なぎのあとさき

日記です。

晩秋

2020年11月27日 | 日々のこと



キミガヨラン

11月の3週目。
例年よりは暖かいと思うけど、
ちらほら寒い日もでてきた。

寒いとモンちゃんはすごい寝る。
朝9時すぎ、私が起きると一緒に起きてついてきて、ちゅーるを食べて庭の草をちょこっとかじったら、私をつれて寝室に戻ろうとする。
私がシャワーを浴びてる間に、ベッドにまた入って寝ていた。

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先週末のこと。土曜は海へ。鐘2日目でさすがに海に入れそうもなくて久しぶりに由比ヶ浜に行った。

ウネリが少しあったので、サーファーが多かった。
足だけ水に入ったら、まだ冷たくもなかった。

ずっとお腹が痛かったけど、Cが買ってきてくれた貼るカイロとシートヒーターで前後からあっためたら、腹痛はだいぶ和らいだ。

お寺は鳥居の手前まで行った。
奥は真っ暗。
木星土星はかなり西にきた。

日曜は横須賀へ。
お土産に和牛を買って、ママの手術前に、この春できなかったBBQすることに。



背の高いナントカヒマワリ

近所の山は常緑樹ばかりで、唯一、ハゼだけ赤くなってた。バスの中から皇帝ダリアも今年初めて見た。



見晴台




海は荒れもよう。
冷たくはない。
魚影まったく見えず。

BBQは牛のもものかたまりをシュラスコみたいにして、ワインによく合った。
ただでさえ美味しい肉を庭で食べるとますますうまい。
火起こし名人のママに伝授してもらい、Tが火の番をやってくれた。

月曜は、Tと電アシ自転車を買いに用賀へ。

美術館行きのバスの途中で降りて、砧公園に寄った。桜は散った後だったので、紅葉は期待してたほどはなかった。




これまで使ってた無印チャリは、もう10年以上乗ったかな。
大きいカゴに付け替えて、殿やビーをE.Tみたいにカゴに乗せ、何度病院へ通ったことだろう。

最近ブレーキが効かなくて危なっかしかった。

帰り、とん茶食べて帰ろうとしたら、
閉店していた。

鐘中にあっち行ったりこっち行ったりしてたせいか、体が弱り気味、疲れがとれない。

そんな中、ママの手術の日は5時起きで横須賀に行った。
コロナ中なので、立ち合いと言っても一瞬、遠くから手を振るくらい。ママは笑ってて元気そうだった。

待ってる間は、パパと三笠公園に行って軽く朝ごはんを食べた。



クスノキの紅葉がかわいかった

周りの海は澄んで底がよく見えた。でも魚影なし。

パパはポケモンGOのほかにもゲームやってて、課金寸前の感じ。
ポケモンGO始めてパパママも散歩の量が増えたのはいいけど、散歩しながらゲームをやるというのはやっぱりすごく変。

散歩中は感覚のよろこびも脳への刺激も絶えないのに、わざわざゲームする気がしれない。

手術はぶじに成功し、先生の説明を聞いた。
切り取った肉片を見せられてビビった。
パパが「何でもご馳走する」っていってたけど、あれを見た後でメシを食う気にはなれなかった
かわしまでまたパステルを買い、新しくできた中華レストランを探して飲み屋街をブラブラ。レストランは定休日だったのでモアーズでパスタ。

パパはちょっと耳が遠いので、先生の話など聞きそびれることもありそうで、私も一緒に行って良かった。
ママも「パパだけじゃ不安」といってたけど、たしかに、聞こえてるのかどうなのか怪しい。
ボケてる感じはないけど。
ママが入院してさっそく、おでんとカレーを作ったそう。

早めに東京に戻った。感染者は増える一方なのでしばらくおとなしくしてよう。



今週のお花。

モンチやほかの猫のことも考えて、ビーだけでなく虹の橋のみんなのことを思ってるうちに、ああ、みんないるからビーは寂しくないんだ、と思うと、私の寂しさも少しひいてきた、気がする。

