うちにきて1ヶ月と経たないうちか ら、みんなと仲良くなったちび殿
来るものこばまずの気のいいモンちゃん、ちび殿をなめてあげてる
なんとお嬢もちび殿をなめてあげていた
おにいもおねえもやさしいのにゃ!
椅子にも上がれるようになり
椅子からテーブルにもジャンプ!
お顔はなかなかのハンサムに
栄養満点、艶ピカ毛皮のひと
お嬢も素晴らしい毛並みで艶やか
東向きの東京湾は日没が早くて、15時頃について泳いでたらすぐ日陰になった
翌日は大潮干潮で朝からいつものポイントへ
お嬢とちび殿は大の仲良しになって毎晩何度も家の端から端まで追いかけっこしている
一方がトイレに入るともう一方がトイレ前に来てじいっと見つめて待ち、トイレが終わると一緒にハイになって走り出す
お嬢が追いかけて、折り返すとちび殿が追いかけて、えんえん走ってるのだった、お嬢は弓なりのシッポをふわっと膨らませてご機嫌、ちび殿も同じくらいのスピードで走り抜けて、たまにパンチしあってるけど2ぴきとも優しい猫パンチで、すごく楽しそう
モンちゃんもたまに混ざって3匹で走り回ってることもあり、夜な夜な大運動会!
朝はみんなで日向ぼっこ
お昼寝
あいちゅどこかにゃー
いた!
おにい、うしろうしろ
このはこはおれのだからにゃ
わんぱく顔で走って遊ぶちび殿、3週目の通院も、先生はじっくり毛の中まで診察して、大丈夫です!抗生剤やめてからが勝負で、まだ油断できないって言いましたけど、大丈夫でしたね!良かった良かったといいあった
私も先生も長期戦を覚悟してたけど、驚きの回復力でもう治ったかのように見える
やっぱり猫って強いなー、中でも外育ちの若猫は最強だ、細胞が強くて細菌なんてやっつけちゃう
まだ痩せてるけど、マクロファージには余分な栄養素を処理する働きもあり、そっちに専念すると異物貪食のほうがおろそかになって細菌に対する防御機能が落ちるようで、腹7分目でいるほうがマクロファージはよく働くらしい
そういうことを考えなくても、自然界の生き物たちは、体の意志で食べる量を調整してるのであろう
Yさんのツイートより、意志というものがあるとすれば、転びそうになった時に立て直したり、風邪ひいたときに熱を出したりするのがそれであって、いわゆる「わたし」とは関係ない、意志が強い、は、身体が丈夫、くらいにしか聞いてない
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シルバーウィーク後半も台風14号で天気がわるくてほとんど家にいて、猫と遊ぶほかはアマプラで古い映画を見ていた
久しぶりに見たいと思ってた「洲崎パラダイス赤信号」があった!橋の上、水面を映した窓や壁、木刀が流れていく川とか、風景がなんともいい、おかみさんの人情、有馬稲子のかわいさも良い
「祇園囃子」、木暮みちよと若尾文子が芸者の姉妹ってだけでも終始見ごたえがある、着物で歩く姿、うなじ、話し方と声が美しい、白黒だとわかりにくいけど夏の話で、ヒグラシが鳴いたり、そうめん食べてたりする、溝口の映画で一番好きかも
「麦秋」、何度見ても素晴らしいし笑える、あんパンのシーンの節子がきれい、今見ると杉村春子も若くてびびる
「長屋紳士録」、町内会の会合のシーンで笠が歌うたうとこ、すごく楽しそう、茅ヶ崎の浜で、蝶子がぼうやをまこうとするシーンも面白い、浜を走ってくる子供がかわいい
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きいれえ本、パパイヤ・ママイヤ読了
二人の17歳の女の子のひと夏の物語、ほかの誰にもわからない秘密の物語
家族や学校の友達には言えないようなことも平気で言えて、一緒にいるとき、なりたい自分でいられる友達
◯「この夏、奇跡みたいなことがいっぱい起こって、ずっと夢みたいなんだよね」「すごいよね」「こんなことあったらさー」「ずっと友達だね」
そんな夏を私たちも何度すごしてきたことだろう、たぶん10代の終わりからずっと続いてた、なのに今年の春、突然手放してしまった
そんなことも思いながら読んでいて、終わりのほうは涙が止まらなかった
風景の描写がすごくいい、そこにいる人、絵をかく男の子、所ジョン、それに女の子たちも風景に含まれている
干潟の潮の満ち引き、砂と岩、水面に映る空、海の景色は明るさに包まれている
自分のいない時に、相手がどんなふうに過ごしているのか想像すること、それができたから二人は親友にもなれた
一緒にいれば奇跡も珍しくなかった、二人にしか通じない秘密の物語もいくらでもあった
この夏一切連絡をとらずにいて、夏のあらゆる局面、梔子の咲いた日、ヒグラシを初めて聞いた日、記録的な猛暑続きの毎日を一緒に小躍りして喜びたかった、そして雨が降って気温の下がった日は一緒に泣きたかった、、
また一緒に海に行きたい、あれから何度も思うけど、あの日のこと、否定と非難の言葉の応酬を思い出すと心は折れる
イエスノーはっきりしないとか、バイブス次第なとことか、直せといわれてもたぶん直せない、でもそこを直さないと我慢するしかないっていわれたら、私からはもう誘えないじゃん
わたしのなりたい自分って、17歳のままの自分なのかもしれない、とか思ったりもする
Yさんの小説を読んでたら、この「わたし」ってもんもどうだってよくなるのだが