンですら、ナマコをディスってたけど。

ソテツは恐竜時代から生き残ってる植物で、ロタ島のソテツの森は人類誕生前の風景を感じることができるのに、日本人がゴルフ場を建設するため森を破壊してるそうで、、原生林がなくなると地下のリーフに酸性の雨が流れて珊瑚が死んで生態系が崩れてしまう。(ナマコの大発生は珊瑚の死と関係がある)
こんなの、大戦時の日本人とやってること変わらないじゃんね。
無知は罪だ。

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いとし涙

2013年11月07日 | 読書メモ

河原で、何年かぶりにカワセミを見た!
でもすぐに上流へ飛んで行った。
前に見たのは開発前でホバーを初めて見た。

庭にはシジュウカラのカップルが来て、
木の枝や地面に芋虫がいないか物色している。
モンチが網戸越しにその様子をじっと見てたけど、
シジュウカラは全然気にしない。

植木屋が持って来てくれた
トロリウスとサマーソルベットを植え付け。

殿ビーは私の首や脇の下とか、
体温高めのところにくっついて寝る。
起きぬけ、肩と背中がガチガチに痛い。
モンチはホトカで一人で寝ていて
ホトカが切れると目が覚めて、
周りに誰もいなくて「アー、アー」と
高い声で鳴いた。
「モンチ、こっちー」と寝室から呼ぶと
鳴くのをやめてすっとんで来て、
ベッドの下から私を見上げてぷるるるるる。
眠いのでそのまま寝て、
視線を感じて目を開けると、
同じ姿勢のまま私を見つめていた。
身に余る幸せ。
でもまだ寝る時間なのよー。

「未明の闘争」読了。

冒頭のビックリガードは
大学時代しょっちゅう歩いてたので
懐かしくてするっと入れた。
アキちゃんや和歌山の話も面白くて、
笑えるところもいっぱい。
一人の人が書いてると思えないピンチョン感。
前半は河原に行って読むことが多くて
少し読むごとに多摩川の流れを見ながら
あれこれ考えるのも楽しかった。

鳴海が消えてから、
横須賀~キングストン、
そして外猫たちときて、
どんだけー、っていう盛り上がりで
一気にラストまで読んだ。
読み終えた後も
寝るまで涙が止まらなくて、
寝て、起きてもまだ鳴り響いていた。

カンバセイション・ピースも
2回読んで2回とも泣いて、
それは実家の庭や庭のお墓に眠る猫や
今周りにいる猫たちへの
愛しさがあふれての涙だった。
未明の闘争の涙はそれにくわえて、
どこかで会った野良猫たちや
会ったこともない外猫たちへの
愛しさがあふれての涙だった。
愛しいぶんだけ悲しい。
「悲しいのも楽しいのも同じでしょ?」

これまでの時間や自分の身体だけでなく、
その外側の空間、過去や未来、
あったこと、なかったことを越えて響く。

鳴海とホッシーの歳の差がちょうど15歳!
本当に昔、作者と山下公園デートしたみたい。
私は自分が28になるまで
30過ぎの男は対象外だったけどね。
(28になったとき、自動的にダーが30に)

すごい小説だ。また読もう!!

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読んだ本のメモ(2011.1~)

2011年02月18日 | 読書メモ
「冷血」
ふだんよく知らない犯罪について、
あれこれいうのはムダなことだなぁ。
じっくり調べて書かれたこの本を読んでも、
わからないことはあるし、なんともいえない。
最後の時のペリーの描写が心につきささる。
残された馬の姿が悲しい。

「ラブイユーズ」(2度目)
なんとなく、痛快な本を読みたくなって読む。
ヒールがこれでもかというほどむかつくヤローで、
芸術家の美しい魂とのコントラストがくっきり。
ジョゼフのセリフや態度はいつもモダン。

「逆光(上)」
そこに山があるから、という気持で読み出す。
ふつうの本なら50ページくらいで本の世界に入れるけど、
この本は200~300ページくらいでやっと入れた。
登場人物の多さもはんぱないので、
下巻が手に入る前に、何人かは忘れそうだし、
(そんなんで読み終える日はくるのか?)
とりあえず、上巻を読んだだけでも、
この先どんな長編でも読む自信がついた。