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秋なかば

2020年11月21日 | 日々のこと




11月の半ばを過ぎた。晴れが多くて20℃を越える日もある。紅葉はゆっくり進んでる。

これは14日の九品仏。
境内のカエデはまだ青かった。
高い木の上のほうにいる鳥が、夕映えで七色に光っていて、よく見たらホンセイインコだった。

その後自由が丘に行って買い物券で何か買おうとしたけど、何も欲しい物がなかった。

台風の塩害がなかった今年は、紅葉がきれい。ケヤキはゆっくり黄色から赤になっている。
クスノキは新緑のような淡い緑から、黄色、赤まで一本の木が色とりどり。

ブタクサは終わったので、猫草を3鉢つくった。モンちゃんは草が大好き。




草を食べても吐かないモンちゃんは、ンチが草でつながってキレが悪くて、トイレの外に一つ落としてしまった。「たいへんだ!やっちまった!」とトイレの下のシートをざっざっで細かくちぎり、落としたンチの上にざっざっと乗せて隠してあった。きれい好き。毛繕いもよくしてるもんね。

モンチみたいに一ヶ所を集中して舐めるのでびちゃびちゃになってたりする。
女の子はみんな毛繕いよくしてたけど、男の子でこんなきれい好きもいるんだね。

なのでモンちゃんの毛皮ってほとんど無臭。完全にではないけど。太陽とか風とか洗濯物とか、色んな匂いがくっついてる。




先週は毎日のようにモンちゃんと庭で日向ぼっこした。モンちゃんは1人だと外でぐっすりは寝ないけど、私が側にいるといつまでも寝てる。

テレワーク中は膝に乗ってくる。体重8.5であしぶみ状態、背中の肉と前足は膝に乗り切らずはみ出してるし、頭もスペースなくて起こしたままでラクそうに見えないけど、膝に乗っている。

モンちゃんが落ちないよう、膝を広くするため開き気味にして、爪先を立てて巨体を支え、脚の筋肉をプルプルさせながら仕事。



せまくてもへーきだ!



はやくしごとおわらにゃいかなー

エノコロは終わったけど、ススキの若い穂を持って帰ると飛び付いてビュンビュン遊ぶ。荷造りヒモもよく遊ぶ。

夜もちょこちょこ外に出ては、すぐファーン!と鳴いて戻ってくる。
私がススキやカリカリを手に持つと、るるるるるとうなる声がかわいい。




河原は中洲の葦が光ってきれい。

ビーとはサシで向き合ってたくて保留にしてた横尾さんの猫の画集をやっと買った。絵も日記もやたらといい。タマは女の子だけど殿に似てる。

ちょっと休んでたビーの絵をまた描いた。一度描くのをやめると写真や動画を見る気になれなくなっていた。



この絵は、モンちゃんが追いかけてじいーっと見てた。

絵を描いた夜は夢に出てきた。覚えてないけどビーが当たり前にいた。

今週はモンチのこともよく考えてた。
モンチの旅立ちは、殿ビーとは比べ物にならない辛さだったけど、そこに暗さは全くなかった。
地上にいることが奇跡だったモンチは祝福された天使の猫。一緒にいられたことは目の眩む光栄で、眩しい光は今も私を照らしている。

今年はコロナ益で空が澄んでいた。虹が何度も出た。今年旅立った猫たちは迷うことなく天に上り、待ってた猫たちもすぐに見つけて迎えに行って、賑やかになった虹の橋でみんな幸せにしていることだろう。


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11月15日の海は、まだわりとぬるかった。
濁っていてよく見えなかったけど、魚影が少なくて、親方曰く、磯が焼けて海藻が全然なくなって、食うものがないから魚もいなくなった、と、親方は海中を見てきたかのように話していた。

ボディボードも楽しいけど、やっぱり素で泳ぐのが一番楽だし全身に浮力を感じて気持ちいい。

私たちのほかにもまだ一人、毎回潜りに来てる人がいる。

毎年見るけど名前の分からなかった花を調べて、アツバキミガヨランという名前だった。



ここのススキの若い穂はモンちゃんのお土産。

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「消え去ったアルベルチーヌ」読了。
後半は、母と二人でヴェネツィア旅行へ。
印象的だったのは、なんといっても旅の終り、運河のテラスに語り手が一人残されるシーン。
ホテルの宿泊者リストに「ピュトビュス男爵ご一行」の文字を見つけ、小間使い目当てに母に「ぼくは出発しない」とごねた語り手は、母が駅に向かった後、運河のテラスで夕日を見ていると、この土地に一人でいることの不安にかられ出す。ドリニーのプールというセーヌ川に浮かぶプールを暗い海の入り口のように感じた幼い日の記憶がよみがえる。その間ずっと聞こえている「ソレ・ミオ」の歌声が、緊張感をあおる。

耐えきれずに駅へ駆けつけ、無事にママとパリへ帰る。
帰りの電車は、二つのビックリ結婚報告でで母と盛り上がる。
母は会話のはしばしに、祖母を出す。
語り手の祖母への仕打ちはひどかったけど、愛情あふれる優しい娘がいた。

その後、カラマーゾフを中巻の途中まで一気に読んだ。
前に読んだのは30年近く前。細かいことは忘れてるけど、読んでると思い出す。ロシア的です!リアリズムですよ!

