16日夜にママがお土産にノドグロを持って来て、
焼き始めた匂いでビーは大フィーバー。
食卓に先まわりして待っていた。
あまりのしつこさ、スッポンディフェンスにちょっとあげたら、
余計にしつこかった。
ビーはママのこともなめてる。
ママも昔はキンタに厳しかったけどね、
今は安西先生のように丸くなった。
モンちゃんはママと初対面、
全く警戒しないですぐになついた。
これまでで一番なついて可愛い、とママ。
ママが持って来たスーツケースを開けると、
中に入ろうとしたり、
キッチンに立つとゴミ箱のフタの上に上がったり、
食器棚に入ろうとたり。
そのたびに「モンちゃん!」と誰かが注意するんだけど、
「モンちゃん!」とただ呼びたいだけな感じもある。
私はご飯の後でプールに行って、
帰ってから河原に場所とりに行った。
重しがまた全然足りなくて、
川に降りて、小さい川を越えて、石を拾った。
場所取りに来てる人が大勢いたけど、
私はそこに来てる誰よりも、この河原を知ってる自信がある。
夜の河原はいい風が吹いて、
ごろんしてると気持ち良かった。
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次の日、台風3つ発生の影響か、
朝から激しい雨が降ったり止んだり。
でも花火は中止ってことはなく、
合図の花火も鳴って、昼くらいからお弁当を作り始めた。
今年はパパが友だちを呼んだので、
ママが私の代わりに弁当を作った。
その人たちの好物らしい、筑前煮とか金ぴらとか、
地味な感じの献立だった。
花火のお弁当なんてフランクフルトとか、
適当でいいんだよーと私は言ったけど、
ママは本当に過保護。
昼過ぎに河原を見に行ったら、
午前中の大雨で水深5センチの水たまりが幾つもあって、
レジャーシートも何もかも水浸し。
午後になって強烈な日が射しても、
水たまりが乾くとも思えない中、
レジャーシートを一度はがし、紐で場所取りし直し。
そして、場所取りは紐が一番いいのだと、
やっと分かった。来年からはそうしよう。
前の晩に、杭(なければ割り箸)、紐、ゴムトンカチ、ハサミを持って行くこと。
パパも昼過ぎに来た。
自転車事故の怪我はだいぶ良くなって、
包帯は2か所、でも動くと痛いらしい。
パパの友人は花火が始まる頃に来るらしく、
ご飯は花火の始まる前、
おそくとも5時には河原に行って、
だらだら食べることを分かってない。
全くいいかげんなパパ。
5時頃家を出た途端に、雨が降り出した。
しばらくトンネルの中で雨宿りして、
小ぶりになって河原に行って、
東の空に虹が見えた。
なんとか敷物を広げてお弁当を出したら、また雨。
お弁当の上にシートを広げて濡れないようにして、
6時半頃パパが友人を迎えに行って、
花火が始まるまで、雨はずっと降っていた。
水たまりはますます深くなり、
河原全体水浸しで、人々はカッパ来て傘さして、
ずぶ濡れになっていた。
私はずぶ濡れに慣れてるせいか、
不思議なくらいなんてことなく、
雨で薄まったほろ酔いを飲んだりしていた。
花火が始まる直前に雨が止んで、
花火は無事に見れた、今年もベスポジで、
川崎はがんばってたし、世田谷もきれいだった。
お弁当も美味しかった。
髪からパンツまでずぶ濡れのままだったけど、寒くもなくて、
不思議なくらいなんてことなかった。
ダーは酔っ払ってるせいか興奮してたけど。
仕事で花火見れないRちゃん、
落ちまくってやさぐれメール。
川の対岸で花火見てるEちゃんとも何度も河原情報メール。
虹が出たときも、すぐにメールが来た。
花火中もまわりの若い人はずっとスマホで写真撮ってた。
花火に背を向けては自撮り。ご苦労なこってす。
立って写真とってるバカ女に、
「立つな!」とサイコっぽいジジーが叫んで、
そのジジーとバカ女の連れのチンピラ風がケンカになりそうになり、
私「見えねえよ!」で、おさまった。
全くこんなバカどもにはいくら花火でも河原に来てほしくないわ。
帰ってシャワー。
モンちゃんは人生初の花火の音にビビったのかは分からない、
帰るとふつうに元気だった。
Eちゃん「花火大会は1時間くらいだけど、
1日花火大会モードだった」、ほんとそう。
1日じゅう楽しかった。
まー今年はよく濡れたけど、
こんな年があってもいい。お天気にはかなわない。