印象的なのはフランクとエストレーヤのくだり、
リーフの雪崩のくだり、
マールとクララベラのくだり。

「ピストルズ」
これまでの阿部ちゃん小説がつながっていったり、
(ハイハイ、あの事件ね)
読む人の経験でいかようにも想像できるくだりがあったり、
ラストにドッキリがあったり、
面白かった~。

「わたしを離さないで」
こんなこと、あるはずのないSFだ、
とでも思わないとやってられない最悪に気色悪い話。
でも書き方がうまくて先を読みたくなる。

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12月頃から集中力があって
本をすいすいと読める。

きのうは大雨がふり、
今日は起きぬけにプーリーを大音響で聞きたくなるほど暖かくて、
春一番だ!とうかれそうになったけど、
夜はがっくんと冷えるのだった
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最近読んだ本

2010年10月01日 | 読書メモ
「白の闇」
ジョゼ・サラマーゴ

一見、悪夢のような状況にはまっていく話だけど、
展開が予想のつく範囲内なので、「夢」とは違う。
涙の犬はかわいかった。

「ペンギンの憂鬱」
アンドレイ・クルコフ

ペンギンの扱いといい、オチといい、
なんじゃそら感でいっぱいに。
タイトルどおりに乙女チックな話。
うじうじした男が鬱陶しい。

上の2冊はアマゾンの評が良かったので図書館で借りてみたけど、
読み返すことはないだろう。

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「肝心の子供」
磯崎憲一郎

さっぱりと無駄のない文体で描かれる
鮮やかなシーンの向こうに、
どこまでも広がる世界を感じる、
読んでいて気持ちのいい本。
一行先には、新しい世界が待ってる。
「聖☆おにいさん」でおなじみラーフラくんやブッダ、
ヤショーダラーもさすがのオーラを放っている。

「世紀の発見」
磯崎憲一郎

世界って、愛すべき存在だなぁ~、と、
全編を通して感じられる、気持のいい本。
自転車の話、とてもよかった。
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最近読んでる本

2010年06月12日 | 読書メモ

■ 最近読んでる本
 
「小説、世界の奏でる音楽」
途中まで読んで、また最初から読んだ。
いいなぁ、と思うページに
小さく折り目を入れてたら、
折り目だらけになり、
気になるけど、飲み込めない文章は、
手帳に書き出したりしてみた。
著者の思考をたどるように
考えながら読むのが楽しい。

世界はいつも生まれ育つプロセスにあって、
それを感じる自分がいて、
自分というのも、
ほとんどの部分は外の世界にあって、
その全体が主体になって、
えーと、、
無意識が外の世界にあるというのは、
鎌倉で、あ~こういうことか、
と簡単にわかったのに、
その後でどういうことだったか
思い出せない。
 
カンバセーション・ピースの
ラスト近くになっての、
実家にいた猫と、
その猫のお墓のある庭と、
横で寝ている猫たちへの愛しさが
溢れかえって涙が止まらないという、
それまでに味わったことのない感動は、
まさに私の身体、時間に響いた、
ということだった。
時間=猫=愛。

気になることを取り上げては、
自分ではとても到達できない
思考のはるか遠くまで、
連れていってくれるので、
著者に惚れ惚れしてしまう本。

■ チェーホフ「谷間」

終わり近くに、
成瀬映画みたいな衝撃の展開があり、
息苦しくなったところに、
農民のおじいさんの
突き抜けたセリフで、
東横線で大泣き。

■ 「シンセミア」

続編が出たので読み返し中。
この爽やかな季節に、
なぜ変態&ジャンキーまみれの小説を、
という違和感は最初だけで、
どんどん普通に思えてくる。
パン屋の若夫婦が、
雨の中、山を登っていくところ、
その後水浸しになった町のくだりが
やっぱりいい。

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「白痴」

2009年11月18日 | 読書メモ

ドストエフスキーは
十代のころ片っ端から読んだので、
私の血になって流れてるんじゃないか、
と思えるくらい小説の世界にスッポリはまった。

といっても、
初めて読んだときもそうだった気がするけど。

忘れてた登場人物も多かったけど、
どの人物も、魅力たっぷり。
トーツキイを除いて。
ひとクセもふたクセもある激情家で、
根はいい人ばかり。
かわいそうだけど、美しい人たち。

特にかわいそうなガーニャ。
ナスターシャに足蹴にされ、
作者にも散々ないわれような上、
アグラーヤにまで?!