序盤で好きなのは、指を怪我した後でホラフコワ夫人宅に寄り、リーズと話すところ。ドストエフスキーの描く女性はほんと魅力的。いい小説でも女性は見た目ばっかりで中身が薄いことが多いけど、カテリーナもグルーシェンカもリーズも濃いー。


○すべては大洋のようなもので、たえず流れながら触れ合っているのであり、一か所に触れれば、世界の他の端までひびくからである。もし人がほんのわずかでも現在の自分より美しくなれば、小鳥たちも、子どもも、周囲のあらゆる生き物も、心が軽やかになるに違いない。

夢に長老が出てきて、目覚めた後で星空のもとアリョーシャが大地にひれふすシーンは美しい。

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横須賀へ

2020年11月11日 | 日々のこと



私は寝坊が続いてたけど、このところ晴れの日は9時半くらいにモンちゃんがワーワー鳴いて起こしてくれる。
お腹減ってるわけでもなさそうで、ただ「おきて!いいてんきにゃ!」ってことみたい。

10日はビーの2か月目の月命日だった。
まだ2か月なんだな~。
時間をさかのぼってあっち行ったりこっち行ったり、ビーとの新たな関係を探っていたので、もっと大きい時間の中にいた気がするけど、まだ2か月だった。
たった2ヶ月で慣れるわけないよな。




最近思うのは、殿やビーやモンチのいるところが時間も空間も無限に広がるメインの領域であり、地球上のこのうつせみの世界がサブかもしれないってこと。うつせみの世界ははかないので、日々を大切したい気持ちは変わらない。

そしてメインとサブのすべてを統べる何かがいる気もする。

猫介護生活を終えてからこの2ヶ月の間に、両親がともに大きい病の疑いをかけられた。パパはすでにクリア、ママのほうは今月手術~2週間の入院予定。
今の私は、いつでも駆けつけて力になれるから、パパママともにそれが心強いといっている。

去年もそうで、猫介護を終えたひと月後に水害に見舞われ、片付けに追われる日々に猫たちはマイペースに過ごしていた。

メインとサブのすべてを統べる何かというのはどの宗教でも神様といわれてるけど、私はこと猫に関して、神様がいるように思えてならない。

メインとサブ両側の猫たちは、みんな猫神様に守られて幸せで、猫を愛し猫に愛された人間も守られている、きっと。

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三笠公園につづく道

ママの付添いで病院に行き、病状、麻酔、入院について話を聞いた。
先生は説明がわかりやすくて質問に丁寧に答えてくれて、いい先生だと思ったら有名な先生らしい。難しい手術ではないと。
ただ口内の手術なので1週間は食事できず、入院は2週間。
コロナ渦なので、面会できない。病室にwi-fiもない。
とりあえず、ママのリクエストにより「カラマーゾフ」の上巻を渡した。
私もちょうど読み返そうと思ってたところ。

麻酔の先生に「タバコ吸いますか?」と聞かれ、「吸います、1日10本」と言うのでびっくり。止めてたはずなのに、また復活してた。

先月のパパの付添いの時ににつづいて、横須賀中央を三笠公園まで横断。時間がなくて、海はちらっと見えただけ。

さいか屋が、もうすぐ閉店するそう。サウナトーホーもコロナの影響で今年閉店。
横須賀中央は海に囲まれて明るくていい街なのに繁栄する気配がないままで、再開発されないのはいい。

立ち並ぶお店は変わっても、それぞれの通りの雰囲気と空気の匂いは変わらなくて、高校生の私がふっと体に憑依するような感じがあった。

昔からある「かわしま」にパステルのバラ売りと黒のパステル鉛筆があったので購入。

三笠通りは全然変わらない、またボイル海老のパックを購入。
駅前では屋台の柿8個1000円を買って二人で分けた。

モアーズのユニクロで、入院に必要なものを買って、上の中華屋でご飯。
ママは見た目も頭もずっと変わらず元気で、駅で待ち合わせて会った時も70代には見えなかった。ファッションも小綺麗で。

髪は薄いので頭頂部にウィッグをつけていて、入院中もつけていいのかしら、といってた。いや、ふつうつけないだろう。

手術はさすがに怖そうだけど、がんばるしかないという気持ちになっていた。

私はママと一緒にいられる時、楽しく過ごせるようにして、いられない時もまめにラインして気分を上げてもらうだけ。

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時はもどり、土曜の海は、南風が強くて入れなかった。
浜に人も全然いなかった。
スパに行ってみたら、外プールとサウナが閉鎖されているというので、やめた。

風は強かったけど、南風だったので寒くはなかった。春一番みたいだった。

海に入れなかったせいか凝りがとれなくて、次の日は肩が痛かった。
寒い季節は寝てる間にビーが肩の上に乗っていて、起きたら肩がガチガチに痛くなってる時の痛さだった。
乗ってたのかな?

ニトリで本棚を購入。

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11月はじめの海

2020年11月05日 | 日々のこと




11月1日と3日に海に行った。駐車場が5時まで。潮はまだ冷たくないけど、空気は4時頃から冷えてくる。
半袖ウエットの上にタッパー着用。

1日は曇り、今年一番澄んでいた。
ボードに乗って水の上からでも底が見えるくらい。

青く光るイシダイが3匹いた。
クロダイもたくさんいた。
ソラはあちこちにいた。

岩に釣り人が一人いて、Cと「やめるように言ってやろうか」と話してたけど、ゴムボートに乗ってきて完璧装備で一人極上時間を過ごしてる人に声をかけるのは無粋、どけとは言わなかったけど、すぐそばまでバシャバシャ泳いで行って迷惑そうな顔で睨むくらいはした。

兄さんたちタイは賢いので釣り人に釣られることはない。みんな釣り人のいるとこの反対側の岩場にいた。ほかの魚も、誰も釣られなかった。

ゴンズイがわらわらいた。
フグの青年もたくさんいる。

小さい黒っぽい魚の群、子タナゴの群もいた。

あんなに疲れて寝不足でだるかったのに海に入ると平気。
泳いでる間はそんなに寒くなかったけど、浜に出ると寒くて冷えきった。





お寺は冬の匂いがした。
体伸ばして疲れは8割とれた。
のこる2割は肩甲骨まわり。





雨をはさんで3日は晴れた、けどまた濁ってしまった。低くて厚いウネリあり。
ツノダシにまた会えた。

小さいイワシの大群が岩の裏のほうにいた。いつまでも途切れずキラキラゆっくり泳いでいた。
ボードに乗ってると、海面を滑るように跳ねるイワシもいた。
ボラもぴょんぴょんで跳ねていた。

晴れたのでそこまで寒くなくて、上がってから少し浜でごろごろできた、けど後からきてすぐ側でドローン飛ばしてる人がいてウザかった。ハエみたいでうるさいし手元の機械もピーピー鳴ってるし、すっごく目障り耳障り。
Cも大門軍団の顔で睨んでいた。

ハナセンナの大きい木が満開。黄色の花。

お寺でストレッチ。疲れはとれた。出たばかりの月が赤くて大きかった。すぐ雲に隠れた。

秋山のプール万歳で秋山の泳ぎ方をじっくり見たおかげで最近クロールが上手くなった。速くなったし疲れにくい。

この日は海から帰ってからTとトリキに行ってビールも焼き鳥もシメの塩ラーメンもめちゃめちゃ旨かった。

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読書メモ
「消え去ったアルベルチーヌ」前半。

語り手はサン=ルーを使いに出して金をちらつかせてアルベルチーヌに戻ってこさせようとしたり、少女を家に連れ帰ってみたりしてますますゲスい。

ゲスいながらもアルベルチーヌへの想いは深く、思考の中心にいる。
愛する人の不在についてはビーへの想いとかぶるところも多くてスラスラは読めなかった。

ブリショに送られて家に帰り、外からアルベルチーヌの部屋の灯りを見上げたことを何度も思いだし、
○あの光が私にとってかぎりない充実と生命と楽しさを含んでいたこと

こうした数々の思い出を心の拠り所にしている。生前の彼女の素行に嫉妬するあまり彼女が生きているとしか思えなくなることもある。

悲嘆にくれながらもアルベルチーヌのあの方の趣味への興味がつきない語り手は、エメをバルベックに送って洗濯娘に話を聞いたり、アンドレを問いつめたりする。水浴する女たちさながらの情景が浮かび、語り手の妄想はどうやら本当だった。