初めて読んだとき
ナスターシャ・フィリッポブナに
心酔したもんだけど、
読み返してみると
レーベジェフも、イヴォルギン将軍も、
コーリャも、リザヴェータ夫人も、
アグラーヤも、
エヴゲーニィ・パーブロヴィチも、
ロゴージンも好きだ。
イポリートだって憎めない。

ガンカは、
まぁふつうかな…

またいつか面白く読み返したいので
内容には触れない。

白痴 (上巻) (新潮文庫)

白痴 (下巻) (新潮文庫)
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クロイツェルソナタ/悪魔

2009年11月04日 | 読書メモ
久しぶりに読み返す。
ほとんど覚えてなかった。

大人になると、
深く落ちるようなことは避ける。
でも、ロシア文学の登場人物たちは、
自らを深淵に叩き落し、
淵をさまよい歩く。

獣偏に王と書いて狂。
感情は高ぶるがままにせよ。
そして気づいたら獣の王に。

愛と性にふりまわされ、
ほかのことに手がつかなくなり、
獣の王になっていく主人公たち。
「ロシア的です。ロシア的ですよ。」

クロイツェルは、
嫉妬のあまり獣の王に。
ことあるごとに、
または何もなくても、
感情の高まりが波のように押し寄せて、
ベトベンのピアノソナタを聞いてるみたい。

「悪魔」のエヴゲーニイは、
性格も見た目も良く、
人望もある、若い地主さん。
そんな彼も、獣の王に。

トルストイはほんとに
「純潔こそ理想」だったのだろうか。
それにしては、
ステパニーダとの森での逢引シーン
~鮮烈な陽光のふりそそぐ
あの胡桃と楓の林であったすべてのこと~
は、うっとりするほど甘美で、
鮮烈なエロスがほとばしる。

愛と性の果てに
淵をさまよう人の感情のグルーヴに、
ロシア文学の快楽がある。

やめられないので、
ドストエフスキーで一番好きな、
「白痴」を読みかえす。
これが面白くて面白くて!
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パヴェーゼ「美しい夏」

2009年08月22日 | 読書メモ
夏の海も太陽も、
夏の緑も花も出てこないけど、
美しい夏。

若い娘のジーニアとアメーリアが、
ボーイフレンドのアトリエや、
カフェをうろうろしてるだけの話だけど、
美しい夏なのだ。

ジーニアは、
画家のモデルのアルバイトをする
アメーリアのことが、
とても気になる。
そして、画家の男の子に恋をする。

男の子たちは、
女ごころなんて全くわからない、
おばかさんたち。

自分のことばかりの娘たちは、
かわいらしい愚かさで、
美しい夏をだいなしにしてしまう。

夏が過ぎて、
ジーニアは絶望しながらも、
誰かを待ち続ける。

《あたしは年をとったんだわ、それだけのことよ。
美しい盛りは終わったのね》

と思うジーニアは、まだ16歳。

《あたしたち、さよならもいわなかったわね》

ラストは電車で読んでいて、
思いがけず涙。

ふとした瞬間、
夏の夜の香りを感じて、
立ち止まってしまう、
ジーニア。

《きっと来るわよ。季節はめぐっているんですもの》

アメーリアは、
「ちょび髭はあなたに気があるのよ」、
「あなたのお医者」っていうセリフや、
無駄なことはいわないところ、
ちょっといじわるなところが
Cにそっくりで、
ジーニアは若い頃の自分のようで、
心の奥のほうの記憶が浸される本だった。
グィードやロドリゲスのたまり場も、
身に覚えあるし。

ジーニアもきっと、
何年かたって、
自分のことから解放されたら、
夏の世界の美しさに気づくだろう。

読み終えた次の日も、
余韻が残っていて、
家ではジャニスが聞きたくなり、
チャリの道行きに、
深くて、つやが戻ってきた緑、
湿気のなくなった風、
きれいすぎる夕焼けに、
晩夏を感じつつ、
アイポでNight Swimmingなんか聞いてたら、
目がうるんでしまう。

美しい夏。

《きっと来るわよ。季節はめぐっているんですもの》
コメント

ポール・オースター「幻影の書」

2009年08月11日 | 読書メモ
オースターの最高傑作!
と何かに書いてあったので、
図書館で借りて読んではみたけど。

読んでいる間、
だから何、という気分がぬぐえなかった。
主人公の特殊な体験、
閉じた世界、箱庭づくり。
オースターは一貫して、
そういう事を書いていて、
リヴァイアサンくらいまでは、
キモ面白く読んでいたけれど、
この本は、響くものは特になかった。
ディティールも劇中劇も、
必然性のないコトが多いわりに、
そう面白いとも思えず…。

最後まで読めたくらいだから、
全然面白くないってことはない。
想像もつかないほどの、
不幸のどん底にいた男が、
最後にはきちんと救われる、
いい話、かもしれない。

といっても、
伝説の監督ヘクターの嫁・フリーダと、
主人公を迎えにきたヒロイン・アルマが、
ただ単にイカレた人たちで、
リアリティが感じられないのだった。
宗教的な意味合いといわれればそれまでだけど、
価値のあるフィルムを焼くなんて、
犯罪の上塗りだし、嫌でしょ、ふつう。
フィルムに価値があるのかも、
そんなに伝わってこなかったのだけど。

私の嗜好が変わっただけなのか。
ほかの人のブログをさらっと見てみると、
みんな大絶賛、大感動の嵐だった。

私としては、
誰の目にも見えている世界と、
どこにでもいる人々のことを、
オリジナルな視点で書いた本が好きだ。
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ペドロ・パラモ

2009年07月22日 | 読書メモ
小さな町に、
水たまりのように、
たまっていく時間。
時間は流れずに、
漂っている。

なので、一度読んですぐ、
はじめから読み返した。
何度でもループして、
読みたいような本だった。

でも、絶版の本で、
図書館に返さなければならない。

「シャボテン草のすえたにおいのしみこんだ八月の暑い風が吹く、
暑さのまっさかり」のお話。
主人公は、父親のペドロ・パラモを探して、
コマラにたどり着く。

暑さの描写がたまらない。

○太陽の照り返しの中で、平原はかげろうにとかされて透明な池のように見え、灰色の地平線がぼんやりと湯気の中に透けていた。

その向こうには山並み
さらに遠くには、涯(はて)がある。

○雲が引くと、太陽は石を輝かせ、あたり一面を彩り、地面の水をのみほして、木の葉とたわむれる風をもてあそびながら、葉の色を輝かせた。

○日没を告げる風に、ちりぢりに吹きとばされた雲のきれっぱしが流れていった。

町中に、わんさといる人の霊。
ペドロの声も聞こえる。
主人公は、夫婦のように暮らす兄弟の家に立ち寄る。

○ぬかるみのような身体。汗の中を泳いでいるようで、苦しくなる。
空気がほしくて外に出た。だが、熱気は依然として身体にまといつき離れなかった。
それというのも、空気がどこにもなかったからだ。

○八月の酷暑に熱せられた、けだるいよどんだ闇しかなかった。風も吹かない。

ソコデハ、命ハササメキノヨウニカゼニナビクノデス。

ペドロとミゲルに、手を貸してきたレンテリオ神父。
親子二代で、町中の女を食いちらかしてきたペドロ・パラモに、まんざらでもない女たち。

海の描写も素晴らしい。

○わたしは気持ちよく砂のぬくもりにからだを浸していた。海のそよ風に向かって目をつむり、手とあしをひろげた。(中略)
潮がさしてくると、わたしのあしに、あわのなごりをおいてさってゆく……
海の水がわたしのくるぶしをぬらしてははしりさる。その優しい腕をわたしの腰にまわす。乳房のあたりにうずまいてから、くびにだきつき、かたをしめつけてくる。わたしはすっぽりと中に沈む。

夜の描写も。

○深い闇につかってふやけ、ふくらんだ星は、夜空一面にちりばめられていた。月は顔を出したものの、じきにかくれてしまった。

そして、愛の描写も。
ペドロが、最後に愛した女性、スサナ。

○石みたいにかじかんだ足は、そこだとパンを焼くかまどのように暖められた。
(中略)
からだが裂けていくように感じ、暑い釘を打ち込まれるように身体がわれていくと、全身が虚無の中に消えていくようだった。
(中略)
暑い釘も生あたたかくなり、やがて甘いものになって、容赦なくやわらかいからだにくいこんで行った。