中盤に来てフィガロに文章が掲載されて有頂天の語り手は、社交の場に顔を出してジルベルトに会う。
オデットはスワンの死後フォルシュビルと再婚してジルベルトも呼び名が変わっていた。
これから後半。
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10月の終わり

2020年11月05日 | 日々のこと




朝9時に目覚ましが鳴って、止めて、ちょっと目を閉じたら10時になってる。ただでさえ日が短いのにこのところ起きるのは10時~11時。寝るのは2時すぎ。

モンちゃんはいたって平穏な毎日。15時頃までは庭の日向で昼寝したり毛繕いしたり。テレワークになってからモンちゃんは、毎日好きなだけ庭で日向ぼっこできる。今年は早めにオルラヤの種を巻いて、7つの芽から本葉が生えてきた。


モンちゃんはロイカナの減量カリカリにゼッピンや銀スプを混ぜたご飯を続けて、体重は8.4キロ。新聞の下でオモチャをがさごそやるとつっこんでくる。これは殿やキンタもいつまでも好きだった。興がのるとジャンプもするし、玄関までドドドッと駆けていく。


モンちゃんはうちで唯一ポンポンぎらいなので、ポンポンマスターのTの出番がなくてもったいない。ついクセでポンポンすると、ガブッと噛む。前ほど本気で噛まなくなって、ちょうどいい噛まれごたえ。



11月になった。休みが多くて仕事も暇。10月31日からの4連休は、初日にパーティ、海には2回、映画も見て、目が回った。


新宿駅を降りたらわけがわからなかった。人と店が異常に多くて落ち着かない。どうやって目的地の映画館に行くのか見当がつかず、スマホの地図を見てもさっぱりわからず、途方にくれた。

タイピーの世界とは真逆の街。人間がやりすぎるのはお金のため。タイピーの暮らしでブレッソンの映画を見れる世界への帰着はあり得ないのか。


Cくんに電話して聞いてすぐに映画館についた。


14歳の少女ムシェットの身に陰鬱で悲痛なことが立て続けに起こる映画なのに、見ていて辛いどころかひき付けられて、嫌な気分になるどころか清々しいのは、少女がスクリーンの中で鮮やかに瑞々しく生きているからで、どのシーンも美しい。

遊具をぶつけ合うシーンやクラスメートに泥団子をぶつけるシーンは楽しい。


セリフはほとんどなく、説明は全くなく、人や物(動物や雨や風含む)の動きと視線だけで、一度見たら忘れないラストへと流れていく。少女を虐げる悪い人たちも、悪いわけでなく自然のままに生きているだけのようなリアリティ。


映画の後は高層ビル街に移動。西日が高層ビルに反射してきれいだったけど、自然が全くないと息苦しくてやっぱり新宿は苦手。
パーティまで2時間半くらい、お茶しながら猫トーク、どれだけ寂しいか聞いてもらった。
時間しかないんじゃないかな、とCくん。8ヶ月くらいしてやっと写真が見れるようになってきたと。

時間が忘却を促すのは有名な話だけど、忘却はしたくないこの場合、時間は寂しさをどう変えてゆくんだろう。

○海上の濃霧が万物の目印を消してしまうように、私の時間の距離感は混乱してばらばらになり、距離はこちらで縮まったかと思えばあちらでは伸びる始末で、あらゆるものと私との距離が、あるときは実際よりずっと遠くに、あるときはずっと近くに感じられた。

というのは、消え去ったアルベルチーヌの中ほど。


パーティは高層ホテルの最上階にて。ある人のデビュー30周年を祝う人が60人以上集まって、飲んでおしゃべり。
今年はお花見もなかったから1年以上ぶりに会う人が大勢いて、いろんな人が声かけてくれて、ワインを飲みながら話したり笑ったり。スピーチも良かった。

1次会でやめとけば、いい夜たったのに、つい終電すぎて、マスクしないでタクシーに乗って後でドライバーさんに申し訳ない気持ちに。それに今後2週間は、実家に帰れない。

酒と人に酔ったのと、ヒールのパンプスで疲れきり、夜なかなか寝つけなくて、疲労を連休の間ひきずることになった。
50手前、はっきり言えるのは、家が一番ってこと。

次の日は12時まで寝て、急いで支度して海へ。つづく

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