スサナは、
前の夫のことだけを考えている。

ひっきりなしに、
人の会話が聞こえるのに、
全編をつらぬく静けさ。
美しく、透明な景色。
遠い異国の空気を感じた。
コメント

最近読んだ本

2009年07月10日 | 読書メモ
ヨーゼフ・ロート全集その1、読了。
どの話も面白かったけど、
なかでも「サヴォイ・ホテル」。
灰色のロシア兵がどっと押し寄せてきて、
誰もが不幸なのに、
誰もが留まりたがる。
アメリカ大好きスヴォニミール、
感じの悪いアレクサンダー、
エレベーターボーイのイグナーツ、
ほかにもオモロな人がいっぱい。

「曇った鏡」
可愛い娘のフィーニ。
秘密と不安に押しつぶされそうな少女から、
恐怖も期待もない大人の女へ。
町外れの樽置き場でのデート、
しょーもない女たらしとの婚約、
そして、ビビッと落雷数万ボルト!
戦争で聴力を失った父が、
唯一の味方、というのもツボ。

「ツィパーとその父」
戦争前後で、こわれたり、
再生したりする家族模様。
戦争は、すべてを歪ませてしまう。

阿部和重「ミステリアスセッティング」
ひどい人間関係にもまれつつも、
美しい心を持ち続ける少女の話。
ラストのシーンは、
本当にドキドキするほど怖かった。

最近ふと思ったこと。
昔読んだ村上春樹のエッセイに、
世の中は、
「そういうもんだ」と
「なんとかなるさ」で、
おおむね渡っていける、
というような話があった。
これにもう一つ、
私の中でプラスしたいのは、
「そうなんだ、
私はちょっと違うケド」
女子に共感を求められるときなどに思う。
人と違って当たり前くらいでいいじゃない。
あと、ドストエフスキーに断言されたときなどに。

たらららん♪イェイ
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読書

2009年05月25日 | 読書メモ
Cと鎌倉の海に行き、
砂浜にボンボンベッドを出して、
潮風に吹かれながら読書。
本の後ろには、海と空の青だけ。

前にジャマイカ行った時、
ボンボンベッドで白鯨を読んでいて、
スコールがきて本がびしゃびしゃになり、
その後は波打った本を読んでいた。
水色の表紙の、新潮文庫。
本のある風景の記憶は、
私だけの特別な景色。

ジャメイカの海じゃ、
一行読むのに何分もかかったけど。

最近、漫画まで携帯で見る子供が増えてるそうだけど、
紙の手触りや、
風に吹かれてめくれるページ、
表紙や装丁のモノとしてのデザイン、
シチュエーションに合った本選びなどなど、
「情報を得る」以外にも本を読む楽しみって、
いろいろある。

敗戦してからこっち、
失われた美意識を求めることもしない日本、
何でもケータイやPCで情報だけゲットしてたら、
ますます美意識なんて育たなくなるのでは。

その日海で読んだ本は、
やっと図書館から連絡が来て手に入れた、
ハリポ「死の秘宝」。
(あまり美意識関係ない)

海は波が高くて、
平日でもサーファーがたくさんいた。
サーファーたちは目がきれいで、
ほどよく日焼けてしていて、
グッドルッキング。

波打ち際で、砂と波による足裏マッサージ。
突然ザッパーン!と波が来て、
ズボンが濡れた。
Cも私も。

6時近くなっても空が明るい。
たっぷり海を満喫。
夏の始まり。
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墨東綺譚

2009年05月09日 | 読書メモ
墨水の東、つまり隅田川より東の、
どぶ川沿いで生きる娼婦と過ごした、
梅雨、蚊のうなる夏、台風の秋。
女のしぐさと下町の風情を通して、
描かれる季節。

電話もメールもない時代、
会うたびに、
これで最後かもしれないと、
心のどこかで感じている。

はかなくも美しい、一瞬のきらめき。
そんな日本の景色も、
雪のような女も、今いずこ…。

「あなた。心配したのよ。それでも、まァ、よかったわねえ」

荷風は銀座のことを、
情緒のかけらもない残念な街呼ばわりしてたけど、
今の新宿や渋谷を見たらなんていったかしら。
美意識がないまま、増殖する東京の街。
フタコの開発マンションなんか、
ダサすぎてなるべく視界に入れない。
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